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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅲ部
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第94話 ギレビアリウスの探求

 すべての使徒たちを制圧し、支配下に置いたギレビアリウス。

 彼は早速、次なる目標、すなわち魔王の支配に向けて着々と計画を進めていった。



 その第一段階は、魔王について知ることだった。

 そもそも魔王とはいったい何なのか。その正体は、生理機能は、戦闘能力は、そして限界は……。それらの謎を徹底的に究明して、はじめて対象を支配することが可能になる。ギレビアリウスは野心だけでなく純粋な知的好奇心にも突き動かされていた。


 研究分野は生物学から魔術学まで多岐にわたり、さすがのギレビアリウスも膨大な研究活動を一人で進めるのは不可能だった。

 そこで彼は自分の分身を複数体作成し、それぞれに各分野を専属で当たらせることにした。


 分身を作り出すこの技能(スキル)は、ゾルス・ロフから手に入れたものだった。

 幼少期に激しい虐待を受けて育ったゾルスには、多重人格的な傾向があった。その特異な心理特性が、使徒と化した時に自我を分裂させ分身を作り出す技能として開花したのだ。ギレビアリウスはゾルスに提供させた分身を徹底的に解析し、分身スキルをもたらすモジュール構造を分離することに成功した。彼はそれを複製し、自らの内部にインストールした。そしてゾルスと同等の分身能力を獲得した。



 分身の一体、生物学者(バイオロジスト)ギレビアリウスは、閉鎖された研究施設で魔王の物理的実体である変異型スライムの研究に取りかかった。


 政府の魔道顧問ヴィルタス教授としてノムラ市長に仕えていた頃と違い、もはやこの施設に大勢の職員たちの姿はない。雨戸を固く閉ざした室内は暗く、空気が淀んでかび臭かった。

 しかし実験室には豊富な機材が残され、資料室の書架には大量の文献が放置されたままになっていた。

 まさに誰にも邪魔されずに、存分に研究を進められる理想的な環境だった。


 じつは、ヴィルタス教授を名乗っていた頃からすでに、変異型スライム群体の研究はある程度進んでいた。ただ、当時は「敵」への対抗策を見つけ出すことが目的だったが。


 自由騎士団が下水道で捕獲した「敵」のサンプルを分析にかけた結果、細胞質に奇妙な共生体が住み着いていることがわかった。それらは普通種のスライムには見られないことから、その共生体が愚鈍なスライムに驚異的な力を与えていると推測された。

 だがそこでギレビアリウス自身の死により研究は中断していた。


 ようやく新しい体にも慣れ、落ち着いて研究に専念できる状況になった今、生物学者はまずはその続きから着手することにした。


 謎の共生体の正体を突き止めるため、まずはスライム細胞をばらばらに壊して内部の共生体を取りだそうとした。変異型スライムは強靭で、強酸や強アルカリにも抵抗性を示したが、分解魔術との併用で何とか細胞を壊すことができた。顕微鏡で観察すると、共生体は鋭い棘が密生した固い殻に包まれ、まるで微小なウニのようだった。文献を調べたが、これに似た微生物や細菌は見つからなかった。


 形態の観察からはこれ以上の手がかりが得られなかったので、共生体の遺伝子を調べてみたが、まさにそれが大当たりだった。共生体の遺伝子配列はある意外なものの遺伝子と95%以上の一致を示した。その意外なものとは、魔王ユスフルギュスだった。


 魔王と人類とのかかわりははるか数千年昔に遡り、人類の文化や歴史に及ぼしてきたその影響は計り知れない。だが、魔王そのものについての科学的研究はほとんど進んでいなかった。それも当然の話で、生きて活動している魔王は恐るべき脅威で、接近して観察することさえままならない。逆に死後は、勇者に倒された瞬間から急速に組織の消滅が進み、標本を保存しておくことすらできない。ホルマリンなどの保存液に漬けておいても数日のうちに分解してすっかり消え去ってしまうのだ。


 だが、魔術と科学技術の進歩のおかげで、過去百年間に出現した二体の魔王、大魔王シゾラとユスフルギュスについてはある程度の科学的調査結果が残されていた。特にユスフルギュスについては、勇者アキモトに同行して北方大陸に赴いた軍の科学者たちが詳細なデータを公表していた。そこにはユスフルギュスの遺伝子配列のデータも含まれていた。


