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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅲ部
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第77話 森の生活

 その館の跡地は、生い茂った木々にすっかり埋もれていた。


 そこに館があったことを示すのは、青々と茂る葉の間から覗く、煤けた外壁の残骸だけだった。樹木は建物の周囲だけでなく、内部からもたくさんの枝を伸ばしていた。天井が焼け落ちて、内部まで直接日光が降り注ぐようになったためだ。廃墟はすっかり森に還っていた。


 ガエビリスたちが脱走してきた夜、そこでは大勢の信徒たちが炎に焼かれて死んだ。だが、彼らの遺骨らしきものはどこにも残っていなかった。森に住む動物たちが持ち去ったのかもしれない。


 この場所に辿り着く前、俺はもっと不気味な光景を予想していた。

 焼け焦げた姿を痛々しく晒す巨大な幽霊屋敷、至る所に散乱するおびただしい数の人骨……。

 しかし、その予想はいい意味で裏切られた。惨劇から長い年月を経て、この場所は浄化されていた。館を包む森の自然が呪いを癒したのだ。



 俺とガエビリスは廃墟のあちこちを探索した。

 若葉を通して射しこむ柔らかい木漏れ日の下を歩きながら、ガエビリスは言った。


「まさか、こんなに変わっているとは……」

(…きれいだね。ここがかつて悲惨な場所だったなんて想像もつかないよ…)


 見上げると、そよ風に揺れる木々の向こうに午後の青空が見えた。

 どこか遠くで鳥が鳴いていた。

 足元の床には教団のシンボルらしきものがモザイク画で描かれていた。だがその大部分は降り積もった落ち葉と苔で隠されてた。



「たしか、この辺りだったと思うけど……。あったわ、地下室の入り口だわ」


 ガエビリスが指し示した場所は、崩れ落ちた屋根材で半ば覆い隠されていた。朽ちた屋根材からはたくさんのキノコが生えていた。その陰にぼろぼろになった木の扉が見えた。

 俺は屋根材をどかして扉に手をかけた。蝶番や金具がすっかり錆びて劣化していたため、力を込めて引っ張ると扉はあっさり壁から外れバラバラになった。

 ぽっかりと口を開いた地下室の入り口を覗きこむ。

 何も見えないし、何の気配も感じない。

 俺たちは恐る恐る階段を降りていった。



 館の地下はほとんどかつての状態をとどめていた。

 教団の館の棟の間を結んでいた地下通路に沿って、たくさんの部屋が並んでいた。

 一般信徒たちの使っていた寝室は荒れ果てたまま放置されていた。ありがたいことに、農具や炊事器具などの生活道具を納めた地下倉庫はほとんど無傷で残されていた。だが食料庫は鼠に食い荒らされ、鼠の糞以外何も残っていなかった。


「これなら暮らしていけそうね」

(…そうだね。こんな立派な地下室もあるし。君も日の光に当たらずに済む…)



 俺たちは力を合わせて地下室を片付けていった。

 壊れた家具や鼠の糞を地上に捨て、信徒たちの個室から状態の良い机やベッドを運び込み、大きめの部屋に並べて置いた。そこを二人の居室にすることにした。ひと段落ついたところで、ガエビリスは倒れ込むようにしてベッドに横たわった。そしてすぐに軽い寝息をたてはじめた。

 無理もない。長い地上の旅を終えて、ようやく地下に落ち着くことができたのだ。

 俺は触角で、彼女の黒髪をやさしく撫でた。

(…おやすみ。ガエビリス…)



 畑を作ろう。そう言いだしたのはガエビリスだった。

 この廃墟があるのは人里遠く離れた山奥だった。野菜を入手しようにも一番近い農家でさえ、歩いて一晩はかかる距離だ。ガエビリスの話では、教団の信徒たちは敷地内の菜園や果樹園の収穫物で半ば自給自足生活をしていたとのことだった。

 幸い、近くには小川が流れており、泉も湧いているので水には不自由しない。

 ここに来る旅の途中で失敬した野菜の種もちゃんと手元に残していた。

 

 

