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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅲ部
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第87話 総攻撃➁

 野村は倉本、佐々木、ギレビアリウスとともに巨大な「敵」群体の発見場所へと急いだ。十数名の自由騎士団たちも後に続く。


「ここは……」

 辿り着いた場所は、他でもない、建設中の新市庁舎ビルの足元だった。夜明け前の星一つない夜空を背景に、黒々とした巨大なシルエットが浮かび上がっている。


 その一角で、先発の騎士団員たちが地下から救出した夜警隊員たちの手当てを行っていた。夜警隊員たちは皆、どこか体の一部を失っていた。両膝から下がなくなっている者、片腕がない者……。腰から下を失った隊員はもう長くはもたないだろう。


「なんとか救助できたのは、たった数名でした……」

 治癒魔術で応急処置を行っていた騎士団員が沈痛な面持ちで言った。

「私たちが到着したときには、この方面の偵察隊はすでに壊滅的な状態でした」


 片腕を失った夜警隊員が苦痛に歯を食いしばりながら言った。

「やつは……、あの巨大な化け物は、ここら一帯の地下にいます。まったく信じられない大きさです。仲間たちはほとんど、奴に飲み込まれ、どろどろに溶かされて……。俺の右腕も奴に持っていかれました。ほんの少し触れただけなのに、酸のような液体で一瞬で溶かされてしまいました」


「命がけの貴重な報告、感謝する。よく生き延びたな。後は我々に任せてくれ」倉本が言った。


 負傷した隊員たちは本格的な治療を受けるため、病院へと運ばれていった。下半身を失った隊員は息を引き取ったようだった。



 騎士団員の一人が進み出て野村たちに報告した。

 この男は知っている。「鋼鉄のジェライル」の名で知られた戦士だ。

「この周辺、新市庁舎の工事現場を中心とした直径500メートル圏内の下水道内部は、ほぼ完全にスライムで満たされています。ご覧になりますか?」

「ああ、見せてもらおうか」野村は言った。


 野村はジェライルとともに開放されたマンホールに歩み寄り、発光魔術で照らしながら下を覗きこんだ。

 真下に向かって続く縦穴の底に、光を反射して赤黒くうねるものが見えた。

「これがスライム、……『敵』か」

「はい。ここから交差点のあたりまで、どのマンホールも中はこんな状態です」

「でかいな。倉本、どうする?」野村は言った。


「そうだな……。この巨大さはさすがに想定外だった。自由騎士団の直接攻撃だけでこいつを倒すのは無理があるな。付近の住民を避難させたうえで、地上への出入り口を完全に密閉し、時間をかけて高熱魔術で蒸し焼きにする。それがベストだと思う。とにかく、今夜はもう無理だな」倉本が言った。


 その時、ギレビアリウスが声を上げた。

「……お待ちください。僭越(せんえつ)ながら、私にお任せいただけませんか?」


「ヴィルタス教授、何か手があるのか」倉本が言った。

「はい、私が研究している超古代魔術であれば、この巨大な『敵』であろうと一撃にして葬れると思います」

「ほう、大した自信だな。やってみろ」



 ギレビアリウスとともに、野村や倉本、佐々木および数名の自由騎士団は巨大スライム群体から数百メートル離れたマンホールまで移動した。ここからであれば地下に侵入できた。


 野村は倉本の後に続き、マンホール備え付けのハシゴをつかみながら慎重に縦穴を降りていった。底に着くと、この場所の下水管の径がかなり太く、三メートル以上におよぶことがわかった。壁面には管の高さの半分ほどまで水没した跡が残っていたが、今は管底を小川のように少量の汚水が流れているに過ぎなかった。

 野村は思いがけない悪臭の強烈さに吐き気を覚えた。できるだけ鼻から空気を吸い込まないよう口呼吸に切り替えたが、ほとんど効果がなかった。それどころか息を吸い込んだ時にコバエのような小さな虫が口に入り、唾液とともに慌てて吐き出した。早くも野村は下水道に降りた事を後悔していた。

