第17話:噂はひとり歩き、馬車は王宮へ
【アルビオン王国・王都】
叙勲式の朝。エリアーヌはいつも通りアカデミーへ向かうふりをして家を出た。今日の式典のことはもちろん祖母にしか伝えていない。
彼女は人通りの多い大通りを避け裏路地を縫うように進むと、目的の建物の前で足を止めた。そして周囲に人がいないことを確認すると肉体を強化し、軽々と壁を駆け上がってその屋上へと飛び乗った。
屋上の物陰で彼女は手早く深緑色のフード付きローブを羽織り、翠玉の仮面を装着する。顔を隠し声を変える魔法を起動。そして今来たのとは反対側の屋上へと飛び移り、音もなく地上へと降り立った。これでただの学生エリアーヌの痕跡は完全に消えた。
変身を終えた彼女はギルドへと向かった。
今日の王宮への呼び出しはギルド経由で伝えられている。まずはギルドマスターに挨拶をしてから迎えの馬車を待つ手筈だった。フードを深く被りなるべく目立たないようにギルドの扉をくぐる。
だがその努力は一瞬で無に帰した。
彼女がカウンターの列に並ぼうとしたその瞬間、受付嬢の一人が鷹のような鋭さで彼女の存在を捉えた。
「!」
彼女は騒ぎになる前にとんでもない速さでカウンターから飛び出してくると、エリアーヌの腕をがっしりと掴んだ。
「さささ! こちらへどうぞ!」(ぐいっ!!)
「うぇっ!?」
意外なほどの強い力で引っ張られエリアーヌはなすすべもない。いつの間にか《翠玉の託宣者ファンクラブ元締め》と化したその受付嬢は、エリアーヌがどんな格好をしていてもその纏う雰囲気だけで完璧に見抜いてしまう特殊技能を獲得していたのだ。ムダ技能と言うなかれ。彼女には滂沱物の技能なのである。
「王宮へのお迎えが参るまでこちらでごゆっくりと。すぐに最高級の茶葉で淹れた紅茶をお持ちしますわ!」
そう言うと受付嬢はどこか誇らしげに部屋を出て行った。
エリアーヌはそのあとすぐに運ばれてきた紅茶を、戸惑いながら口にした。
(こくこく…はー。安らぐわ〜...。じゃなーい! なんなのこのVIP待遇は!? 心臓に悪いんですけど!)
一人頭を抱えているとバタンッ!!と凄まじい勢いで扉が開き、ギルドマスターのヴァルガスが満面の笑みで入ってきた。
「おう! 《翠玉の託宣者》! いややってくれたな! 全くわしが見込んだ通りだぜ! うはははは!」
「は、はあ…それはどうも…」
「これからも王国とギルドのためにその力を使って欲しい。頼むぞ!」
「は、はい。もちろんです」
「うはははは! よし! では王宮からの迎えがそろそろ来るだろうからここで待っていてくれ。ああそうだ。この部屋だが今後は貴殿は好きに使ってくれて構わん。おちおちギルドのロビーにもいられんだろうからな!」
(…ロビーはどんなことになっているんだ…)
エリアーヌはまだ式典が始まってもいないのに、既にぐったりと疲れていた。
やがて部屋の扉がノックされた。
「《翠玉の託宣者》様。王宮よりお迎えの馬車が到着いたしました」
先ほどの受付嬢だった。彼女は目をキラキラと輝かせながらドアの前に立つ。
「さあわたくしがご案内いたしますわ!」
エリアーヌは内心でツッコミを入れながら彼女の後に続いた。
応接室からロビーへと続く廊下。その光景にエリアーヌは息を呑んだ。
さっきまであれほど喧騒に満ちていたギルドのロビーが静まり返っている。そして屈強な冒険者たちがまるでモーゼの十戒のように、中央に一本の道を空けて両脇にずらりと整列していたのだ。
その道を受付嬢はまるで女王に付き従う侍女のように、胸を張って歩いていく。
「おい! あれが《翠玉の託宣者》か?」
「いや、俺が聞いた話じゃ身のこなしの素早い斥候だって…」
「え? 俺はゴーレムも一撃でぶっ飛ばす筋肉隆々の大男だと聞いたが…」
「いやいや! 姫様も憧れる文武両道の謎の美少女ってのが、一番有力な説だろ!」
(くっ…! 好き勝手言って! …さ、最後のは絶対にやめてください! 人前に出られなくなっちゃう…!)
エリアーヌは四方八方から突き刺さる好奇心と畏敬の視線に耐えながら、なんとかギルドの出口までたどり着いた。
そこには王家の黄金の獅子の紋章が輝く豪奢な迎賓用の馬車が、堂々と停まっていた。
儀礼用の鎧に身を包んだ近衛騎士が恭しく彼女を待っている。そしてエスコートのために白い手袋に包まれた手を差し出してきた。
(こ、これ…掴むのよね…? どうすればいいの…?)
彼女が戸惑っていると騎士は心得たようにそっと彼女の手を取り、優しく馬車の中へと導いた。
重厚な扉が閉まり外の喧騒が遠ざかる。
エリアーヌはビロードのシートに深く身を沈め、ようやく一息ついた。
(…おばあ様…。もう疲れました…)
【アルビオン王国・王宮】
馬車は王宮の奥深く、公式な謁見の間へと続く控え室の前で停まった。
部屋に通されるとそこには宰相閣下が厳しい目で彼女を待ち受けていた。
「《翠玉の託宣者》殿、お待ちしておりました。これより叙勲式の段取りについて簡単にご説明いたします」
宰相は彼女の一挙手一投足をまるで値踏みするかのように鋭く観察している。
だがエリアーヌはそのプレッシャーに臆さなかった。祖母から貴族社会の作法についてはしっかりと叩き込まれている。
彼女は完璧なタイミングで完璧な角度の完璧な礼を返した。その流れるようなしかし一切の無駄がない所作に、宰相の眉がわずかにピクリと動いた。
(…ほう。ギルド上がりの荒くれ者と聞いていたが…これはしっかりとした教育を受けているな)
宰相からの説明をエリアーヌは完璧な姿勢で聞き終える。
「…以上だ。では後ほど案内の者が参るまで半刻ほど、ゆるりとなされるがよい」
「承知いたしました」
宰相が退出していく。その横顔には先ほどまでの侮りの色は消え、感心の光が宿っていた。
一人になったエリアーヌは付き添いの侍女に声をかけた。
「すみません、お手洗いを…」
「はい、こちらに」
案内されたのは部屋の隅に備え付けられた豪奢な化粧室だった。
(…そこにあるんだ。みんな緊張するんだろうなぁ…)
彼女はそこでようやく張り詰めていた息を、ふぅと長く吐き出したのだった。




