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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅲ部
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第84話 市内視察

 その日は視察の日だった。

 野村博信は部下と護衛の戦士たちを引き連れ、市内各地を巡った。


 まず訪れたのは、新市庁舎の建設現場だった。

 そこは「降星(スターフォール)」で破壊された旧行政局庁舎の跡地だった。瓦礫は撤去され、基礎工事も完了し、今は青く晴れた空に向かって建設足場に覆われた塔が伸びつつあった。

 野村はそれを満足げに見上げた。


「工事の進捗状況はほぼ予定通りです。現在、心柱の建設作業を行っているところであります」

 現場責任者の中年の男が若干緊張しながら説明した。


「ほう、早いね。もうそんなに進んだのか。素晴らしい。くれぐれも事故のないよう、安全第一で作業してくれよ」野村は言った。


「ありがとうございます」

 責任者の男は深々と礼をすると作業の指揮へと戻っていった。



 野村は新市庁舎の完成予想図を思い浮かべた。

 地上137階立て。そのデザインは高い柱の上に逆さにした円錐が乗ったもので、最新の建築工学と魔術の融合が可能にした斬新な設計だった。カクテルグラスを思わせるその軽やかな姿は、都市のスカイラインで強烈な存在感を放つこと間違いないだろう。



 この世界、そしてこの都市は限りないポテンシャルを秘めている。

 しかしそれを十分に活かしきれていない。野村は常々そう感じていた。

 だから、自分が変えてやるのだ。

 新市庁舎は野村がはじめる世界変革の象徴となることだろう。


 この世界に来て何年も経った今でも、野村が肌身離さず持ち運んでいるものがあった。

 金田一耕助風のその帽子のことではない。

 野村は懐からそれを取りだした。

 スマートフォンだ。この世界に転移する直前に買ったばかりの当時の最新モデルだった。


 劣化防止や耐衝撃などの魔術で幾重にも守られたそれは、パネルにひび割れ一つなくメタリックの外装は新品同然の光沢を放っていた。出力を調節した放電魔術で充電しているため、それは今でも機能していた。当然、ネット接続はできないものの、オフラインでも用途はたくさんある。



 野村が心酔する早世の天才経営者が生み出した、この手のひら大の平たい箱こそが世界変革の鍵だった。

 この小さなケースの中には、電子工学や情報処理等、元の世界のテクノロジーの結晶が凝縮されている。それをこの異世界で再現するのだ。もちろん、単なるコピー品の製造などではない。

 電子部品のかわりに魔術をもとにしたコンピュータを開発し、全世界へ普及させる。

 それが野村の究極の目標だった。


 野村は早くから魔術がコンピュータとして機能しうる可能性に気付いていた。もし実現できたなら、金属とプラスチックで構成された元来のコンピュータなど比較にならないほど便利で使いやすいものになるだろう。いわばそれは必要に応じて呼び出され、主人を助ける人工の精霊や使い魔だ。この異世界全体にイノベーションをもたらすだろう。


 野村は秋本や佐々木たちから不要となったスマートフォンを譲り受けていた。彼らはネットに繋がらず、やがて充電が切れてしまうと、転移後たった数日でスマートフォンに見向きもしなくなった。倉本に至っては投げ捨てようとさえした。

 野村はそのいくつかを技術者や魔道士に与え、分解して構造や動作原理を解析させていた。少しずつではあるが、成果は積み重なっていた。



 俺なら人々をもっと高い地点へと導ける。

 この都市を理想郷に変えられる。

 手にしたスマートフォンの待ち受け画面では、スティーブ・ジョブズが力強い視線をこちらに注いでいた。

 野村はそれを懐にしまうと、数名の秘書官や護衛の自由騎士たちを引き連れ、槌音が響く建設現場を後にした。




 野村が次に向かったのは国立魔術学院だった。

 野村は魔術研究費に大きな予算を割いていた。その甲斐あって最近は研究が目まぐるしい速さで進み、次々と成果を上げていた。碑文や古文書に残された古代魔術の解読と、既存の魔術の改良、合成による新魔術の開発。それらを一手に取り仕切っているのは政府の魔術顧問のヴィルタス教授、つまりギレビアリウスの表向きの顔だ。


