第99話 密会
俺とガエビリスが連れて行かれたのは、真四角でのっぺりとした、まるで巨大な墓石のような建物だった。頑丈な鉄扉をくぐって中に入った後、暗い廊下を延々と歩かされ、何度も角を曲がり、階段を上り下りさせられた。そして辿り着いたのは、何も置かれていない空っぽの部屋だった。「しばらくここにいろ」その言葉だけで詳しい説明もなく、倉本と男たちは足早に去って行った。たった一つの出入り口には外から錠が下ろされた。
「……さっそく捕まってしまったわけだが」
「そうね」ガエビリスは素っ気なく言った。
きっと、あまりのお粗末な展開に呆れているのだろう。魔王と戦うどころか、こんな目に遭ってしまうなんて。頼みの綱の聖剣は押収され、それどころか、身の回りの品や資金を納めた背嚢さえも宿屋に置き忘れ、文字通りの無一文になってしまった。
俺は必死に頭を絞ってここから脱出するすべを考えに考えた。だがいいアイデアは何も浮かばなかった。こんなことなら、最初に倉本たちに取り囲まれた時に、必死に抵抗して逃げておけばよかった。だけど、あの時はまさか倉本が敵の側だとは思いもよらず、なかなか頭を切り替えることができなかった。それに、必殺の威力を持つ神授の聖剣で斬りつけたりすれば、倉本も無事では済まなかっただろう。かつての仲間を無残に斬り殺すことなどできるはずがない。
いや、倉本のことだ。あいつなら神授の聖剣さえ巧みに回避し、逆に俺が返り討ちにあっていた可能性も高い。たとえ知り合いだったとしても、あいつはやる時はやる奴だ。そう考えると、下手に動かなかったのはむしろ正解だったのかもしれない。いや、きっとそうに違いない……。
「ワタナベさん、独り言もいいけど、誰か来るみたいよ」
彼女の言うとおり、しばらくして錠が外される音がして扉が開いた。二人の護衛兵に伴われて入ってきた男は、俺とガエビリスに濡れたタオルと衣服を手渡した。そして手短に、これからある人物との会見が予定されていることだけを告げて静かに去って行った。
渡された服は、デザインは簡素だがかなり上等な生地が使われていた。俺は濡れタオルで乾きかけたスライムの粘液をぬぐい取ると、服を着て待った。ガエビリスの服は白いブラウスと丈の長いスカートだった。
小一時間が過ぎた頃、ノックがあり、再び扉が開いた。
最初に入ってきたのは倉本だった。その後に続いたのは、深緑のローブをまとった見知らぬ老人だった。その威厳ある雰囲気と態度から判断して、かなり社会的地位の高い人物のようだ。倉本はその男に向かって無言で頭を下げると、すっと脇に下がって控えた。
痩せた老人は俺の前で立ち止まると、真正面からじっと目をのぞき込んできた。黒く潤んだ瞳はまるで底知れぬ眼力でもって俺という人間の全てを見透かそうとするかのようであった。
「あの……失礼ですが、私が何か……」老人の凝視に堪えかね、俺は口にした。
だがその言葉は老人の耳には届かなかったようで、彼はひとり思案を続けていた。
「ふむ……この男であろうか。だがしかし……。う~む」
「あの、すいません。いったいこれって何なんですか?おい、倉本、この爺さんは誰なんだよ?」俺は壁際で黙って立っている倉本に呼びかけた。
「無礼だぞ渡辺。このお方こそ、聖教会の教主様であられるぞ。控えよ」
「え?教主様。この人が」
「お前、無知にもほどがあるぞ渡辺……」倉本は頭を抱えた。
「ガエビリス、知ってた?」「ええ」「じゃあ、教えてよ……」
では、聖教会の教主様がなぜこんな場所に現れたのか。
その答えは、彼自身の口から語られた。
半年ほど前から、聖教会の僧侶たちはこの都市をすっぽりと包み込む広大な邪気の存在を感じ取っていた。表面的には景気も良く、活気もあり、街は平和を謳歌しているように見えた。だが、毎日のように不可解な事件や事故が相次ぎ、自殺者や失踪者も数を増やしていた。繁栄の陰で何か不穏な事態が進んでいるのかもしれないと聖教会は疑念を抱きはじめた。
そんなある日、教主様は白昼に天からの啓示を得た。
昼の礼拝を終えて大聖堂の回廊を歩いていた彼はめまいに襲われ、突如、白い光に包まれた。まばゆい光に満ちた中で教主が見たのは、新たな勇者降臨のビジョンだった。幻視の中で、新しい勇者は邪気の源たる地に潜む魔王を滅ぼし、この都市に真の解放をもたらしていた。
啓示を受け、聖教会は新しい勇者を探し始めた。
