第15話:翠玉の神髄と英雄への称賛
【水利制御施設・内部】
眩い光が渦巻く制御室。エリアーヌは一瞬たりとも躊躇することなくその中へと飛び込んだ。
室内の空気は高密度の魔力によってまるで水中のように重い。一歩進むごとに全身に痺れるような圧力がかかる。
(ひどい…! 動力炉が臨界寸前…!)
彼女は自作の解析ツールと自身の魔力を駆使し、暴走する大河のようなエネルギーを細い水路へと無理やり誘導するような、あまりにも繊細でそして危険な作業に全神経を集中させていた。
その頃、扉の外では帝国の二人組が撤退しアレクシスたち騎士が残りのゴーレムを掃討していた。
だが遺跡全体が崩壊しかねないほどの激しい振動に、騎士たちは恐怖を感じていた。
「団長! ここは我々も退避しないと危険です!」
アレクシスが悲痛な声で訴える。騎士団長は部下たちを率いて退避するよう命じると、一人固い意志を宿した目で光の渦巻く制御室を見据えた。
「私は残る。王国の英雄が命を懸けて戦っているのだ。その結末を責任者である私が見届けずしてどうする!」
一人残った騎士団長が見守る中エリアーヌは最後の操作を行っていた。
そしてついに暴走していたエネルギーラインを、予備の冷却システムへと接続することに成功する。
その瞬間あれほど激しかった遺跡の振動と警告音が、ふっと嘘のように静まった。
渦巻いていた光が収束し制御室は穏やかな青い補助灯の光に包まれる。
そしてゆっくりと仮面の人物が中から姿を現した。そのローブは所々焦げわずかに息を切らしている。
「…はー、疲れました…」
仮面の下から漏れたあまりにも素直な本音。
「おお…! おおおっ!」
騎士団長はこらえきれずに歓喜の声を上げた。
【演習地・野営地】
エリアーヌがふらつく足で遺跡の外に出ると、そこには信じられない光景が広がっていた。
退避したはずのアレクシスたち騎士団員が全員整然と隊列を組んで待ち構えていたのだ。
そしてエリアーヌと騎士団長が姿を現した瞬間、誰かの号令と共に全員が一斉に寸分の狂いもない完璧な敬礼を捧げた。
「うむっ!」
騎士団長はその敬礼を威厳をもって受け止める。
エリアーヌはその荘厳でしかし居心地の悪い空気に耐えきれず、話を逸らすように口を開いた。
(うわぁ…気まずい…。早くこの場を離れたい…!)
「だ、団長殿! それよりまずは川の様子を確認しませんと!」
「おお、そうであったな! よし行くぞ!」
団長に促されるままエリアーヌは川辺へと向かう。その後ろを騎士たちがまるで凱旋将軍に付き従うかのように整然とついてくる。
(この尊敬という名の無言のプレッシャーが痛い! 辛い〜!! 早く帰りたい…! 一人になりたい…!)
背中に突き刺さる数十もの視線がエリアーヌの精神力をゴリゴリと削っていく。
川の水量は暴走中に吸い上げられた分が少しずつ放出され、一時的に増えてはいたが幸いにも危険なレベルではなかった。
「…念のため水質の検査を。暴走の過程で有毒な成分が生成されている可能性も否定できませんので。この水を採取しギルドの専門部署に回してください」
エリアーヌは懐から取り出した特殊なガラス瓶を、近くにいたアレクシスに手渡す。その専門家としての冷静な指示と淀みない行動に騎士たちは再び感嘆の声を漏らした。
「よし! これで一件落着だな! さあ今度こそ野営地に戻るぞ!」
団長と並んで歩かさせられ、その後ろにはズラリと並ぶ騎士たちの隊列。
(もう...辛い... 早く帰りたい...一人になりたい!)
