第12話:野営の夜と、目覚める遺産
【野営地・中央天幕】
中央天幕の中は張り詰めた空気に満ちていた。
騎士団長が厳しい顔で椅子に座り、その前にはあの護衛隊長が顔面蒼白で直立不動の姿勢を取っている。
エリアーヌが入っていくと騎士団長は立ち上がり、深々と頭を下げた。
「《翠玉の託宣者》殿。この度の我が隊の者の非礼、団長として心よりお詫び申し上げる。誠に申し訳なかった!」
そして護衛隊長の方を鋭く睨みつける。
「おい! 貴様もだろう!」
「は…はいっ!」
護衛隊長はびくりと肩を揺らすと、まるで壊れた人形のようにぎこちなくエリアーヌの前に進み出て、土下座せんばかりに頭を下げた。
「こ、これまでの無礼の数々…! ま、まことに申し訳ありませんでしたっ!」
その必死な姿にエリアーヌは仮面の下で小さくため息をついた。
「…顔を上げてください。私自身十分に怪しいと自覚しておりますので、貴方の懸念も無理からぬこと。お気になさらず」
「し、しかし…!」
「団長殿。彼をあまり厳しく処罰なさいませんよう。これも姫様を思うが故の忠義でしょうから」
予想外の言葉に騎士団長も、そして護衛隊長自身も驚いて目を見開いた。
「…下がれ」
騎士団長に促され護衛隊長は何か言いたげな、しかし戸惑いに満ちた表情で、すごすごと天幕から出て行った。
二人きりになったところでエリアーヌは団長に向き直った。
「団長殿。少しだけお耳を」
彼女は声を潜めて続ける。
「私の見た目も素性も怪しいのは重々承知の上です。正直こんなことで個人的な恨みを持たれても後々面倒ですので。彼の処罰はどうかご寛大な措置をお願いいたします」
その言葉に騎士団長は目の前の仮面の人物への評価を、また一段階引き上げた。
「…承知した。貴殿の顔に免じ厳重注意に留めておこう。…重ね重ね感謝する」
騎士団長の心からの言葉だった。
【騎士団・演習地】
翌日、一行はついに騎士団の演習地に到着した。
広大な敷地にはいくつもの訓練場が設けられ、騎士たちの力強い声と剣戟の音が響き渡っている。
騎士団長への正式な挨拶を済ませ姫が演習の様子を見学していると、彼女が不意にある一点を指差した。
「まあ…! あちらにいらっしゃる方、とても真剣な眼差しで素敵ですわね!」
その言葉にエリアーヌはぎくりとして視線を向けた。
そこにいたのは汗を流しながら一心不乱に木剣を振るう、見慣れた姿だった。騎士学部のアレクシス・フォン・ヴァリエール。
(アレクシス先輩…!)
エリアーヌは仮面の下で心臓が大きく跳ねるのを感じ、咄嗟に顔を背けた。
(お願いだから気づかないで…! ここでアカデミーの関係者に気づかれたら面倒なことになる…!)
彼女はこのまま何事もなくこの演習期間が過ぎ去ることだけを、ただひたすらに願っていた。
だがそんな彼女のささやかな願いとは裏腹に、事態は思わぬ方向へと転がっていく。
演習地の隅にある川の上流の方角から、数名の騎士が慌てた様子で駆け寄ってきたのだ。
「団長! 大変です! 川の水が急に…! 急激に減り始めています! このままでは野営地の飲料水が…!」
騎士たちはただの干ばつだろうと報告する。
しかしその言葉を聞いた瞬間エリアーヌの全身に、緊張が走った。
(この演習地の上流…確かこの川の上流には、旧帝国時代の『水利制御施設』の遺跡があったはず…!)
まさかという嫌な予感が胸をよぎる。
エリアーヌは誰にも気づかれないようそっと五感を極限まで鋭敏化させた。
すると捉えた。大地を伝わるごくごく微かなしかし周期的な振動。それは自然界にはありえない巨大な機械が稼働する音。
次に視力を強化する。大気中に満ちる常人には見えない魔法粒子の流れに意識を向ける。川の上流の方角からまるで巨大なポンプで吸い上げられるかのように、魔力が渦を巻きながら一つの点へと収束していく。その流れは不自然で歪で危険なほどに密度を増していた。
間違いない。
あの遺跡が永い眠りから目覚め、そして暴走を始めたのだ。
エリアーヌはぎゅっと拳を握りしめた。彼女は静かに騎士団長へと歩み寄る。その仮面の下の瞳には先ほどまでの動揺はなく、これから始まる戦いを見据えた鋭い決意の光が宿っていた。