新しい勇者も、過去のすべての勇者たちと同じく別世界からの来訪者で間違いないと考えられた。そこで聖教会は有名な転移者である、倉本と佐々木、それに野村と紗英の四人と面会を持った。だが教主の霊感の告げるところでは、彼らは勇者ではないように思われた。それどころか、野村からはかすか邪気さえ感じられた。
だが、彼らとの接触は無駄ではなかった。
倉本と佐々木からは、現実にこの都市の地下には強大な「敵」が棲息しており、自由騎士団や夜警はそれと人知れず苦しい戦い続けているという証言を得ることができた。天啓の内容は裏付けられたのだ。
「つぎに聖教会が目をつけたのは、君なのだよ。ワタナベくん。勇者たちと同じ世界から来た、残る一人である君に。我々はクラモト隊長の協力で、治安維持局捜査官たちの力も借りて君を探し続けていたのだ」
人探しにかけては、治安維持局の犯罪捜査官たちの右に出る者はいない。彼らの顔認識能力は魔術で強化されていて、一度見た人間の顔をけっして見逃すことがない。年齢を取ろうが、整形や変装でごまかそうが、必ず見破るという。
「……そうだったんですか。じゃあ、なぜ俺たちをこんな所に閉じ込めるんです。早くここから出してくださいよ」
「ワタナベくん、これは君を守るためのやむを得ぬ措置なのだよ。許してほしい」
倉本が口を開いた。
「お前もさっき目にしただろう。あのスライムの大群を。あれこそが、教主様のおっしゃられた「地に潜む魔王」だ。この都市の地下は、いまや奴らに完全に支配されている。以前、俺たちは総力を結集して奴らを殲滅しようとした。だがそれは失敗に終わった。多くの犠牲者が出た。奴はただのスライムではない。高い知能を持ち、魔物や人間に変身して襲ってくる。そして、これが一番恐ろしい点だが、奴らは下水管を通って、この都市のどこにでも自由に侵入できるのだ。そして、そこらじゅうの排水口に潜んで、街のあちこちで交わされる会話に聞き耳を立てているのだ。奴を排除しようという作戦はいつも事前に察知され、潰されてきた。多くの仲間が、自宅で就寝中に下水管を通って侵入してきた敵に殺された」倉本は悔しげに眉根を寄せた。
教主様が言った。
「この建物は外部から厳重に隔離されている。窓はないし、下水道と直接繋がる配管もない。よって、下水道からスライムが侵入することもない。ここにいる限り、君は安全なのだよ、ワタナベくん。
君はこの建物が何か知ってるかね。ここはかつて、聖教会の異端審問所だったのだよ。その後、精神強制措置が実用化されるまでの間は監獄として使用されていた。往々にして脱獄犯の逃走経路として使われてきた下水管をなくすことで、ここは脱出不能の死の監獄となりえたのだ。いにしえの日々の忌まわしき遺物が、思わぬ形で役に立つことになったものだ」
「魔王には、俺たちがまだお前の価値に気付いていないと信じさせておくことにした。だからお前は犯罪者としてここに連行した。多少手荒だったかもしれんが、そういう事情だ。治安維持局の捜査官は、お前が都市に入ってきた直後から存在に気付いていた。その後、保護するタイミングを見計らいながら監視してきたが、もし俺たちが監視していなかったら、お前は殺されていたかもしれんな。感謝しろよ」倉本が言った。
俺は姿勢を正すと、教主様に向かって言った。
「そういう事情でしたか。わかりました。実は俺たちも魔王を倒すためこの都市に戻ってきたのです。教主様が考えておられる通り、俺は……私は、間違いなく勇者です」
教主様は何かを測るように無言で見つめてくる。俺は唾を飲み込みながら言った。
「……その証拠は、あの剣です。私は神授の聖剣、セクタ・ナルガを扱えるのです。旅の途中で、魔王の使徒を名乗る敵を斬りました。この都市に来てからは、その剣で魔物を何体も倒しました。しかし、体が消え去ることはありませんでした。だから私は、聖剣に選ばれた勇者に間違いありません」
壁際に立っていた倉本が歩み出て、俺の前に立った。
そして、鞘に収まった神授の聖剣を、柄をこちらに向けて差し出した。
俺はそれをしっかりと握ると、教主様の見守る前で、ゆっくりと鞘から引き抜いた。光を反射しない漆黒の刃が現れた。
「……どうやら、君の言葉に間違いはないようだ。新たなる勇者ワタナベよ、我らをお救いください」
教主様は床にひざまずき、深々と頭を垂れた。