 だが、教団の農園は、今や完全に野に還っていた。


「これは……ちょっと大変かもね。想像以上にね……」


 雑木林と化したかつての菜園を見て、ガエビリスは絶句した。

 畑への水路は泥と落ち葉で埋まり、水が流れなくなっていた。

 果樹園は茨とつる植物に覆いつくされていたが、その陰で数本のリンゴとブドウの木が細々と生き延びていた。その枝には実がなっていた。多くはないが、二人で食べるには十分な量だった。

 だが、畑を耕して、作物が収穫できるようになるまで、これだけで食いつないでいくのは厳しそうだ。


(…ガエビリス、魔術で何とかならないかな。農業の魔術みたいなもんで…)


「そうね。自然の収穫を待っているわけにはいかないわよね。でもわたし、植物魔術は正直あんまり詳しくなくて……。ごめんなさい。あ、でも、信徒たちが使ってた実用魔道書があれば何とかなると思う」



 力仕事は俺の担当だった。倉庫で見つけた斧で雑木を切り倒し、鍬で固くなった地面を耕し、鋤で埋もれた溝を掘り返した。

 その後はガエビリスの出番だった。ようやく露出した土壌にひざまずき、呪文を唱えながら土をつかんで両手でもみほぐしていった。荒れ果てていた土地は、魔術の効果で作物の栽培に適した肥沃な土壌に生まれ変わっていった。そこに種を撒いて水をやった。翌日から連日、ガエビリスは魔道書を参考にしながら何種類もの魔術を使い、作物の栽培を促進していった。

 日中の作業時には、彼女は頭からすっぽりと黒いベールをかぶった。日光対策は万全だった。


 そのかいあって、何と一週間後にはエンドウ豆を収穫することができた。

 カボチャやトウモロコシ、ジャガイモも旺盛に育っていた。

 これで食料の問題は解決した。



 廃墟での生活にも慣れた、ある夜。

 うぅうううううぅうぅぅ……。

 俺は不気味な声を聞いた。

 長く尾を引くその低い声は、苦しむ男のうめき声にも聞こえた。

 まさか、館をさまよう亡霊の声なのか。俺は背筋が寒くなった。


(…ガエビリス、今の聞こえた?…)

「ええ、聞こえたわ。何の声かしら」


 彼女は特に恐怖は感じていないようだった。

 それどころか、

「ねえ、探しに行ってみない?」

 その表情は好奇心に輝いていた。明らかにいつもよりテンションが高い。

 彼女はこういうのが好きなタイプだったのか……。

 俺は渋々彼女に従って地上に出た。



 空には糸のように細い三日月が浮かんでいた。

 あたりには夜霧が白く漂っている。鬱蒼と生い茂る木々の下は真っ暗闇だ。

 だが、俺の彼女も闇の住人。俺は触角、彼女は暗闇でも見える眼のおかげで苦も無く進んで行ける。


 ううううぅぁあぅあああ……。

 またうめき声が聞こえた。先程より明らかに大きくなっている。

 こちらに接近してきているようだ。

 やがて、うめき声の合間に、別の音も聞こえてきた。

 枝葉の折れる音や、荒い息づかいの音だ。


(…どうやら、亡霊の類ではなさそうだな…)

 猛獣、あるいは魔物か。俺たちは息を殺して待ち受けた。

 すぐ近くまで来ている。かなり大きそうだ。


 それは突然、姿を現した。

 木々の間から射しこむわずかな月明かりに浮かび上がったそれは巨大で醜悪な怪物だった。

 その巨体は象ほどもあり、盛り上がった背中には大きな瘤がいくつも乗っていた。全身はもつれた長い毛で覆われており、全体の形状は判然としない。足の数は六本ほどあるように見えた。


(…何だこいつは…)

「…………まさか、そんな」ガエビリスは小声で言った。

(…知っているのか…)


 突然、ガエビリスは隠れ場所から飛び出し、怪物の目の前に立った。

 俺も慌てて後を追う。一体彼女は何を考えているんだ。


 謎の怪物は立ち止まった。

 毛皮の下から、カタツムリの目のような二本の長い眼柄が現れ、ガエビリスに視線を注いだ。

 続けて、怪物は豚のような鼻をうごめかせ、空気の匂いを嗅いだ。

 怪物は甲高い声で三度鳴いた。

 ……ィイーン。……イイーン。……イイーン。


「わたしの事がわかる?教主さま。……父さん」

 ガエビリスは怪物に向かって言った。

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