第1話:異端者と銀の仮面
【アルビオン王国・王立アカデミー】
「――よってこの問いの正解は『霊素の枯渇』である。エリアーヌ! また答案に訳の分からん持論を書いたな! 0点だ!」
王立アカデミーの講義室に、魔法理論学の教師マクシミリアン教授の甲高い怒声が響き渡った。
クラス中の生徒たちの視線が憐憫、嘲笑、そして一部の者からはあからさまな侮蔑となって一人の少女に突き刺さる。
蜂蜜色の髪をしょんぼりとさせ、エリアーヌは席から立ち上がった。スカートの裾を悔しそうにぎゅっと握りしめる。
「で、でも先生! 最近大陸各地で報告されている異常気象やゴーレムの暴走は、霊素の総量が増減している、という単純な話ではありません! それらの発生地点は、旧帝国時代の遺跡の位置と、不気味なほど一致しています! これは、1000年間沈黙していた古代の魔道具が、何らかの理由で、再起動し始めているとしか考えられません!」
「まだ言うか! 古代の魔道具だと? そんなものは、ただのガラクタか、おとぎ話であろうが! それを証明する、権威ある文献が、どこにあるというのだ!」
教授は吐き捨てるように言った。彼の権威はアカデミーが定めた教科書と、何百年も変わらない古い理論によってのみ支えられている。そこにないものは全て異端であり空想なのだ。
教壇の近くに座っていた貴族の男子生徒が、わざとらしく大きな声で呟いた。
「また始まったよ、エリアーヌ嬢の妄想劇場が。薬草いじりばっかりやってるから頭までお花畑になっちまったんじゃないのか?」
クスクスと下品な笑い声が広がる。
彼らは知っているのだ。エリアーヌが薬草学や博物学といった、彼らが「役に立たない」と切り捨てる学問において非凡な才能を持っていることを。だからこそ苛立ち面白くないのだ。自分たちが絶対の真理だと信じる魔法理論で、彼女が落ちこぼれでいてくれることが彼らにとっては唯一の安心材料だった。
「無駄に理屈っぽくて肝心なことは何も分かってないやつ」――それが権威を信奉する者たちが彼女に貼り付けたレッテルだった。
「…はい」
エリアーヌは唇を噛み締め、ゆっくりと席に戻る。
隣の席の友人リナが「気にしちゃダメだよ」と、慰めるように小さな声で囁いてくれた。その優しさが今は何よりも心に染みた。
【アルビオン薬草店・地下工房】
その夜。彼女の実家である「アルビオン薬草店」の地下、祖母と共有で使っている工房で、エリアーヌは昼間の悔しさを思い出して実験台に突っ伏していた。
「…もう、やになっちゃう」
ぽつりと弱音がこぼれる。
『…またマクシミリアン教授にやり込められたのかい?』
遠話魔法具の向こうから、祖母の呆れたようなしかし温かい声が聞こえてくる。
「だって、おばあ様! あの人たち全然分かってくれないんですもの! 私がどれだけデータを見せて論理的に説明しても、『文献にない』の一点張りで…。どうしてこんなに簡単なことが分からないのかしら!」
プリプリと怒る姿は昼間の優等生(を演じている)彼女とは違う、年相応の少女のそれだ。悔し涙がじわりと目に滲む。
『ふふ、お前は昔からそういう真っ直ぐな子だったからね』
祖母は優しく笑う。
『いいかいエリアーヌ。彼らが頑ななのは、理解出来ないということだけじゃない。…怖いのだよ。自分たちの信じてきた世界がお前の一言で足元から崩れてしまうのがね。だから耳を塞ぎお前を異端者だと叫んで、自分たちを守ろうとしているのさ。まぁ多分そちらの方が強いだろうね』
「…怖いから?」
エリアーヌは目から鱗が落ちるような心地だった。考えたこともなかった視点だった。
『そうさ。だから腹を立てるだけ無駄だよ。彼らは真実から目を逸らす弱者なのだから。お前はお前の信じる道を行きなさい。その強さこそがお前を真理へと導いたのだから』
「…はい、おばあ様」
祖母の言葉で少しだけ心が軽くなる。エリアーヌは涙を拭い、工房の壁にかけられた翠玉が嵌め込まれた銀の仮面を手に取った。
昼間誰も信じてくれない「世界の危機」。その歪みを正せるのはこの世界の基準では「異端者」の自分だけだと、彼女は知っていた。
「この日常が、私を嘲笑う彼らや心配してくれるリナたちの笑顔が失われるくらいなら…私は喜んで夜の怪物にでもなりましょう」
その決意は誰にも理解されない孤独と、それでも世界を愛する強さに満ちていた。
『…《翠玉の託宣者》。その仮面がお前の真の価値を知る唯一の証となるだろう。行って証明してきなさい。間違っているのがどちらの世界なのかを』
「はい。行ってきます」
遠話を終えエリアーヌは静かに仮面を装着した。ひんやりとした金属の感触が肌に馴染む。
昼間の「異端者」の少女は仮面の下で、世界で唯一の真理を歩むヒーローへと姿を変える。




