第23話:天墜の少女と、揺り籠の始まり
【市立図書館・内部】
バリンッと、全ての窓ガラスが一斉に内側に向かって砕け散った瞬間、図書館の中はもはや地獄絵図と化していた。
外からの光が完全に遮断され、オーロラのようなどす黒い光だけが明滅を繰り返している。
そして信じられない光景が、シズの目の前で繰り広げられていた。
壁が、床が、天井が、まるで砂の城のようにボロボロと崩れ落ちていく。
いや、違う。崩れているのではない。
本棚も机も椅子も、そして悲鳴を上げて逃げ惑う人々さえも。
その全てが細かい光の粒子へと分解され、まるで巨大な掃除機に吸い込まれるかのように、空間の一点へと猛烈な勢いで吸い込まれていくのだ。
「いや…いやぁぁぁっ!」
シズは机の下で必死に頭を抱えていた。
だがその彼女が隠れる机も、足元からサラサラと光の粒子になって消えていく。
もう逃げ場はどこにもない。
大好きだった静かな図書館は、もはや時空の嵐が吹き荒れる崩壊の中心地と化していた。
(あ…! これ、だめかも…)
脳裏に母の顔が浮かぶ。
「寄り道しないで、早く帰ってくるのよ」
その今朝の何気ない言葉が、やけに鮮明に思い出された。
(…お母さん、ごめん…っ!)
シズの悲痛な叫びも小さな身体も、全てが光の渦の中へと飲み込まれていった。
そして彼女の意識は、空間がぐにゃりと捻じ曲げられる激しい苦痛の中でぷつりと途絶えた。
【図書館の外】
凄まじい轟音と閃光。
やがて光が収まった時、そこには信じられない光景が広がっていた。
市立図書館の建物が、そこにあった空間ごと綺麗に半球状に抉り取られるように消滅していたのだ。
後に残されたのは、不自然なほど滑らかな半球状のクレーターだけだった。
「…うそだろ」
誰かが呆然と呟いた。
それをきっかけに辺りは一瞬にして、人々の絶叫と泣き声、そしてけたたましいサイレンの音に包まれた。
そこへ一台の車が、キーッと甲高いブレーキ音を立てて停まった。
車から一人の女性が転がるようにして飛び出してくる。シズの母親だった。
娘がいつもこの図書館に寄り道することを知っていた彼女は、胸騒ぎを覚えて車を飛ばしてきたのだ。
だが目の前のありえない光景に、彼女は立ち尽くすことしかできなかった。
「…シズ…? しずか…!」
彼女は娘の名前を呼びながらスマホを取り出す。震える指で何度も何度も電話をかける。
だが返ってくるのは、
『おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため、現在使用できません』
という、無機質で絶望的なアナウンスだけだった。
「いや…いやあああああっ!」
彼女はその場に泣き崩れた。
「シズ! 私の静がまだあの中に…! お願いします、助けて…!」
非常線を張ろうとする警官にすがりつき、彼女はただ娘の名前を何度も何度も叫び続けた。
【???・忘れられた庭園】
―――静寂。
湿った土と、むせ返るような甘い花の香り。
広大な忘れ去られた庭園の中央。
空間の歪みから吐き出された、日本の図書館の瓦礫がめちゃくちゃに散乱している。
そしてその瓦礫の中心で。
一人の少女――シズが、学生服をボロボロに引き裂かれ、全身から血を流し、か細い呼吸を繰り返しながら倒れていた。
時空転移のあまりにも暴力的な負荷に、彼女の十歳の身体はもう耐えきれずにいた。
生命の光が今まさに消えようとしている。
その時だった。
庭園の奥にある巨大なドーム状の建物。その表面が淡い光を放ち始めた。
1000年の沈黙を破り、主を失った古代のシステムが自らの存続のために活動を再開したのだ。
『――緊急事態発生。結界内部に1名の生命反応、微弱ながら確認』
『損傷率92%。このままでは生命活動の維持、不可能』
『…マスター権限の強制移譲プロセスを起動』
ドーム状の建物から数体の小さな蜘蛛のような形をした機械アームが、滑るように走り出てくる。
それらはためらいなく、瀕死のシズの身体をそっと持ち上げた。
そして彼女をドームの奥深くへと運び込んでいく。
【隠者の書斎・最深部】
そこに安置されていたのは、半透明の美しい水晶でできた、揺り籠のようなカプセルだった。
機械アームはシズのボロボロになった身体を、そのカプセルの中へとそっと横たえる。
カプセルの内部が柔らかな緑色の光で満たされていく。
それは生命維持と細胞再生を促す、超文明の魔法医療技術の光。
シズの無数の傷がゆっくりと塞がっていく。止まりかけていた心臓が再び確かな鼓動を取り戻していく。
『…肉体の再生シークエンス、開始。…完了予測、3587日』
『並行して、精神意識のメインライブラリへの接続を開始します』
無機質な合成音声が響き渡る。
カプセルの蓋が静かに閉ざされた。
その滑らかな表面に一つのデジタル表示が浮かび上がる。
【NEW MASTER: SHIZUKA TAKATSUKI】
肉体を揺り籠に預け、意識だけの存在となった十歳の少女。
彼女の孤独な知の探求の旅が、始まろうとしていた。