 そう言えば、渡辺は下水道清掃員の仕事をしていたらしいが、よくこんな劣悪な環境に耐えられたものだ。


「ずいぶん辛そうだが、大丈夫ですかな、市長」ギレビアリウスが言った。

「お前は何ともないのか、ヴィルタス」

「ええ、私はいたって平気ですよ。無理をなさらず、地上で待機されたほうがよろしいのでは?」

「私には見届ける義務がある。行くぞ」

 野村は先を行く倉本の背中を追って急ぎ足で歩きだした。

 そのすぐ後ろに忍び笑いを漏らしながらギレビアリウスが続いた。



 魔術で作り出した浮遊光球で先を照らしながら一行は下水道を進み、「敵」へと接近していった。彼らの影がカーブを描く壁面に映る。まだ敵の姿は見えない。合流する支流や枝管の開口部に敵が潜んでいないか、一つ一つ覗き込んで確認していく。だがネズミ一匹どころかゴキブリ一匹さえいない。周辺一帯の生物はすべて「敵」に食い尽されたということか。


 やがて、ギレビアリウスが言った。

「止まってください。ここらで十分でしょう。……ふむ、闇が濃い。いい場所です。強力な術が撃てそうですよ。今から詠唱を始めます。発動までの間、私は無防備な状態になるので、皆さんには防御をお願いします。よろしいですか。では始めます」


 ギレビアリウスは目を閉じ、周囲の闇を抱きかかえるように両腕を広げた。彼の口から詠唱の言葉が漏れ出した。野村が聞いたこともない未知の古代言語だ。独特の抑揚を伴う詠唱は、暗闇の中に長く低く不気味に響きわたっていく。



 その時、野村は風圧を感じた。直後、それは闇の奥から突然、姿を現した。

 「敵」だ。野村が目にしたのは、下水管いっぱいに膨れ上がった赤黒い流動体が怒涛の勢いで押し寄せてくる光景だった。もはや逃げても間に合わない。退避できるスペースなどどこにもない。


「全員、防御魔術展開!最大強度!」倉本が叫んだ。

 全員が同時に張り巡らした防御魔術がひとつに融合し、強靭な不可視の防壁を形成した。次の瞬間、魔法の壁に邪悪なゼラチン質の先頭部分が激突し、下水道全体に衝撃が走り抜けた。


 「敵」はなおもその巨体を防壁にぐいぐいと押し付けていた。

 透明な魔法の壁を通して、その醜悪極まりない姿を間近から見ることができた。表面の質感はたしかにスライムだ。だが防壁に密着している部分は急激に変質しつつあった。まるで固い殻に覆われたように硬質化し、ごつごつとした瘤やイボが無数に生じた。「敵」は巨体を回転させながら防壁を侵食しはじめた。まるでトンネル工事用のボーリングマシンだ。おまけに「敵」は突起の付け根の腺から魔術解除作用をもつ粘液まで分泌しはじめた。このままでは壁を破られてしまう。

 ギレビアリウスの詠唱はまだ終わらない。


「おい、まだなのかよ。早くしろよ」佐々木が言った。

「…………」ギレビアリウスは詠唱に没入している。

「しょうがない。術発動まで何とか俺たちで足止めするしかあるまい」倉本が言った。

「もうすぐ壁が破られる……」野村が言った。



 その時、ギレビアリウスは静かに古代語の詠唱を終えた。

「……冥王代の岩脈に永久に封じられし始原の邪霊よ、長き眠りより目覚め汝の果てしなき飢えを満たせ」最後のフレーズは野村にも理解できる普通語だった。


 完全なる静寂が下水道を包み込んだ。天井から水の滴る音も、足元を流れる下水の水音も消え去った。野村はその事を言おうとしたが、その言葉さえもが虚空に消えた。浮遊光球の光が、フッと消えた。漆黒の闇がすべてを閉ざした。

 やがて、野村の視界を何かが横切った。虫のようだ。暗い燐光を放つ無数のカゲロウのようなものが暗闇の中を飛び交っている。それは数と密度を急速に増していった。「敵」の巨体があった場所の密度が特に濃いようだ。それはおびただしい数で渦をなし、ぼんやりとした灰色の燐光で「敵」を包み込んだ。ホワイトノイズのような微かな音がしだいに高まっていく……。

 気がつくと、いつの間にか浮遊光球の光が戻っていた。周囲の物音も普通に聞こえる。だが、「敵」の巨体だけは影も形もなくなっていた。


「……どうです。これが超古代魔術『闇蜉蝣(エフェメラス)』の力です」

 ギレビアリウスが言った。

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