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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅲ部
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第89話 総攻撃④

 ヒリアとミューリンは怯えていた。

 ゾルスと名乗るこの男、軟派な遊び人風を装ってはいるが、何もかもが非人間的だった。目つき、表情、気配、それに全身から漂う吐き気を催すような異臭。安物の下品な香水と混ざり合ったこの濃厚な臭気は……腐敗した血の匂いだ。


「気をつけてヒリア、こいつ相当ヤバいわ」

「そんなの、わかってるって……」二人とも顔から血の気が引いている。

「あれれ、ひょっとして、嫌われちゃってる、僕?悲しいなぁ」ゾルスが言った。


「……行くわよヒリア」「ええ、お姉ちゃん」

 二人はいっせいにゾルスを攻撃した。ヒリアの凍結魔術で顔ににやにや笑いを張りつけたままゾルスは瞬時に凍りついた。その首と胴体をミューリンの双剣がたちまち八つに切断した。バラバラになったゾルスの断片は水しぶきを上げて下水に沈んだ。


「やったの?」「たぶん、今のやつは倒した。でも……」ミューリンは警戒を緩めない。

 その時、周囲の全方向から不可視の力が襲いかかってきて二人を押し潰した。巨人に握り潰されているかのようで身動き一つとることができない。全身の骨格がみしみしと悲鳴を上げた。


「……ったく、ひどい事するよなぁ。バラバラじゃないか」

 下水道の奥から、もう一体のゾルスが現れた。その姿は先程倒したものと瓜二つだ。


「自業自得、自己責任だよ。あいつは油断しすぎた」「その通り、馬鹿な奴だ」

 反対方向から、さらに二体のゾルスが姿を現した。


「こう見えてもやっぱり自由騎士団か。さすがに容赦ねーなぁ。ははは」

 さらにもう一体が続いて下水を跳ね散らしながら歩いてきた。

 

 総勢、四体のゾルスが姉妹の前に立ちふさがった。

 そのうち一体がヒリアの正面に歩み寄り、全身を舐めまわすような目つきで見ながら言った。

「君、可愛いねぇ……ロリ顔だけど巨乳だし、超タイプだよ。おっぱいもあそこも、卵巣も直腸も乳腺も、もっといっぱい見せて欲しいなぁ。……あれれ、どうしたのかなヒリアちゃん?ひょっとして緊張してる?もっとリラックスしなきゃ。ほぉら、僕の目を見て」そう言うとそのゾルスは大きく目を見開いた。


「見ちゃダメ!」とっさに危険を感じたミューリンはまぶたを固く閉ざした。

 だが、ヒリアは見てしまった。それは暗黒の魂に直結する、虚無そのもの瞳だった。ひと目見ただけでヒリアの意識は無に飲み込まれて消えた。


「さあ、おいで」ゾルスに言われるがまま、ヒリアはふらふらと歩き出した。その先では抱擁するかのようにゾルスが両手を広げて待っている。


「ヒリア!!」ミューリンは渾身の力で見えない力の呪縛を跳ね除けると、ヒリアを止めるため手を伸ばした。だが、妹に届くかと思われたその時、彼女の手は腕ごと肩からもぎ取られた。地下の闇に絶叫がこだました。「こっちの筋張ってるはあんまりタイプじゃないな」「もう殺すか?」「だな」直後、首と残った手足をサイコキネシスでねじ切られミューリンは絶命した。


「おお、ヒリアちゃん、君はやっぱり内臓も綺麗だね」「俺にも見せろよ」「てめぇ邪魔なんだよ」ゾルスたちは互いに争いながら、ナイフや斧を使い無抵抗のヒリアを生きたまま解体していった。



 人狼戦士のガザンは下水に膝を屈していた。

 辺り一帯におびただしい量の鮮血が飛び散っていた。全てガザンの血だ。体じゅうにつけられた傷は深く、肉をえぐり骨にまで達していた。


 ガザンの目の前に、毛皮に覆われたもう一体の獣人がいた。

 だがそれは人狼などではなかった。その卑しい面構えは紛れもなくドブネズミだった。ノミのように鋭い前歯をむき出しにしたそいつは二本足で直立し、嘲りを込めた視線でガザンを見下ろした。

「ギギッ!どうした、その程度か。名高い人狼戦士(ワーウルフ)とやらもたかが知れてるなぁ」

 ガザンは黙って不潔な獣を睨み返した。 

「何だその目はぁ……イライラするなぁ。頭かじって脳味噌食ってやる!」

 溝鼠男(ラットマン)、キンク・ビットリオは瀕死の人狼に飛びかかった。


 ガザンは手負いの獣の凶暴さを存分に発揮し、最後まで死力を尽くして戦った。だが削岩機のようなキンクの歯の攻撃にあえなく倒れた。

 魔王の使徒と化したキンクは、もはや人としての心をほとんど捨て去っていた。今の彼は貪欲で巨大なドブネズミそのものだった。キンクはガザンの遺体を抱え込むと、がりがりと音を立てて頭から齧りはじめた。



「黄金の剣」アルデリスは満身創痍だった。

 いつもの不敵で超然とした態度はもうどこにもない。金銀に輝いていた鎧も傷だけだ。

 スライムが変身した魔物はバジリスクに始まり、ナックラビー、マンティコラ、ドラゴン、ハーピー、その他十体余り。完全無欠の戦士アルデリスはその全てを一人で倒してのけた。彼の周囲には半分スライムに戻りかけたそれらの残骸がおびただしく積み重なっていた。


