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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅲ部
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第90話 取り引き

 野村は暗闇の中で意識を取り戻した。


 ここはどこだろう。それに一緒にいた仲間たちはどうなったんだ。

 周囲は静まり返り、物音一つ聞こえない。



 あの時、野村たちは突如生じた地割れの中に転落した。地割れの底には巨大なスライムが待ち構えていて落下した野村たちを底なし沼のように飲み込んだ。どんなにもがいても沈み込む一方で脱出できず、やがて鼻と口をスライムで密閉され、野村は意識を失った……。



 野村はゆっくりと体を起こした。体じゅうに粘液がべっとりと付着していたが、幸いどこにも怪我はなさそうだ。人差し指の先に小さな発光魔術の光を灯し、それをペンライトのように使って周囲を探った。


 すぐにわかったのは、ここが下水道ではないという事だ。壁はむき出しの岩盤で、床は乾いている。おそらく、かつて石材採掘に使われた坑道の跡だろう。この都市の地下にはこういった坑道跡が迷路のように張り巡らされていて、その一角に不法居住者が住み着き「地下の街」を作っていたのだ。



 より詳しく調べようと、魔術光の照度を上げた時だった。

 野村は息をのんだ。

 光が、それまで闇の中に潜んでいた者たちの姿を浮かび上がらせた。

 数十名はいる。全員、身動き一つせず彫像のように立っている。そして無言のまま野村に向けてじっと視線を注いでいた。


「……気が付いたようだな」

 その中の一人が前に進み出た。先ほど、体に臓物を巻き付けていた異常な男だった。だが今はちゃんと衣服をまとっている。今回もこの男が「敵」を代表して話しかけてきた。これが「敵」のリーダーなのか。

 野村はいつでも魔術を撃てるように身構えた。


「おいおい、ちょっと待ってくれよ市長さん。何もあんたとやり合いたくてここに連れ込んだわけじゃねえんだからさぁ。俺の名はゾルス・ロフ。偉大なる御方の第一の使徒さ」


「ゾルス……。いったい何が目的だ」


「いや、うちらのボス、かの偉大なる御方が、あんたとじっくり、サシで話がしたいんだってさ。ここなら邪魔も入らないし、うってつけだぜ。お、ボスが表にお出になるそうだ。ちょっと待ってな……」



 そう言うと、ゾルスは後ろに引き下がり、右手で隣りに立つ肥満体の中年男の腕をつかんだ。さらに左手で寄り目の青年の手を握った。ゾルスに腕を握られた二人はそれぞれの隣に立つ者の手を取った。同様にして不気味な集団は互いの手を握り合い、ひとつながりになった。

 震えが腕を伝って集団全体を走り抜けた。と、つかんだ手と手が溶けて融合しはじめた。蝋燭が溶けるように人々は徐々に形を失い、溶けあって、巨大な赤黒いスライムの塊へと姿を変えていった。



 やがて、スライムの塊全体が脈動し、その一部分から何かが、いや、誰かの姿がゆっくりと形成され始めた。

 背が高くスリムな体型でありながら、筋肉質で引き締まった体つき。

 そして爽やかでありながら、威厳と自信に満ちた表情。

 野村がその男の顔を見間違うことはありえなかった。


「……秋本……俊也……」野村は息を喘がせた。


「よぉ、久しぶりだな、野村」秋本の姿をした者が微笑みを浮かべて言った。


「……どういうことだ。なぜお前がここに」


「簡単な事だよ。俺はお前たちの罠にはまり、都市結界の発動機(ジェネレーター)でベクトルが反転したシールドに押し潰されて死んだ。そしてシールドの過負荷で鉄塔が倒壊した時、その瓦礫は地下の下水道へと崩れ落ちた。俺の死体もろともな。そこにちょうど成長途上の変異型スライムがいて、俺の死骸から細胞を取り込んだって訳だ。あの時はよくもやってくれたな、野村」勇者、秋本は朗らかに笑いながら言った。


