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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅲ部
86/117

第86話 総攻撃①

 野村は深夜の街角に立っていた。

 しんと静まりかえった通りを一陣の風が吹き抜け、路上の紙屑を吹き飛ばした。

 さすがに夜は冷える。吐く息が白かった。

 野村は懐からスマートフォンを取り出し、時刻を確認した。

 深夜二時。そろそろ作戦開始の時刻だ。


 野村は背後を振りかえった。

 明かりが消えた大通りに、自由騎士団と夜警の残存部隊、総勢数百名が集結していた。


 これから、「敵」への総攻撃が開始される。

 この時間が選ばれた理由は、一般市民の通行がなくなるだけでなく、下水道の水位が一日で最も低くなる時間帯だからだ。下水を流れる水量は一日周期で変動する。炊事や排便、入浴などが多い朝と夜に増加し、ほとんどの人間が深い眠りについている深夜に最少となる。当然、下水道の水位が低い方が、中での活動が容易になる。



 今回の作戦の指揮を執るのは倉本だ。

 倉本は今、部下の騎士団員たちに向かって大声で指示を出していた。

 部下とはいえ、自由騎士団は冒険者たちの寄せ集めだけあって上官の命令に服従はしない。彼らは上官のことを人間的に信頼するか、指示内容に納得しないと動いてはくれない。団員たちは倉本の話の途中でも気になる点があれば遠慮なく質問していた。

 団員たちは整然と隊列を組むわけでもなく、めいめいが勝手気ままな位置に立っていた。煙草をふかしている者もいるし、中には集団から遠く離れて壁際に座り込み、一人で剣を研いでいる者もいる。だが説明中に私語を挟むほど愚かな者は一人もいない。


 対して、夜警(ナイトウォッチ)部隊は組織として統率されていた。

 各隊ごとに縦列を組み整然と並んでいる。倉本の説明をさえぎる者も皆無だ。自由騎士団の装備の多様さとは対照的に、全員がトレードマークの黒いコートを着用している。だがその人数は度重なる失踪と戦闘での犠牲でかなり少なくなっていた。


 自分の能力に絶対の自信を持つフリーランスのプロフェッショナルたちと、長い歴史を持つ組織化された戦闘集団。まるで異質な二つの集団の間には深い溝があった。



 倉本の話が終わるとともに、まず夜警たちが行動を開始した。

 鉄製のフックをマンホールの蓋を引っかけると、持ち上げて蓋をずらした。ぽっかりと口を開いたマンホールの中へ、黒服の隊員たちが次々に消えていく。


 倉本は道路を横切り、野村たちの方へとやってきた。


「……まずは夜警たちが下水道内部を捜索し、今夜の敵の所在地を確認する」

 倉本は作戦の概略を説明しはじめた。

 当然、野村は内容を熟知している。この説明はその場にいるもう一人の人物のためのものだ。



「で、俺の役割は?」

 野村の隣に立つ、固太りした髭面の大男が言った。

 佐々木だ。

 こいつは倉本と違い、自由騎士団への勧誘にも応じず、今も一人で冒険者街で細々と店を経営していた。戦闘能力については申し分ないが、昔から無責任で無計画で無鉄砲なところがあり、そういう点が野村とは微妙に肌が合わなかった。

 今回は倉本の話を聞いて急遽参加を決めたようだ。

 魔王討伐戦に参加した戦士がもう一人作戦に加わるのは何とも心強かったが、思い付きの短絡的な行動で作戦を乱されないか内心で憂慮してもいた。



「まあ待て、お前の出番はまだ先だ。夜警が敵の居所を突き止めたら、お前は自由騎士団たちと一緒に地上を移動してその場に急行する。そして最寄りのマンホールから地下へ突入し、敵を殲滅する。以上だ」倉本が言った。


「なんか、意外とシンプルな作戦だな。オーケー、了解したぜ。総隊長殿」

 佐々木が親指を立てて言った。


 佐々木は狭い地下で動き回りやすいよう軽装の鎧を着用し、二丁の手斧を装備していた。


「それにしても、また町の地下か。俺たち、つい数か月前も似たような事をしたよな」佐々木が言った。

「ああ、そうだな。あんとき一緒だったのは野村じゃなく、渡辺だったな……」倉本が言った。


 佐々木と倉本が話しているのは、渡辺を使ったあの計画の事だろう。渡辺を案内人にして二人を地下深くへと誘導させ、アラクネ等強力なモンスターで足止めを食わせる。もし二人があの時地上にいたなら、秋本暗殺も行政局への攻撃もこれほど安々と成功しなかったに違いない。さらに、結果的には二人とも殺すことなく、こちら側の戦力として引き入れることにも成功した。