 元来、スライムは多くの共生体、あるいは寄生体をその身に宿している。ウイルス、細菌、菌類、原生生物、線虫、それに昆虫の幼虫まで。

 ろくに免疫系もなく、ぶよぶよと柔らかく栄養満点なその体内は多くの生物の格好の住み家だった。自らスライムに侵入したものもいれば、スライムに飲み込まれたものの、なぜか消化されずに体内に定着したものもいる。

 どういう経緯かは不明だが、何らかの理由でこの都市に運ばれた魔王ユスフルギュスの細胞も同じような運命をたどって共生体になったのだろう。


 魔王ユスフルギュスに由来する共生体は、微弱なテレパシーを放っていた。細胞中に何千と群れなすそれらは、テレパシーを介して相互に結びつき、情報をやり取りしあっていた。まさに神経細胞のように。共生体の織りなすネットワークが魔王の意識を、そして広大な精神空間を生み出していると推測された。


 魔王の物理的実体としてのメカニズムはおおむね解明された。生物学者は地下に戻った。

「ご苦労だったな、生物学者(バイオロジスト)

 生物学者はギレビアリウス本体と再統合し、自分が得た研究成果をそっくり譲り渡した。



 科学的研究と同時に、精神空間の内側では魔王の意識の探求が進められていた。


 それにあたったのは、心理学サイコロジストのギレビアリウスだった。彼は生物学者と違い、肉体を持たない。その活動領域テリトリーはもっぱら、魔王の意識が潜む精神空間の深部に限られていた。


 精神空間に充満する膨大な量の思念や記憶の断片。そのほとんどが都市に住む人間に由来する。

 喜び、悲しみ、怒り、憎しみ。そして、愛情、興奮、恐怖、苦痛、焦燥、倦怠、嫌悪、不安、敵意……。人々が日常的に体験するこれらの情動は、排泄物とともに、あるいは抜け毛や皮膚の欠片、血液などの体の一部とともに、下水道に広がる魔王の王国へと絶えず流れ込んでくる。魔王はそれらを残さず精神空間に取り込んできた。


 取り込まれた情動と記憶は、ドロドロに溶解して混ざり合い、精神空間の深みでゆったりと対流する大規模な混沌の渦と化していった。それは都市に住む人間たちの集合的無意識そのものと言ってもよかった。


 おそらく、その昏い混沌の渦の奥底に、魔王そのものの意識が隠れている。

 心理学者は、他の使徒たちが恐れて近づかない、その暗赤色にくすぶる思念の渦へと果敢にも飛び込んでいった。


「…………」

 高圧の渦を耐え抜き、どこまでも沈み込んでいった心理学者は気配を感じて目を開いた。

 そこに、奇怪な存在が浮かんでいた。

 無数の触手に覆われた軟体動物のような黒い怪物が、無数の眼で彼を凝視していた。心理学者は問いかけた。


「あなたが、魔王か?」

「そうだ」その声はまぎれもなく何度も耳にしてきた魔王のものだった。これまで声を通じてしか知らなかった強大な存在についに直接相対して、ギレビアリウスは珍しく緊張を覚えた。