 野村は手のひらから放電魔術を放った。雷撃の槍が秋本めがけて飛ぶ。

 だが秋本は安々とそれを素手でつかみ取るとあっさり握り潰した。秋本の手から煙が立ち上る。


「落ち着けよ、野村。俺はお前と話がしたいんだ」


「……何の話だ」


「取引の話だ。お前も取引は好きだろ?悪い話じゃないと思うからまずは聞いてくれ」


 野村は興味を引かれ、秋本の話に耳を傾けた。

「俺たちは下水道に生息し、この都市から垂れ流される汚濁を糧にして成長してきた。俺たちが本当はどれだけ巨大か、お前が知ったら驚くだろうな。さっきの戦闘でギレビアリウスが魔術で消し去った俺でさえ、全体から見ればほんの一部分に過ぎないんだぜ。今の俺は、この都市の地下全体に深く、広範囲に広がっているんだ」


 この話しぶりから判断すると、秋本の口と姿を借りているが、その背後にいるのはスライムそのもののようだ。「で、何が望みだ」野村は言った。


「共存共栄さ。俺はまだまだ成長したい。都市に住む人間が出す汚れをもっと取り込んで、より大きく、より強くなりたい。だからお前は市長として、この都市をより繁栄させてほしい。人口を増やし、産業を活性化させ、より大量の汚物を下水道に流し込んで欲しい。

 そのかわり、俺は地上に対する干渉はいっさいしない。それどころか、都市の繁栄に寄与するのであれば、お前に協力してもいい。お前には政敵が多いだろ、野村?軍、反体制派の市民、王族、犯罪組織……俺なら排水口を通じてどこにでも侵入し、誰にも知られず邪魔者を消せる」


「もし、断れば?」


「今のお前に選択の余地があると思うか?自由騎士団はほぼ壊滅し、お前は武力的な後ろ盾を失った。そしてお前の懐刀、ダークエルフのギレビアリウスも……。万一、地上に戻れたとしても市長の座には留まれないだろう。そもそも、交渉が決裂した場合、お前を生きて地上に帰すつもりなんてないんだけどな」

 はははは、と秋本俊也は声を上げて笑った。


 まさか、ギレビアリウスも死んでしまったのか。

 だが、友の死に衝撃を受けている場合ではない。

 野村は考えた。このスライムは生死に関わらず、人間の遺伝子を取り込み、そっくりになりすます能力を持っている。そうであれば野村も殺して吸収し、地上にコピーを送り込んで好きに操ればいいのだ。だが、そうせずに取引を持ちかけているということは、何かできない理由があるに違いない。おそらく、明るく乾燥した地上ではコピーは長く生存できないのだろう。


 こいつは地下では無敵に等しい力を持っていながら、地上を征服するだけの力はまだ無いのだ。

 だが、このまま成長と進化を続けたら、そう遠くないいつの日か限界を乗り越えるだろう。そして地上の都市を飲み込み、すべてを取り込んで食い尽くすだろう。


 そうなる前に何としてもこの「敵」を滅ぼさなければ。

 だが、そのためにはまず、この恐ろしい敵の存在を知る自分が地上に生還しなければならない。

 自由騎士団は失ったが、まだ軍がいる。将軍を何人か金で懐柔し、こちら側に取り込むことは可能だろう。個々の戦闘能力は突出しているが数が少ない冒険者たちよりも、数で勝る兵士のほうが対スライム戦には向いているかもしれない。


「……わかった。取引に応じよう」


「嬉しいよ、野村。お前ならわかってくれると信じてたよ。やっぱり持つべきものは友だな」

 秋本俊也の姿をした者は野村の肩を軽く叩いた。


「……だけどな、いちおう保証は必要だと思うんだ。万一、地上に帰した後でお前がまた裏切らないとも限らないからな」


 秋本は冷たい目で野村を見た。

 秋本の右腕がぐにゃりと歪み、触手に変形した。蛇のようにさっと伸びた触手の先が、野村の腹部を貫いた。内臓を押し分け、どんどん体内に侵入してくる。野村は血反吐を吐いてのたうち回った。

 触手は長さの半分ほどの箇所で千切れ、前半分はすべて野村の体内に潜り込み、後半分は秋本の腕に戻った。


「お前の中に分身を送り込んだ。変な気は起こさない方がいいぞ。体内を食い破られたくなければな」


 秋本はスライムの塊に歩み寄ると、それに溶け込んでひとつになった。そしてスライムは潮が引くように坑道跡から去っていった。

 あとには苦痛にうめく野村だけが残された。

 どこでなくしたのか、この世界に来てからずっと、野村が肌身離さず被っていた黒いチューリップハットはなくなっていた。

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