第22話:日常と、その亀裂
【日本・現代 / 図書館への帰り道】
放課後の気怠いオレンジ色の光が、アスファルトを長く照らしている。
学校の昇降口で、高槻静は親友の相沢美咲と一緒にローファーに足を滑り込ませていた。
「ねえシズ。明日のクレープ、何味にするかもう決めた?」
「うーん…」
シズは真剣な顔でうーんと唸った。彼女にとってそれは、明日のテストの範囲を考えるよりもずっと重要な問題だった。
「私、やっぱりイチゴチョコ生クリームかなぁ…。でも、期間限定のマロンクリームも捨てがたいんだよね…」
「あはは、シズはいつもそうだよね。じゃあ、半分こする?」
「ほんと!? やったー!」
そんなどこにでもある、たわいない会話。
二人は夕暮れの住宅街を、影を長く引きながら並んで歩く。
いつも通りの平和なありふれた放課後。それが永遠に続くのだと、この時のシズは信じて疑っていなかった。
やがて、古びたしかし趣のあるレンガ造りの市立図書館が見えてくる。
「じゃあね、シズ! また明日!」「うん、また明日、美咲ちゃん」
いつもの場所でいつもの挨拶を交わし、二人は手を振って別れた。
シズは少しだけ重いガラスの扉を押し開け、ひんやりとした古い紙の匂いが満ちる静かな館内へと足を踏み入れた。
【市立図書館】
一番奥の窓際の席。そこがシズのお気に入りの場所だった。
彼女は分厚い外国の物語のページを夢中になってめくっていた。物語の世界に心を遊ばせる。それが少しだけ内気で空想好きな彼女にとって、何よりの幸せだった。
カタ、と。
遠くの本棚が小さく、しかしはっきりと揺れた。
「…地震?」
近くの席にいた数人の学生が顔を見合わせる。しかし揺れはそれだけですぐに収まってしまった。誰もが気のせいかと、再び自分の作業に戻っていく。
だがシズは気づいていた。
床下からごく微かな、しかし体の芯に響くような「ゴウン…」という低い唸り声のようなものが聞こえることに。
それはまるで巨大な機械が、永い眠りからゆっくりと目覚めようとしているかのような不気味な音だった。
「なんだか、空気が重くない?」
「うん…なんか、頭が少し痛いような…」
館内が少しずつざわつき始める。気のせいではない確かな「異常」が、この空間を満たし始めていた。
そして。
「ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…!」
今度ははっきりと、図書館全体が異常な振動に襲われた。
それはもはや「揺れ」ではなかった。
空間そのものがミシミシと軋みを上げているかのような、耳障りで不快な音。
本棚から次々と本が雪崩のように落ちてくる。天井の照明が激しく揺れ、火花を散らした。
「きゃあああっ!」
「な、なんだ、これは!?」
逃げ惑う人々。机の下に隠れる者。壁に寄り添い、頭を抱えて蹲る者。
図書館は一瞬でパニックのるつぼと化した。
シズも本能的な恐怖に駆られ、必死に一番近くにあった頑丈そうな樫の机の下に身を滑り込ませた。
【図書館の外】
その異常は外の世界からも、はっきりと見て取れた。
夕暮れの道を歩いていた人々が次々と足を止め、一斉に市立図書館を見上げている。
建物の外観には何の変化もない。
だがその建物だけが異常な地鳴りを響かせ、その窓という窓からまるでオーロラのような、どす黒い不気味な光を明滅させながら内側から放っているのだ。
「な、なんだ、あれ…?」
「火事…じゃないよな?」
スマホをかざし、その異常な光景を撮影しようとする若者。
何が起きているのか理解できず、呆然と立ち尽くす老人。
車のクラクションと人々の悲鳴が辺りに響き渡る。
そしてその全ての音を掻き消すように。
図書館の中から一際大きな、
―――バリンッッ!!!
と、全ての窓ガラスが一斉に内側に向かって砕け散るような、甲高い破壊音が響き渡った。




