第19話:英雄の休日と、女王たちの茶会
【アルビオン王国・王宮】
割れんばかりの拍手と称賛の嵐。
その中でエリアーヌはまるで自分だけが別の世界にいるかのような、浮遊感を覚えていた。叙勲式が終わり列席者たちが退出し始めても、彼女はしばらくその場から動けずにいた。
「《翠玉の託宣者》様!」
控え室に戻りようやく一人になれるかと思ったその矢先。
侍女の制止も聞かずセシリア姫が弾むような足取りで部屋に飛び込んできた。その瞳は興奮でキラキラと輝いている。
「素晴らしかったですわ! 本当に! お父様が勲章をお渡しになる時など、わたくし感動で涙が止まりませんでしたもの!」
姫はエリアーヌの手を取りぶんぶんと振りながら一方的にまくし立てる。
その熱烈な歓迎にエリアーヌは内心の疲労を押し殺し、クールな英雄の仮面を被り直した。気合いを入れろ私。ここはまだ王宮だ。
「…お褒めにいただき光栄です、姫様」
抑揚のないしかし落ち着いた声で返すと、セシリア姫はそのクールな態度にさらに「きゅん!」と胸を高鳴らせた。
そこへ音もなくあの「影の侍女」が姿を現した。
「《翠玉の託宣者》様。王妃殿下がささやかなお祝いの席をご用意してお待ちです。姫様もご一緒にと」
その言葉にセシリア姫が「まあ素敵ですわ!」とエリアーヌの腕を組もうとする。
だがその前にエリアーヌはすっと身を翻し、逆に姫に向かって完璧なエスコートの手を差し出した。
「…では姫様。ご案内いただけますか?」
「え…! は、はいっ!」
セシリア姫は一瞬驚きに目を見開くと、次の瞬間には顔を真っ赤にしてその手に自らの手を重ねた。
エリアーヌは不慣れなエスコートに内心で冷や汗をかきながらも、毅然とした態度で姫を導いて部屋を出ていく。その姿はもはや護衛ではなく姫をエスコートする、どこかの国の貴公子のようだった。
【王妃の私室・バルコニー】
通されたのは王妃の私室に隣接する、眺めの良いガラス張りのバルコニーだった。眼下には手入れの行き届いた美しい庭園が広がっている。
そこには三人分だけの最高級の茶と、宝石のように美しい菓子が用意されていた。
「待っておりましたわ。堅苦しい式典、退屈だったでしょう?」
王妃イザベラはエリアーヌが席に着くのを待って共犯者のように、悪戯っぽく微笑んだ。その親しげな態度にエリアーヌは少しだけ緊張を解く。
茶会の間エリアーヌはセシリア姫の質問攻めにも王妃の探るような問いにも、冷静にそして誠実に答え続けた。彼女はもはやただの少女ではない。《翠玉の託宣者》という王国が認めた英雄なのだ。その自覚が彼女の背筋をまっすぐに支えていた。
やがて王妃は真剣な眼差しでエリアーヌに向き直った。
「…さて。《翠玉の託宣者》殿。貴女はこれからどうするおつもり?」
その問いにエリアーヌは迷うことなく真っ直ぐに王妃の目を見つめ返した。
「この大陸で起きている数々の異変…その本当の原因を突き止めたいと思っています」
その答えに王妃は満足げに頷いた。
「やはり貴女も気づいていましたのね。…ならばこれを」
彼女は懐から一本の小さな、しかし細工の美しい銀の鍵を差し出した。
「これは王都の西区画にある小さな屋敷の鍵です。元は王家の書庫番が使っていた場所ですが今は幸いにも空き家。…貴女の『研究室』として自由にお使いなさいな。誰にも邪魔されず活動できる拠点が必要でしょう?」
あまりにも破格の申し出にエリアーヌは言葉を失った。
それは彼女が喉から手が出るほど欲しかった「安全な研究場所」であり、誰にも知られることのない自分だけの「アジト」そのものだった。
「わたくしたちは貴方の活動を最大限支援するつもりです。だからもう一人で抱え込む必要はありませんのよ」
王妃の静かだが力強い言葉。
「そうですわ! わたくしたちもう『友人』でしょう?」
セシリア姫が満面の笑みでぐいっとエリアーヌの手を握る。
その二人の真っ直ぐな好意と信頼に、エリアーヌの心の中で何かがじんわりと溶けていくのを感じた。
孤独な戦いではなかった。自分を信じ支えてくれる人がこんなにも近くにいた。
それは嬉しい望外の誤算だった。
「…はいっ!」
エリアーヌは仮面の下で、はちきれんばかりの最高の笑顔を浮かべていた。
緊張感も演じていたクールな顔も全て忘れて。
よしやってやろう。この人たちの信頼に全力で応えよう。
彼女は震える手でしかし力強く、その銀の鍵を握りしめた。




