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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅲ部
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第82話 酔客の話

 その老人は店の隅のテーブルで一人で酒を飲んでいた。かなり酔っているように見える。

 ただの酔っ払いか。俺は無視して店を去ろうとした。だが、その時、老人が再び口を開いた。


「あんたら、冒険者か?仕事を探してるのか?……親切心から忠告しといてやるが、あの都市にだけは絶対に行っちゃなんねえ。あんな、あんな恐ろしい……」


「また始まったぜ。アル中ジジイのお説教がよ」

 屈強な体格の剣士がにやにや笑いながら言った。長弓の戦士も忍び笑いを漏らしている。


 二人の冷やかしを気に留めることもなく、老人は続けた。


「わしが何度言っても、そこの馬鹿者は聞こうともせん。何故わからんのだ。あの街だけは駄目なのじゃ。あの新しい市長、ノムラか、あいつがいくら金を積もうが行っちゃなんねえんだ。金に釣られて行った者は必ず恐ろしい目に遭う。はした金のために大切な物を失ってしまっちゃ何にもならねぇ……。考え直すんじゃ。今ならまだ間に合う」老人は小さな目を涙ぐませながら言った。



 老人の話に出てきた野村の名前に、俺はがぜん興味を引かれた。

 いったい、都市で何が起きているのだ、この老人はどんな目に遭ったというのだ。俺とガエビリスは軽く目配せしあうと、老人の席へと近寄った。そしてテーブルを挟んで向かいの席に座った。


「……爺さん、ちょっと詳しく聞かせてくれないか。あの都市で何があったんだ」

 俺は老人に話かけた。


 だが、突然話しかけられて驚いたのか、老人は黙り込んでしまった。

 そして「何だお前は」と言わんばかりの疑り深い視線を向けてきた。老人のくしゃくしゃに乱れた頭髪は真っ白で、目は真っ赤に充血していた。酒臭い息と垢の臭いが混ざった不快な臭気が鼻を突いた。自分から話しかけてきたくせに何だこの爺は。俺は一瞬むっとした。


「あら、ごめんなさい。驚かせちゃったみたいね。おわびにこれでも飲んでくださいな」


 ガエビリスが店員に酒を注文し、受け取った酒を老人のグラスに注ぎこんだ。


「お、おう、すまんな……」

 老人は注がれた酒を飲んだ。


「わたしたち、あの都市に行くつもりだったんです。もちろん冒険者として。なので、あなたのさっき話、とっても気になるんです。どうして、あの都市に行っちゃ駄目なんです。ぜひ教えてほしいんです。お願いします。あなたの貴重な知識がどうしても必要なんです」

 ガエビリスは酔っ払いの小さな目をじっと見つめながら言った。

 老人の頬がいっそう赤く染まったが、それは酒のせいだけではないだろう。俺は嫉妬を覚えた。



「い、いいだろう。話してやる。さて、どこから話そうか。

 わしの名前はダンという。あんた。わしが何歳に見える?……実はまだ46歳なんじゃよ。あの一件以来、めっきり老け込んでしまってな。もう体じゅうぼろぼろだ。じゃが、ほんの少し前まではこうではなかった。信じられんだろうが、数か月前まで現役冒険者じゃったのだぞ。鍛えぬいた槍の腕にも自信があった……」


 馬鹿な。彼はどう見ても八十歳近い老人だった。白髪頭で歯は抜け、腰も曲がっている。とてもじゃないが四十代には見えなかった。やはり気が狂っているのか。


「……あの「災いの日」、わしは冒険者街におった。あんた、冒険者街には行ったことがあるか?そうか。あそこは良い街じゃろ。あそこでは大勢の仲間と出会った。最初の女房と知り合ったのもあの街だった。あれはいい女だったが、他に男を作ってさっさと出て行ってしもうた。彼女、リーゼイのことは今でも愛しておる……。まあそれはどうでもいい。わしは町に星が落ちて怪物が暴れたあの日、ともに戦った他の冒険者たちと一緒に自由騎士団に加わった。都市を守る正義の番人、一騎当千の強者たち。わしは誇らしかった。だが、それも長くは続かなかった」



「何か、あったんですか?」ガエビリスが聞いた。


「ああ、怖ろしい事が起きたんだ。それでわしは自由騎士団を抜け出し、都市を出てこの町まで逃げてきたんだ。

 あんたらは軍のクーデターのことは知っておるな?それにノムラ市長に反対する市民がたくさんいることも。あるとき、都市にこんな噂が流れた。反体制派の市民たちが反乱軍の残党と一緒になって地下に立てこもり、都市の転覆を企んでいるという噂が」