 以前と異なり、潤沢な研究資金を得て、国立魔術学院は活気に満ちていた。通路ですれ違う魔道士たちの表情が生き生きとしている。

 かつての行政局時代とは何もかも違う。愚かな役人どもは事あるごとに研究費を削減し続けた。そのせいで施設は老朽化し、研究は打ち切られ、魔道士を志す若者も減る一方だった。だが、そんな魔術研究の冬の時代は行政局消滅とともに終りを告げた。



 野村はある研究棟の前で足を止めた。

 今日の魔術学院訪問の目的は、ここで働いているある人物と会うためだった。


「君たちはここで待機していたまえ」

 随員たちにそう告げると野村は一人で建物の中へと入った。



「こんちは紗英ちゃん。調子はどう?」


 野村は部屋の入り口をノックし、秋本紗英に呼びかけた。彼女はこの研究室の主任魔道士を務めていた。彼女はデスクでの書き物を中断し、席を立ってこちらに近づいてきた。


「あら、野村市長。こんにちは。おかげさまで研究は順調です」


 久しぶりに会った彼女はどきりとするほど美しかった。意外なことに野村は軽く動揺を覚えた。

「や、やだなぁ市長だなんて水臭いこと言わないでよ。昔みたいにため口でいいから。……ところで、紗英ちゃんの研究テーマって超古代魔術の解析だったね」


「はい。ヴィルタス教授から提供された史料を分析しているんですが、これがすごいんです。どうやら巨大で複雑な魔術の呪文の一部のようですが。それこそ既知の魔術とは次元が違います。比べるなら……そう、大腸菌と人間くらいの差というか。欠落部分も多いし、まだ解読できない文字もいくつか残っているので全容の解明はまだまだ先になりそうですが。でも、これが明らかになったら魔術のパラダイムシフトが起きますよ」


「へえ、何だかよくわからないけど、すごいってことだけは伝わった」


「野村市長、……いえ、野村くん。ヴィルタス教授はいったいどこでこんな凄い史料を入手したの?何か聞いてない?直接本人に聞いてもどうしても教えてくれなくて」


「悪い、紗英ちゃん。こればかりは政府の極秘事項なんでね。いやほんと申し訳ない」そう言って野村はぺこりと頭を下げた。


「そうですか。それなら仕方ありませんね……」

 そう言いつつも彼女が納得していないのは明らかだった。


 紗英は続けて言った。

「今の段階で明らかになってるのは、この呪文が治癒魔術や修復魔術に近い構造を備えていることです。もしかしたら、死者を蘇らせる蘇生魔術なのかも。でも、それにしてもあまりに複雑かつ冗長すぎるのが奇妙で。構成要素同士がフィードバックやフィードフォワードのループで幾重にも自己調節しあってて……何というか、まるで物質のかわりに魔術で形作られた生命体みたいな印象なんです。こんなもの、今まで見たことも聞いたこともありません」


「……究極の魔術」野村は言った。


「え?」

「ヴィルタス教授が言っていた。これは超古代文明で究極の魔術と呼ばれていたものの断片らしい。今の僕から教えてあげられるのはそれだけだよ」

「…………」



「ところで紗英ちゃん、ちょっと疲れてるようだけど、大丈夫?あんまり仕事に根詰め過ぎると良くないよ。たまには息抜きしいてるかい」


 事実、紗英の目の下にはうっすらと隈ができていた。彼女が連日深夜まで研究を続けていることはヴィルタス教授ことギレビアリウスから聞き及んでいた。


「心配してくれてありがとう。でも今は研究が充実してて。つい没頭しちゃうと時間が経つのを忘れちゃって。……それに、どうせ家に帰っても誰も待ってないし。真っ暗な部屋に一人で帰っても寂しくなるだけで」紗英はうつむいて言った。


