第11話:王家の剣と偽りの馬車
【アルビオン王国・王都】
出発の日の朝。エリアーヌはアカデミーへ向かうふりをして家を出た。そして王都の雑踏に紛れ人目につかない寂れた路地裏へと入る。そこは彼女が《翠玉の託宣者》へと「変身」するために見つけた数少ない安全な場所の一つだった。
深緑色のフード付きローブを羽織り翠玉の仮面を装着する。ただの学生エリアーヌは消え、そこにいるのはミステリアスな英雄《翠玉の託宣者》だった。
王宮の壮麗な門の前。指定された時刻にエリアーヌが到着すると、そこには王家の紋章が輝くいかにも豪奢な馬車が停まっていた。その傍らではセシリア姫が護衛隊長と思われる壮年の騎士と親しげに談笑している。
エリアーヌが近づくと隊員の一人がまるで壁のようにその前に立ちはだかった。
「何者か!」
鋭い誰何の声。エリアーヌは魔法で変えた声で静かに応えた。
「《翠玉の託宣者》と呼ばれている者です。セシリア姫殿下の護衛依頼をギルドを通じて拝命いたしました」
その言葉に隊員はあからさまに眉をひそめた。
「我々国王陛下直属の近衛騎士団だけで護衛は充分である! 身元も明かせないような怪しい者を受け入れることなどできん! お引き取り願おう!」
その剣幕に談笑していた護衛隊長が気づきこちらへ歩いてくる。
「よせマルク。本件は国王陛下よりの発案と聞いている。そなたの気持ちには私も同意するがその者がペテン師であったとしても、指示は国王陛下からのもの。我らが異論を唱えるわけにはいかん。今回についてはやむを得ぬことと理解せよ」
その口調は部下を諭すようでいてエリアーヌに対する不快感を隠そうともしない、粘着質な響きを持っていた。
その時、凛とした声が響いた。
「《翠玉の託宣者》様。わたくしの護衛の者共が大変失礼をいたしました」
セシリア姫だった。彼女は優雅な仕草でエリアーヌに一礼すると毅然として続けた。
「ご一緒の馬車を用意しております。どうぞこちらへ…」
「姫様! さすがに同じ馬車は認めるわけには…!」
護衛隊長が慌てて口を挟む。だが姫は冷たい視線で彼を一瞥した。
「お父様には既に承知をいただいております。また道中はご一緒し様々なお話を伺うようとのご指示も。…何か問題でも?」
「し、しかし…!」
「この話は終わりです。さあ《翠玉の託宣者》様。中へお越しください」
姫はそう言うとエリアーヌを促し、さっさと馬車に乗り込んでしまった。
(やれやれ。護衛隊長も大変だな。まあ確かにどう見ても不審人物でしょうし)
エリアーヌは内心で肩をすくめながら後に続いた。
馬車が動き出すとセシリア姫は先ほどまでの毅然とした態度から一転、悪戯っぽく微笑んだ。
「あの隊長、真面目なのは良いのですが頭が固くていけませんわ。…さて早速ですがお聞かせ願えませんか? 先日の『開かずの砦』でのご活躍を」
【野営地】
その夜、野営地。
エリアーヌが一人周囲の警戒をしているとあの護衛隊長が近づいてきた。
「《翠玉の託宣者》殿。少しよろしいかな」
彼は周囲に部下がいないことを確認すると吐き捨てるように言った。
「お前のような王家に取り入ることだけがうまい輩に、我々の神聖な任務を乱してほしくない。速やかに辞退を申し出て退去されるよう忠告しておく。…では」
一方的にそれだけ告げると彼は満足げに踵を返した。
エリアーヌはその背中を見送りながら仮面の下で小さく動揺していた。
(…確かに不審人物ですものね。彼の不満と不信はよく分かります。でも…この任務は国王様から直接受けたもの。一度受けたからには最後までやり遂げないと…。それに何より私、悪いことなんて何もしていない…と思いますし?)
彼女はぎゅっと拳を握りしめ自らを奮い立たせるのだった。
【演習地・団長室】
演習地に到着した日の夜。護衛隊長は騎士団長に報告を行っていた。
「――以上です。つきましてはあの正体不明の者を即刻、護衛任務から外していただきたく!」
自信満々に進言する彼をしかし騎士団長は氷のような目で見つめていた。王妃から直々に「《翠玉の託宣者》殿にはくれぐれも失礼のないように」と釘を刺されている騎士団長にとってその報告は、己の首を差し出すに等しい愚行だった。
「…貴様、騎士道を何と心得ておるか!」
雷のような怒声が団長室に響き渡った。
「え…?」
「国王陛下がそして王妃殿下が直々にご信頼を寄せられている方をただの『ペテン師』だと!? 特に貴様は陛下直属の近衛騎士であろう! その勅命を忠実にこなすこともできずあまつさえ己の私見で捻じ曲げようなどと、言語道断ッ!」
護衛隊長は何が起きているのか理解できず、ただ顔面蒼白で立ち尽くす。
騎士団長は深く深く息を吸い込むと、部下の愚かさを恥じるように机に拳を叩きつけた。
「今すぐ《翠玉の託宣者》殿の元へ赴きこれまでの非礼を、土下座してでも詫びてこい! そして貴様は今回の任務が終わり次第、再教育プログラム行きだ! いいな!!」
その頃エリアーヌはそんな騒動が起きていることなど知る由もなく、セシリア姫と夜空の星座について語り合っていた。