 話しているうちにダンの口調はしだいに流暢になっていった。くたびれ果てた老人のようだった姿もいくぶん若返ったように見える。いつしか、屈曲な体格の冒険者志願の男も、弓の戦士も彼の話に黙って耳を傾けていた。


「そして夜警の失踪が始まった。

 夜警はもちろん知っておるな?黒いコートに身をかため、魔術を使って凶暴な魔物たちを退治する都市の番人、市民の味方じゃ。

 わしも若い頃は憧れておった。入隊試験にあっさり落ちてからは諦めたが。

 新しい市長になってから、なぜか夜警はとことん冷遇されていた。なぜそうなったのか、その辺の詳しい事情は何も知らん。だが彼らは毎日下水道に潜らされ、あのかっこいい黒いコートを泥まみれにして、「災いの日」に街を襲った怪物の残党狩りをさせられとった。見ていて気の毒だったよ。

 その夜警隊員たちに、地下から戻って来ない者たちが増えはじめた。とうぜん夜警は捜索を行った。だが逆に捜索隊がまるごと一隊どこかに消え失せてしまう事件さえ起きた」



「そこでついにノムラ市長はわれら自由騎士団に捜索を命じた。だが、市長は夜警が魔物に襲われたとは考えていなかった。彼が疑ったのは、夜警が地下にこもる反体制派に合流したことだった。もともと夜警は民衆に同情的で、市民からの人気も高かったからな。それに夜警がノムラ市長の新体制下で不満を募らせていたのも事実だ。

 『地下で夜警を発見し確保せよ。抵抗すれば殺害しても構わん』それが市長が下した命令だった」



「それで、あんたは地下に降りたのか?」長弓の戦士が訊いた。


「ああ、行ったさ。もちろん気乗りはしなかったがな。だが特別報酬に目がくらんでな。下水道をさんざん歩き回ったよ。体じゅうに臭いが染みついてうんざりしたさ。だが探し回れど遺留品ひとつ見つからない。もう諦めようかと思ったその日、わしらは下水道で一人の男に出会った」


「何者だ。行方不明の隊員か、それとも反体制派か?」またしても弓の戦士が訊いた。


「いや、違う。あいつは、あれは、そんな生やさしいものじゃなかった……」

 いつしかダンの顔色は蒼白になっていた。目にははっきりと恐怖の色が浮かんでいる。


「じゃあ、いったい何だったんだよ」屈強な剣士が促した。


「…………」ダンはうつむいて無言で震えていた。

「おい、大丈夫か」そのただならぬ様子に俺は思わず声をかけた。

「……あいつは、ああ、あいつは、あ、あああ、あああ……」ダンはあんぐりと開けた口から涎を垂らしながら言葉にならないあえぎを漏らした。その目はもはや何も見ていなかった。



「あああ……やっぱり無駄だったんじゃ。せっかくここまで遠く逃げてきたのに。やっぱりあいつの力からは逃れられなかった。もう終わりじゃあぁあああぁあああ」


 突然、ダンは勢いよく立ち上がった。椅子が音を立ててひっくり返る。


「ワタナベさん!離れて!」ガエビリスが叫んだ。


 ダンは大きくのけぞった。次の瞬間、めりめりと音を手てて胸が裂け、胸郭が内側から押し広げられた。観音開きに開かれた左右の肋骨の間で真っ赤な心臓が鼓動を続けている。そのすぐ下にうずくまるピンク色の塊は、はじめは臓器に見えた。だがそれは全体を収縮させて動き出し、ダンの体外へと這いずりだしてきた。

 俺は吐き気をこらえながら見た。

 ダンの中から床の上に転がり落ちたその血塗れの塊は、震えながら見る見る大きく膨らんでいった。薄ピンク色の半透明の表皮の内側に、内臓や神経のようなものが透けて見える。


 それはスライムだった。

 下水道清掃員だった時に嫌というほど見た、あの不定形の下等生物に間違いなかった。だがスライムが人間の体内に寄生するなんて話、聞いたことがない。


 スライムは高く伸びあがり、ついに人の背丈ほどの高さの震える肉柱となった。その後ろで、抜け殻のようになったダンが崩れ落ちた。彼はこいつに寄生され、養分を吸い取られたせいで急激に老化してしまったのだろう。

 遠巻きにして見守る俺とガエビリス、それに二人の戦士と店員たちの前でスライムはさらに変形を続け、やがて一人の男の姿になった。生きたスライムで形作られた醜悪な塑像だ。

 肉色の塑像が口を開いた。


「おれの名はゾルス・ロフ。偉大なる御方の第一の使徒……」

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