 野村は紗英の体に視線を注いだ。

 彼女は秋本俊也と結婚してから女としての魅力を一段と増していた。ゆったりとした白いローブの上からでも女らしい丸みを帯びた腰つきがはっきりわかる。ローブの胸元を押し上げるふたつの膨らみは前にも増して豊かだった。秋本に女の悦びを教え込まれたその肉体は、いまや満開に咲きほこっていた。

 だが、彼女はとっくに死んだ秋本にいつまでも操を立て、女ざかりを無為に過ごしていた。なんともったいないことだろう。

 今、研究室には二人だけしかいない。

 野村は口の中が干上がるのを感じた。



 野村は窓辺に立つ紗英のもとに静かに歩み寄った。

 そして彼女の肩に手を置いた。


「秋本のことは……何というか。本当に残念だった。あんな最期を迎えるなんて。でも、きみはまだ生きている。今後も自分の人生を幸せに生きる権利がある。あいつもきっとそれを望んでいるはずさ。

 だから……もしよかったら、今夜僕と飲まないか?仕事のことも、あいつのことも、いったん忘れてさ」


 紗英は黙ったまま窓の外を見下ろしている。

 外では並木道の傍らで、残してきた部下たちが所在なさげに立っていた。


「なあ紗英ちゃん、いいだろ、一緒に人生を楽しもうよ」

 思わず、肩に置いた手に力がこもった。そのままぐっと彼女を抱き寄せようとする。


 しかし、紗英は野村の手を振り払った。

 彼女は野村の顔を毅然と見上げながら言った。


「……ごめんね野村くん。でも、私、俊也が死んだとはどうしても思えないの。きっとどこかで生きている、そんな気がするのよ。だから私、いつまでもあの人を待つって決めたの。だから、ごめんなさい」

 紗英は足早に自分のデスクへと戻っていった。


「……済まない。どうかしていたよ。本当に済まなかった」

 野村は呆然としていた。いったい自分はどうしてしまったのだ。なぜ突然、欲望に身を委ねるようなことをしてしまったのか。彼は急にみじめな気分に囚われた。

「…………」彼女は無言だった。

「……仕事の邪魔をしたね。じゃあ、帰るから」

 小声でそう言ってから野村は紗英の研究室を後にした。




 執務室へと戻る道中で事件が起きた。

 反市長派の暴徒の襲撃だった。

 野村たち一行が乗った車の前方を走っていた輸送車が急停止した。と、後ろを走っていた車も道を塞ぐようにして停車した。前の輸送車の荷台が開き、十名以上の武装した男たちが飛び出してきた。武器は長剣、斧、棍棒(メイス)、魔法の杖だ。


「死ねノムラ!」男たちは叫ぶといっせいに襲いかかってきた。

 だが護衛の戦士たちの動きは素早かった。車の外に飛び出し暴徒たちを次々に蹴散らしていく。こちらはたったの二名だが、相手は所詮素人。戦力差は歴然だった。


 その時、野村は殺気を感じて身をよけた。直後、鋭い刃が車の屋根を貫通し、その切っ先が座席に突き刺さった。


「ほう、私の突きをかわすとは。意外とやるねぇ」

 刃が引き抜かれると同時に、車の屋根から黒ずくめの男が飛び降りた。

 黒いマスクですっぽりと顔を隠している。豹のような身ごなしからして、素人同然の暴徒とはまるで違う。金で雇われたプロの暗殺者(アサシン)か。前で暴れている暴徒たちは自分から護衛を引き離すための囮だったのか。

 暗殺者は車の外で再び刀を構え、狙いを定めている。


 野村は自分から車を降りた。

「ふふふ……たまにはこういうのも悪くない。ちょうど今は虫の居所も悪いんでな。付き合ってやる」


 暗殺者が突いてきた。野村はそれをかわし、強烈なカウンターパンチをそいつの顎に食らわせた。暗殺者がよろける。野村はその隙を見逃さなかった。連打を浴びせかけ、ぐったりした所でとどめに放電魔術を叩きこんだ。電撃に体内を焼き焦がされて暗殺者は即死した。

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