 そして今、アルデリスの眼前でまた新たなスライムが形を取りつつあった。

 分厚い筋肉に覆われた巨体、破城槌のような蹄、そして頭上でカーブを描く堂々たる二本の角。ミノタウロスだ。

「ド・ゴルグか。さすがにこれは厳しいな……」思わず弱音が漏れた。


 ミノタウロスのド・ゴルグ。彼は自由騎士団の戦士「ミノタウロス殺しのゲイル」に討たれたが、他の魔物たちと同じく、その時に流れ出た血も下水道でスライムに吸収されていたのだ。目の前にいるこれは、もちろんスライムが作り出したコピーに過ぎない。だがその圧倒的な威圧感はオリジナルと比べても遜色がなかった。

 ミノタウロスは巨大な棍棒を無造作に振り上げた。棍棒の先がぶつかって下水道の天井の一部が崩落した。落下した岩が魔物の頭部に当たったがびくともしない。どうやら膂力もタフさもオリジナルに匹敵するようだ。


 巨獣は一声咆哮すると、アルデリスめがけて突進してきた。

 アルデリスは黄金の剣を構えた。

 剣の状態は酷かった。魔物との連戦のせいで刀身全体が刃こぼれしていた。

 あと一撃。それが限界だ。

 猛然とばく進する巨獣を前にして、黄金の戦士は体の力を抜き、目を閉じ、心を平静に保った……。


 衝突の瞬間、金色の閃光が走って爆音が轟き、下水道にもうもうと霧が立ち込めた。粉々に粉砕された血と肉片の赤い霧だ。

 その向こうに、胸から下を吹き飛ばされたミノタウロスの残骸が横たわっていた。


 アルデリスは最後の一太刀に残されたすべての力を注ぎ込み、衝突の一瞬にそれを解き放ったのだ。

 だが、彼もまた無事では済まなかった。黄金剣は(つか)の部分を残し砕け散っていた。そして、彼の両腕もまた砕けていた。折れた骨の破片は皮膚を突き破って外に飛び出し、開放骨折を起こしていた。


 もはや戦闘を続行することは不可能だった。せめて治療術者がいてくれれば応急処置はできただろう。だが近くで戦っていた者たちは誰一人、相次いで襲い来る魔物との戦いを生き残れなかった。


「参ったな。これではマンホールのはしごも登れないぞ」

 彼は血塗れの両手を見て、自嘲するように疲れた笑みを浮かべた。誰かがここまで助けに降りてくるのを待つしかなさそうだ。アルデリスは下水道の壁にもたれて力なく座り込んだ。

 ほどなくして、彼の上に影が落ちた。見上げると、新たに出現したもう一体のミノタウロスが巨大な斧を持って真正面に立ちふさがっていた。

「糞ったれが……」ブルジョワにあるまじき下品な言葉をつぶやいた直後、アルデリスの頭上に斧が振り下ろされた…………。




 野村たちは下水道を捜索し、ギレビアリウスの古代魔術でたしかに「敵」が消滅したことを確認した。


「生物誕生以前の太古の邪霊たち。彼らが生命体に抱く底なしの憎悪の力を借りれば、あの程度の敵を跡形もなく消滅させることなど造作もないのです」ギレビアリウスが言った。

「凄いな、古代魔術。まさかこれほどとは」野村は感心して言った。


 だが、倉本と佐々木が異論を挟んだ。

「……ヴィルタスさんよ、ドヤ顔で能書き垂れるのはちょっと早すぎないかい?」倉本が言った。

「そうだぜ。あんた、感じないか?周囲に満ちるこの殺気を。前よりも強くなってる」佐々木も同意した。二人とも警戒を緩めるどころか、武器を構え、あたりに鋭い視線を走らせている。


 ギレビアリウスは指摘されてはじめて気がついたと言わんばかりの顔で言った。

「ほう、言われてみれば確かに……。私としたことがつい舞い上がっていたようです」



 その時、下水道の向こうから、足音が近づいてきた。

 誰かがこちらにやってくる。ランプや浮遊発光球などは携えていない。


 その男が光の中に姿を見せた瞬間、野村はうめいた。

「何だ、こいつは……」男は血塗れで、おまけに全裸だった。そして、裸体に長々とした腸をぐるりと巻きつけ、手には女の生首をぶら下げていた。異常な男はけらけらと笑っていた。

「ヒリア……」倉本が言った。


 続いて、カリカリと引っ掻くような音がしたかと思うと、一頭の獣が飛び出してきた。それは巨大な溝鼠だった。その鼻面は血で真っ赤に汚れていた。そいつは鼻面の汚れを手で拭い取ると、嬉しそうな様子で手に付着した肉片を舐めはじめた。


 野村の耳に地響きが聞こえてきた。まるで杭打機の轟音のようなそれは足音だった。やがて野村たち一行の前に巨大な魔物が姿を現した。ミノタウロスだった。巨獣は片手に斧、もう一方の手にはぐしゃぐしゃになった金属の塊を握っていた。よく見ると金属塊はひしゃげた鎧で、そこには骨片や肉片も混ざっていた。

 鎧の色は金色だ。判別不能のこの塊がまさか、あの偉大な戦士「黄金の剣」アルデリスの残骸だと言うのか。


 気がつけば、野村たちは無言の集団に取り囲まれていた。

 肥満した男、灰色の顔をした背の高い女、身体の半分がヒュドラになった老婆、黒いローブの裾を引きずる少年……。そのいずれもが、人間の遺体の一部を手にしていた。


 初めに現れた、裸体に腸を巻き付けた異常者が言った。

「あんたの兵隊たちは全滅した。チェックメイトだぜ、市長さん」

 その時、突然激しい地震が起きた。

 下水道の底に亀裂が走り、野村たちは地割れに飲み込まれた。

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