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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅲ部
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第79話 追跡者来たる

 その日、俺は廃墟の畑で作物を収穫していた。

 日はすでに西に傾き、木々の間から斜めに射しこんだ金色の陽光が、整然と並んだトウモロコシを照らしていた。俺は収穫物を入れたかごを抱え、ガエビリスが待つ地下室に戻ろうとしていた。


 その時だった。

 感覚毛が微弱な気流の変化を感知した。

 畑の向こうで何かが動いている。

 高く伸びたトウモロコシに視界を遮られていたが、俺はその動きをはっきりと感じた。

 俺は触角を伸ばし、さらに相手の気配を探る。


 それはあきらかに怪物化した教主ドーマンではなかった。

 そいつは二足歩行していた。

 背丈はやけに小さく、子どもくらいしかなかった。


 触角が独特の悪臭を捉えた。

 その不潔な野良犬そっくりの臭気には覚えがあった。

 地下の街に棲みついていたコボルトの体臭だ。 

 畑の作物をねらい、付近の山中に住む野生のコボルトが出没したのだろうか。


 コボルトは足音を殺し、こちらに忍び寄ろうとしていた。

 こんなちっぽけな怪物一匹程度なら、ローチマンになった今の俺なら造作なく撃退できる。

 畑を荒らされる前にこちらから先手を打とう。

 俺はトウモロコシの茎をかき分け、畑の向こう側に飛び出した。



 予想通り、森のふちに一匹のコボルトが隠れていた。

 だが、そこにいたのはそいつだけではなかった。

 身の丈二メートルを超える巨漢が、大剣を振りかぶって待ち伏せていた。


 次の瞬間、頭上数ミリを大剣の刃がかすめた。

 あやうく直撃は免れたが、俺は強烈な風圧で飛ばされて地面を転がった。

 息つく間もなく、立ち上がろうとする俺めがけ巨大な刃が振り下ろされる。

 どっちに動こうか考える余裕などない。ただ脊髄反射だけでぎりぎりで回避する。


 俺は姿勢を低くして畑に逃げ込もうとした。

 だが、俺の目の前で畑の土が爆ぜ、トウモロコシの列は根こそぎ吹き飛んだ。

 俺はたたらを踏んで立ち止まった。


 背後で手を叩く音がした。

「よくぞ俺の初撃を回避したな、誉めてやろう。さすがゴキブリ野郎だけあってすばしっこい」


 俺は振り返り、あらためて襲撃者を見た。

 見上げるような巨漢で、赤みを帯びた長髪とあご髭がまるでライオンのたてがみのようだ。人の背丈ほどもある大剣を軽々と扱っている。

 それは夜警本部からガエビリスを救出した夜、その時にいた戦士だった。

 確か、ギレビアリウスからゲイルという名で呼ばれていたはずだ。

 あの時は触角の一撃で目つぶしを食らわせ、何とか逃げることができたが……。



「内心、一瞬で殺っちまうんじゃないかとヒヤヒヤしたぜ。ここまで延々お前を追ってきたんだ。もう少し楽しませてもらわないとなぁ」



 いったいどうやってここを突き止めたんだ。

 その疑問は、ゲイルのすぐそばで怯えたように縮こまっているコボルトを見た瞬間に氷解した。


 そのコボルトは野生の個体などではなかった。

 そいつはまさにあの地下の街に住んでいた奴だった。

 俺はそいつに見覚えがあった。


 かつて、地下の街ではコボルトたちが人間と共生し、外部からの侵入者を防いでいた。コボルトは優れた嗅覚を持っており、ローチマンの分泌物のフェロモンの匂いを頼りに、地下の街の住人を侵入者と区別していた。

 このコボルトが俺のフェロモンを追って、ここまでゲイルを導いてきたのだ。

 ゲイルはどうにかして地下の街のコボルトの生き残りを捕獲し、自分の意に従うよう調教したに違いない。コボルトは全身いたるところ傷だらけで、首には頑丈な首輪が取り付けられていた。そこから伸びた鎖はゲイルの手に握られていた。


 ゲイルは鎖でコボルトを引き寄せた。

「このクソ犬がここまで道案内をつとめてくれてなあ。最初は半信半疑だったが意外と役に立った。だがもう用済みだ」

 そう言うと、足元にうずくまる哀れなコボルトの脳天をごついブーツで踏み潰した。

 ぐしゃっと骨の砕ける音がして脳髄と目玉が飛び出した。



 ゲイルは鎖を投げ捨て、両手で大剣を構えた。

「さてと、続きを楽しもうぜ。お前のせいで俺は大恥をかかされたからな。その恨み、晴らさせてもらうぜ」


 俺はゲイルに背を向け一目散に逃げ出した。

 ガエビリスのいる地下室の入り口から遠ざかる方向、廃墟を取り巻く深い森の中へ。密生した木々の間なら、幹が邪魔になってあの大剣を振り回しにくいはずだ。

 振り返るまでもなく、足音荒くゲイルが追ってくるのがわかる。俺があいつより勝っている唯一の点はおそらく逃げ足の速さだけだろう。それを最大限活かすしかない。


 俺は暗い森の奥へとどんどん進んでいった。その後ろからゲイルが藪を蹴散らしながら猛然と追ってくるが、俺との間の距離は少しずつ開きつつあった。



 と、その時、ゲイルが急に立ち止まった。そして、しずかに大剣を横に構えた。

 いったい何をするつもりだと思ったのも束の間、剣が青く妖しい輝きに包まれた。


「ハアッ!!!!!」

 森を揺るがす大音声とともに、ゲイルは大剣を眼にもとまらぬ速さで横なぎに振った。


 次の瞬間、周囲の木々が一瞬にして無数の破片と化して砕け散った。

 大剣から発生した衝撃波は森を蹂躙しながら迫り、そして俺を巻き込んだ。俺は大量の木の破片や枝葉と一緒にもみくちゃにされながら数十メートルも宙をすっ飛び、何度も何度も木の幹に叩きつけられてからようやく止まった。

 全身の骨が折れ、外骨格がひび割れていた。散弾銃の弾丸のように飛び散った木の破片が体じゅうにめり込んでいた。ふつうの人間なら即死の外傷だった。俺は木の幹にすがりながらよろよろと立ち上がった。



 爆撃を受けたかのような惨状を呈する森の向こうから、ゲイルが悠然と姿を現した。


「木が邪魔になって剣が振れないとでも思ったか?無駄だよ。世界中の最高難度のダンジョンの数々を落としてきた俺を、そしてこの剣、 大地を引き裂くもの(グランドブレイカー)を舐めるんじゃねえよ。俺はこの剣であのミノタウロスのド・ゴルグの首も落としたんだ。こんな森ぐらい障害でも何でもねぇ」



 まさか、あのド・ゴルグ氏が殺された。そんな馬鹿な。

 俺は衝撃を受けた。

 あの限りなく強くて頑丈で武骨で、それでいながら人を気遣うやさしさをも持った、あの人が死んだ。それも目の前にいるこの男が殺しただと。怒りよりも、今は信じがたいという思いの方が強かった。


「立ってるのがやっとの状態のようだな。次の一撃でけりをつけてやる、……っておい!まだ逃げるのか!待てやこら!」


 俺は走った。

 もう一つあった。俺があの男より優れている点。それは生命力だ。何度叩かれてもすぐには死なないゴキブリの生命力。

 ガエビリスを守るため、俺は何とかしてこの男に勝たなければならない。勝機なんてあるはずない。だが俺はこの逃げ足と生命力に全力で賭けるしかなかった。

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