そんなエリアーヌの願いも虚しく野営地にたどり着くと、そこでは残留部隊や姫の護衛たちまでが彼女の帰りを待ち構え完璧な隊列を組んでいた。
そして先ほどよりもさらに大きな規模での完璧な敬礼。
その中心でセシリア姫が満面の笑みで駆け寄ってきた。
「《翠玉の託宣者》様! ご無事で本当によかったですわ…!」
エリアーヌはもはや意識が朦朧としていた。
(もう休ませてください…)
だがそんな彼女の願いを熱狂する騎士たちが許すはずもなかった。
「さあ! 今宵は祝勝会だ! 英雄《翠玉の託宣者》殿を盛大にもてなすのだ!」
団長の号令一下、野営地はお祭り騒ぎの様相を呈し始めた。
そしてその宴の中心には当然のようにエリアーヌの席が用意されていた。
「さあさあ《翠玉の託宣者》殿! 遠慮はいらん、好きなだけ食ってくれ!」
団長が巨大な肉の塊を彼女の皿にどさりと置く。
「わははは! あのゴーレムとの戦いぶり見事であったぞ! あの時貴殿はこう風のように駆け上がってだな…」
(ああ…武勇伝の200%増し解説がまた始まった…)
エリアーヌはもはや抵抗する気力もなく、差し出された肉をただ虚な目でもぐもぐと口に運ぶ。味など全くしない。
次から次へと騎士たちが酒杯を手に挨拶にやってくる。
「《翠玉の託宣者》様! 我らの命の恩人です!」
「つきましては一度お手合わせを…!」
(もう無理…帰りたい…一人になりたい…)
極度の緊張と繊細な魔力操作による疲労は、既に彼女の限界をとっくに超えていたのだ。
また、頂いた飲み物の中に、アルコールの含まれた飲み物もあったようだ。
意識が遠のく。もう無理だ。
その時だった。
エリアーヌの身体がふらりとよろめいた。手に持っていた肉の塊がことりと皿の上に落ちる。
そしてか細いほとんど吐息のような声で、団長にだけ聞こえるように囁いた。
「すみません…。わたくしもう限界です…。少し休ませていただいても…」
その言葉と共にエリアーヌの身体が、ぐらりと椅子から崩れ落ちそうになった。
「ん!? あわわわわわっ!」
団長はその時初めて気づいた。
自分が頑強な戦士だと思い込んでいた英雄が仮面の下で、立っているのもやっとなくらい消耗しきっているという事実に。
「す、すまん! なんということを…! 俺はてっきり…!」
団長が巨大な身体を縮こまらせて慌てふためいてエリアーヌを支える。その狼狽ぶりは先ほどまでの威厳が嘘のようだ。
そこへセシリア姫がまさにこの瞬間を待っていたかのように、キッと眉を吊り上げて割って入った。
(チャーンス!)
内心でガッツポーズをしながらもその声は心からの怒りを装っている。
「団長! 《翠玉の託宣者》様になんてことをしてくださいますの! 無理強いにも程がありますわ!」
そして彼女は優しくしかし有無を言わせぬ力強さで、団長からエリアーヌを引き取った。
「…後はわたくしにお任せくださいまし。英雄様にはゆっくりとお休みいただく必要がありますから」
(ああ、疲れきっている《翠玉の託宣者》様…! 今こそわたくしが! しっかりとお護りしてさしあげますわっ! うふふふ…!)
セシリア姫は内心の喜びを完璧に隠し、侍女たちと共にエリアーヌを自分の天幕へとそれはもう甲斐甲斐しく支えながら運んでいった。
その道中、エリアーヌは、もはや完全に魂が抜けた操り人形のように、姫にされるがままになっていた。その様子を、姫が至極満足げな、そして少しうっとりとした表情で見つめていたことを、気づく者はいなかった。
その足取りは、心なしか弾んでいるように見えた。
一人宴の中心に取り残された騎士団長。
先ほどまでのお祭り騒ぎが嘘のように静まり返った中で、彼は頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
「あ……わし、やってもうたわ……」
その呟きは心からの後悔に満ちていた。
アレクシスをはじめとする騎士たちがどう声をかけていいか分からず、遠巻きに見守っている。
やがて団長は何かを閃いたかのようにガバッと顔を上げた。
「そ、そうだ! あの仮面の方、声からするとまだお若い娘のようだったな…。そうだ何か美しい宝玉でも見繕って差し上げれば、機嫌を直してくださるだろうか…?」
「いや団長、そういうことでは…」とアレクシスが口を挟もうとするが、団長の暴走は止まらない。
「いや待てよ…。いっそのことわしが今後の専属護衛に名乗りを上げるとか…! どうだ名案ではないか!?」
その完全に論点のズレたしかしどこか必死な様子に、騎士たちはもはや呆れるのを通り越して生暖かい視線を送るしかなかった。
どうやらアルビオン王国騎士団長はこの日一人の英雄に、心も身体も完膚なきまでに叩きのめされてしまったようである。