 その見事な計画の立案者もまた、今夜この場所に姿を見せていた。



「……これはこれはササキ殿ではありませんか。わたくしは政府の魔道顧問のヴィルタスという者です。お初にお目にかかります。それにしても、魔王討伐の英雄が二人もいるとあっては、我々としては心強いことこの上ありません。今夜は何卒、お力添えのほどよろしくお願いいたします」

 ギレビアリウスは佐々木に向かって慇懃に頭を下げた。


「いやいや、俺はそんな大した人間じゃねーからさ。頭を上げてくれよ。とにかく、今夜は頑張ろうぜ、えーっと……」

「ヴィルタスです。以後、お見知りおきを」

「ああ、済まない。こちらこそよろしく、ヴィルタスさん」

 そう言って佐々木はギレビアリウスに向かってごつい手のひらを差し出した。ギレビアリウスはそれをピアニストのように繊細な手で握り返し、満面の笑みを浮かべた。



 そうこうしている間にも、下水道で敵を捜索する夜警からの報告は次々と上がってきていた。

「第七幹線に敵、確認されず」

「シルム地区の接続室より下流に捜索範囲を広げます」

「旧市街地区からの旧三番幹線にも異常なし」


 夜警たちは下水道の上流側から下流側に向かって捜索範囲を広げていった。それに歩調を合わせ、地上で待機している自由騎士団も少しずつ移動していく。しばらくは何も起きなかった。だが、ついに夜警は敵と遭遇した。


「こちら第11分隊、現在、敵と交戦中!くそっなんて奴だ!至急増援をお願…………」

 その夜警隊員からの魔術交信は途絶した。


 倉本総隊長はついに自由騎士団に出撃命令を下した。

「クライグ、五名を連れてこのマンホールから下水道に降りろ。リベリスとザッカスはあっちからだ。セパイとミューリン、ヒリア姉妹は向こうだ。三方から敵を挟撃して殲滅しろ」

「了解!」「おっしゃ来たか!」「任せとけ総隊長殿」

 騎士団の戦士たちはそれぞれ指示された地点のマンホールに急いだ。



「あーあ、やっぱ嫌だなぁ。ほんとに下水に降りなきゃダメなの?服が汚れちゃうよ」ヒリアが言った。

 その可憐な容姿から自由騎士団のアイドル的存在であるマリノネス姉妹。妹のヒリア・マリノネスはまだあどけなさの残る美少女だが魔法戦士としてずば抜けた才能を持っていた。


「こら、ヒリア。そんな事言ってる場合じゃないでしょ。ほんと馬鹿な子なんだから」

 姉のミューリン・マリノネスが妹をたしなめる。妹より二歳年上の姉はスレンダーな体型の女剣士だった。ベテラン戦士のセパイとともにマンホール蓋を開けると、果敢にも真っ先に穴の中に身を投じた。


「あ、待ってよお姉ちゃん。置いてかないでよぅ」

 姉とセパイの後を追い、ヒリアも慌ててマンホールに潜った。



 夜警が敵を発見するたび、倉本は自由騎士団を地下に送り込んでいった。

 今夜、敵はすでに市内の七か所に出現していた。


 敵。正式名称、高機能変異型スライム群体。

 普通種のスライムは汚泥中の有機物を餌にしている動きの鈍い下等生物だ。例えるならナマコやウニなどのように、あまり動かない海生無脊椎動物に近い生態を持っている。神経系はあるが脳はなく、感覚器も未発達だ。光や乾燥を嫌い、そこから逃れる場合のみ全身をぶざまに伸縮させて逃げようとする。


 敵もたしかにスライムだ。その体の構造は肉眼レベルでは普通種とほとんど変わらない。

 だが、その能力と活動性はまるで別物だった。それは何百体もの個体が寄り集まって巨大な群体を形成していた。群体はまるで一つの生き物のように全体を波打たせ、滑るように高速で下水道内を徘徊した。そして途中で出会った不運な生物を飲み込み、消化吸収した。

 最も驚異的なのは変身能力だった。敵は以前に吸収した獲物の姿であれば自分の肉体を変形させて完全に再現することができた。それだけでなく、高い知能を持っている節があり、念動力(サイコキネシス)など、ある種の魔術さえ使用することができた。


 いったいなぜ、こんな恐るべき生物が都市の下水道に突然現れたのか。

 「災いの日」を演出するため、この都市にミノタウロスやアラクネなどの国外の強力な魔物を密輸したのは野村だった。一方、世界各地をまわって送り込む魔物を手配したのはギレビアリウスだ。二人がこの都市に持ち込んだ魔物のリストには変異型スライムなど入っていなかった。



 倉本が再び小走りで野村のもとにやってきて言った。

「これまでで最大の敵の群体が見つかった。桁違いの巨大さだ。推定全長は500メートル以上。ひょっとしたらあいつが敵の親玉かもしれん。佐々木、それに野村もヴィルタス教授も来てほしい」

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