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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅲ部
85/117

第85話 敵

 執務室に戻った野村はすぐに仕事を再開した。

 数時間席を外しただけというのにデスクの上には新たな書類の山ができあがっていた。内心うんざりしつつも、野村は飛ぶようなスピードで溜まった仕事を処理していった。


 小一時間ほどが経過した頃だった。

 軽いノックの後で秘書官が言った。

「市長、クラモト隊長がお見えになりました」

「やっと来たか。通してくれ」


 入ってきた倉本は開口一番で言った。

「無事だったか、野村」


「まあ見ての通りピンピンしているよ。あんなゴロツキ相手に後れを取る俺じゃないんでね」

 野村は手にした書類から視線も上げずに応じた。


「それはよかった。捕縛した暴徒たちだが、今、尋問して身元と背後関係を洗っているところだ。おそらく金で雇われたギャングどもだろう。あんたが倒した暗殺者についてはすぐに判明した。やつの名はシャグラス。犯罪組織の抗争で暗躍してきたプロの殺し屋だ」


「そうか。大した連中ではなさそうだな。大方、お前たちに先週潰してもらったマフィアの報復といった所だろうな」

 野村は最近、都市に巣食う犯罪組織の撲滅にも取り組んでいた。自由騎士団の力を使い、社会の病巣たるマフィアを次々と壊滅に追い込んでいた。そのため野村は犯罪組織の元構成員たちから激しい憎しみを集めていた。


 野村には敵が多かった。

 軍、犯罪組織、一部の市民。最近ではそのリストに王族まで加わろうとしていた。彼らは伝統を重んじる立場の代表として、何事も急進的すぎる野村に対する批判的な発言を強めており、反市長派の市民たちから絶大な支持を集めつつあった。行政府の官僚組織が実権を握って以降、王族は象徴的な存在になっていたが、この機会に再び過去の栄光を取り戻そうと動き出した可能性があった。


 対して野村に指示を表明しているのは、魔道士や学者、技術者、それに商人、企業家、冒険者たちだ。いずれも自分の知識や力や技を頼みに、自らの人生を切り開いて生きる個人主義者たちだった。野村は強い意志と能力のある人間が好きだった。出身地や年齢、国籍や性別などで差別することなく、有能な人材は積極的に登用した。

 逆に、向上心もなく日々を惰性で生きている人間は容赦なく切り捨てた。



「こちらとしても最大限の警戒を行う。あんたに何かあったら大変だからな」倉本が言った。

「よろしく頼むよ」



 ここで野村ははじめて書類を置き、倉本をまっすぐに見て言った。

「……そろそろ、本題に入るとするか」

「地下の戦闘の件だな」

「そうだ」

 先程までとは一転して、執務室内に重苦しい雰囲気が立ち込める。

 

 倉本はため息をついて言った。 

「今日の負傷者は15名。死者1名。行方不明者は4名だ」

「……たった一日でそんなに」野村は愕然とした。

「『敵』はますます強くなっている」



 自由騎士団は今、暴徒などよりはるかに恐るべき敵との戦いを続けていた。

 それはごく一部の人間を除き、市民の大半が知らない秘密の戦闘だった。


 野村が関係者に厳しい緘口令を敷いているためだ。

 野村の努力により経済が活性化し景気が上向いている現状で、市民たちを動揺させるような情報を出す訳にはいかなかった。それにこの情報は王族などの政敵を勢いづかせる事にもつながる。

 知っているのは自由騎士団と、夜警の残存部隊、それに政府の上層部だけに限られていた。


(もっと早くに手を打っておけば……俺があの時、判断を誤っていなければ)

 野村は内心こう思わずにはいられなかった。



 きっかけは、夜警の失踪だった。

 都市の地下に潜む怪物の掃討を行っていた夜警たちが、ある日を境に急に姿を消しはじめた。

 はじめ、野村は夜警たちの造反を疑った。自分が夜警から憎まれていることは十分自覚していた。都市の守護者として新たに自由騎士団を取り立てる一方、夜警はないがしろに扱い、下水道での魔物掃討という汚れ仕事を押し付けたのは野村自身なのだから。地下には潜伏場所も多く、そこで軍のクーデターの残党兵とともに立てこもり、都市の転覆を企てていると一時期は真剣に思い込んでいた。


 やがて捜索に当たった自由騎士団の間でも失踪者や、無許可での離団者が相次ぎはじめた。

 それでも野村は夜警の反乱説に固執した。

 夜警の反乱が、ついに騎士団内にまで波及しだした。そう信じ込んだ野村は一時期、自由騎士団にまで疑いの目を向けた。裏切者を探り出すため騎士団内部の統制を進めようとする野村と、騎士団を信じる倉本との間で激しい口論となることもあった。


「いいか野村、自由騎士団は兵隊じゃない。一人一人が冒険者であり、文字通り自由なんだ。単に上からの命令に盲従するのではなく、各自が己が信念に基づいて判断を下し行動している。もし命令内容が信念に相容れないのであれば自由に部隊を去ることが許されているんだ。お前は騎士団を命令に忠実なだけのロボット兵士に変えたいのか!」倉本はそう言い放った。



 だが、ある日転機が訪れる。

 地下で行方不明になっていた夜警の生存者が保護されたのだ。

 その隊員は、下水道をさ迷い歩いている所を騎士団員に発見された。幸い命に別状はなく、意識もしっかりしており数日の入院で体力を回復した。

 事情聴取を行った倉本に彼が語ったのは、恐るべき内容だった。

 都市の地下には、正体不明の巨大な「敵」がいる。


 その内容を伝え聞いた野村ははじめは半信半疑だったものの、その数日後に自由騎士団が命がけで手に入れた「物的証拠」を目の当たりにしてついに考えを変えた。今でもその恐るべき「物的証拠」は、厳重に封印された施設に隔離され、ギレビアリウスにより調査研究が行われていた。


 野村は「敵」を殲滅するため、自由騎士団の全戦力の投入を決断した。だが、それはあまりにも遅かった。「敵」は野村が誤った方向を見ている間に予想をはるかに超えた大きさに成長していた……。

 


「そろそろ、緘口令を解いたらどうだ。もう、秘密裏に解決できる状況ではなくなりつつある」倉本が言った。

「だが、しかし……」

「軍にも協力を依頼するんだ。とにかく自由騎士団と夜警の残存部隊だけではとてもじゃないが手が足りない。それに市民たちにも郊外への一時的な疎開を呼びかけるべきだ。市民に巻き添えが出るのを恐れるあまり存分に攻撃力を発揮できなくて困っている」



 野村は考えた。

 新市庁舎の建設、新たなる魔術の発見と開発、社会制度の変革、そして経済成長。今まさに、この都市は輝かしい未来に向かって伸び始めたところなのだ。このチャンスの芽を摘むような危険は冒せない。公表すればパニックが起こり、これまでの野村の努力は水泡に帰すだろう。


「公表は待ってほしい。だが、最後に一回だけ、自由騎士団と夜警の共同で地下の敵に総攻撃を行う。当然、俺もその場に参加する」野村は言った。

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