「お初にお目にかかります、我が主よ」


「自我を浸蝕する混沌(カオス)を耐え、よくぞたどり着いた、ギレビアリウス。ここまでやって来たのはお前が初めてだ」


「お褒めに預かり、光栄です」


「私は待っていたのだ、お前がここに来るのを。お前は他の使徒どもとは違う、特別な存在なのだからな。さあ、近寄るがよい。お前に渡すものがある」


 その言葉とともに、もつれ合う魔王の触手が左右に分かれ、どす黒い肉に裂け目が開いた。


 そこから、一粒の結晶体が漂い出た。それは、黒曜石のように鋭利で硬質な輝きを放っていた。

 心理学者は直感した。

 これは魔王の記憶だ。かつて世界を脅かした魔王ユスフルギュスが秘めていた、人智を超えた記憶なのだ。

 結晶は周囲に、人間ではありえないレベルの高濃度の悪意を放射していた。うかつに触れれば、精神に回復不能な傷を負うことになるだろう。


「……さあ、知るがよい。ダークエルフの末裔たるギレビアリウスよ。私がいったい何者であるのか、そして何者であったのかを」


 強烈な好奇心にうながされ、心理学者ギレビアリウスはおそるおそる黒い欠片に手を伸ばした。



 接触した瞬間、強い衝撃が彼を打ちのめした。それは高密度に圧縮された情報の塊だった。逆流してくる情報の奔流に精神が焼き切れそうになった。だが彼は瞬時に意識の容量を何十倍、何百倍にも拡張させて何とかそれを凌ぎきった。


 予想していた通り、それは魔王の記憶だった。だが、予想に反し、それはユスフルギュスだけのものではなかった。


 そこに詰め込まれていたのは、過去に存在した、すべての魔王の記憶だった。

 過去数千年間に出現した百体余りの魔王。その姿形は様々で、出現した時代や地域は遠く隔たっていた。にもかかわらず、それらはすべて同一の存在だった。ユスフルギュスもシゾラもカンタビナもゾルガスベキオゴロンもカシェーガも、同じ存在が見せた異なる(かお)に過ぎなかった。


 歴代の勇者に倒され、その都度、完全消滅したかに見えても、魔王は目に見えない状態になってしたたかに生き延びてきた。

 ユスフルギュスがスライムの共生体の形で生存したように、シゾラは空中を漂う魔力の波動として、カンタビナに至っては書物に記された文字の形で消滅を免れ、そして時が流れ再び力を取り戻すと魔王として顕現した。


 ギレビアリウスは魔王の連鎖をはるかな過去へと遡り、ついに最初の魔王、大魔王グスと初代勇者アルルノドとの神話的な戦いへと辿り着いた。だが結晶に秘められていた記憶はそれで終わりではなかった……。


 魔王の最も古い記憶。それは暗闇に閉ざされていた。

 立ち並ぶ巨石の柱が、闇の中に果てしなく続いていた。心理学者ギレビアリウスはその光景に既視感を覚えた。それもそのはず、それはこの都市の地下に今も広がる地下迷宮の過ぎ去りし日の姿だった。

 そこは今日のように空虚な廃墟などではなかった。分厚い岩盤の下の地下空間には無数の小さな人影がうごめいていた。人々は蟻のように一本の行列を作り、その列は柱に沿ってどこまでも続いていた。彼らは人間ではなかった。肌の色は乳白色に近く、瞳は深い青緑で、その耳は長く尖っていた。そこにいたのはすべて、古代ダークエルフ、闇の血統の者たちだった。心理学者ギレビアリウスの意識は、彼らの上空を浮かびながら延々と続く行列を先へと辿っていった。


 行列の終着点には巨大な石段があり、その頂には重厚な石造りの玉座が据えられていた。闇の血統の者たちは頂きに座す偉大なる皇帝に拝謁するために並んでいたのだ。

 玉座に就いた皇帝もまた黒衣をまとっていた。だがその豪華絢爛さは比べものにならなかった。宇宙空間の冷たく透き通った暗黒、閉鎖された坑道の暗黒、熱帯林の夜の重苦しく湿った暗黒……様々な質感、色調、濃度の黒で織りなされたそのローブは、複雑なドレープを形作りながら足元まで優雅に広がっていた。

 皇帝の肌の色は青に近く、頭には鈍い輝きを放つ灰色の金属でできた王冠が載っていた。


「……ニオブ、イリジウム、タンタルの合金にて鋳造されたる冠を頭上に頂き、闇に包まれたる玉座より、血統に連なりし者どもに長きにわたり栄光をもたらせり……」


 心理学者ギレビアリウスの口から思わず言葉が漏れた。聖典に記されし一節、古代ダークエルフ王朝の絶頂期をもたらした偉大な皇帝についての記述だった。彼は畏怖の念に打たれていた。


「まさか……あなたが最初の魔王だったのですか。永世帝……ギレビアリウスよ」


 玉座に就いた偉大な皇帝が物憂げに顔をあげ、心理学者ギレビアリウスを見た。複雑な模様を描く青い光彩の中心で、縦長の瞳孔が細められた。

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