第20話:劣等生の決断と、女王の微笑
【王立アカデミー】
王宮での叙勲式から数日後。
エリアーヌの心は不思議なほど晴れやかだった。
自分だけの研究室となる屋敷の鍵がポーチの中で確かな重みをもって、彼女の心を支えていた。もう自分は一人ではない。
彼女はアカデミーの制服に身を包み、いつもより少しだけ軽い足取りで学び舎の門をくぐった。
友人や恋人たちと楽しげに語らう生徒たち。その誰もが数日前に王都を熱狂させた《翠玉の託宣者》の噂話で持ちきりだった。
(ふふ…その英雄様、昨日は姫様に夜通し武勇伝を語らされて大変だったんですよ?)
心の中でこっそりと、誰にも言えない秘密の優越感に浸る。それだけで世界は少しだけ面白く見えた。
その日の魔法理論学の講義が終わった後だった。
エリアーヌが教室から出ようとすると、マクシミリアン教授が数人の取り巻きの生徒と共に彼女の前に立ちはだかった。
「エリアーヌ君。君に話がある」
教授は例の「自主退学勧告書」をこれ見よがしにちらつかせながら、執拗に嫌味を言い始めた。
「長期の無断欠席に課題の未提出。君のような生徒がいるからアカデミーの品位が…」
「そうですか」
エリアーヌはもはや彼の言葉を意に介さず、ただ静かに応えた。その柳に風と受け流す態度に教授は逆上した。
「な、なんだねその態度は! 私を誰だと思っている!」
取り巻きの生徒たちも「そうだそうだ!」「教授に謝れ!」と、やいやいと詰め寄ってくる。
その時だった。
「――そこまでだ」
凛とした声と共にアレクシスが彼らの間に割って入った。
「教授! そして君たちもだ! 生徒一人を寄ってたかって辱めるなど、騎士のいや人として恥ずべきことだとは思わないのか!」
その真っ直ぐな言葉に教授は「ちっ、劣等生の肩を持つとは君も落ちたものだな」と、苦々しげに捨て台詞を吐いてその場を去っていった。
「エリアーヌ、大丈夫…?」
友人リナが心配そうに駆け寄ってくる。
「うん。ありがとうアレクシス先輩。助かりました」
エリアーヌは助けてくれたアレクシスに心から感謝し、心配するリナを安心させるようににっこりと微笑んだ。そして二人に爆弾を投下した。
「私、決めたんだ。アカデミーを辞めようと思うの」
「ええっ!?」
驚くリナに彼女は続ける。その顔には悲壮感などどこにもなかった。
「先生たちのせいじゃないの。…実はね、もっといい『研究場所』を見つけたんだ。そこで私のやりたいことを本気で頑張ってみることにしたの」
「でも、それじゃあ…」
「だから見ててリナ。いつかすごい結果を出して、みんなを『あっ』と言わせてあげるから!」
彼女の目には悔しさではなく未来への希望だけが、キラキラと輝いていた。
【アルビオン王国・王宮】
その頃、王宮の一室。
王妃イザベラと宰相、そして飄々とした雰囲気の初老の男性――王族にしてアカデミーの最高責任者であるオーナー――がテーブルを囲んでいた。
テーブルの上には二つの論文が置かれている。一つはマクシミリアン教授が騎士団に提出した盗用論文。もう一つは王妃が以前取り寄せたエリアーヌのオリジナル論文。
「…これはひどいな」
オーナーが呆れたように呟いた。
「明白な盗用だ。おまけに彼の理論は根本的な部分で彼女の足元にも及んでいない」
「ええ。わたくしたちの『宝』がこのような環境で虐げられていたかと思うと、腸が煮えくり返る思いですわ」
王妃の言葉に宰相が頷く。
「既に彼の学内での素行調査も完了しております。パワハラ、経費の不正利用、枚挙にいとまがありません」
オーナーは静かに立ち上がると窓の外を見つめた。
「決まりだな。彼にはその『素晴らしい新理論』の表彰式という名目で、王城へ登城願おう。そこで全ての真実を皆の前で明らかにする」
そして彼は楽しげに口の端を上げた。
「主役であるかの英雄殿には、最高の特等席を用意してやらねばな」
王妃イザベラはその言葉に満足げな、そしてどこか悪戯っぽい美しい微笑みを浮かべた。
わたくしたちの英雄様がくだらない雑事に、これ以上心を悩ませる必要はもうありませんものね――と。




