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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅲ部
75/117

第75話 ガエビリスの過去①

 話は数週間前にさかのぼる。

 ガエビリスは俺に幼い日の思い出を話してくれた。

 


 かつて、彼女は山奥の館に住んでいた。

 そこはとても大きな石造りの館で、いくつもの棟が渡り廊下で連結され、まるで迷路のようになっていた。館の周囲には高い塀がめぐらされ、その外側には深い森が広がっていた。


 館では大勢の人間たちが寝起きを共にしていた。

 男が多かったが、女も何人かいた。男も女も皆そろいの黒いローブを身にまとい、口数が少なかった。彼らは信徒と呼ばれていた。

 ガエビリスは館の中をある程度は自由に行き来することが許されていたが、信徒はガエビリスとほとんど口を聞いてくれなかった。ときおり目が合うと、彼らは慌てて目を逸らした。彼らが何者でここで何をしているのか、幼い彼女には皆目見当がつかなかった。


 彼女に親しく接してくれるのは、教主ドーマンだけだった。

 がっしりとした体格の中年の男で、鉄色の長い顎鬚を蓄えていた。一般の信徒たちとは違い、夜空のように深い藍色のローブを着ていた。いつもにこにこと笑顔の絶えない人で、笑うと目が糸のように細くなった。

 ドーマンは彼女に読み書きや魔術の教育を施してくれ、たまには遊び相手になってくれた。


 そして、その頃の彼女はリリーンという名前で呼ばれていた。



 ドーマンは彼女によくこう言った。


「いいかいリリーン。君は特別な体の持ち主なんだ。君は太陽の光に長時間当たると体が溶けてしまうんだ。だから、決してこの館の外に出てはいけないよ。わかったかな」

「はい、教主さま……」

「うん、いい子だリリーン」


 幼いリリーンことガエビリスは、教主ドーマンの言い付けを忠実に守った。ドーマンの話を完全に信じ込んでいたのだ。確かに彼女は日の光に弱かった。以前、館の中庭で遊んだときも、ほんの小一時間外に出ただけだったのに、彼女の肌は真っ赤に腫れ、ヒリヒリと痛んだ。

 だから彼女は館の中に閉じこもって育った。



 彼女はいつもひとりで遊んだ。

 信徒には子どもが一人もおらず、唯一の遊び相手である教主様も忙しいことが多く、いつでも彼女の遊びに付き合ってくれるわけではなかったからだ。


 広大な館の中を彼女は一人で彷徨った。成長するにつれ、彼女の行動範囲は広まっていった。蜘蛛の巣だらけの屋根裏の物置、それに迷路のような地下通路も彼女のひみつの遊び場になっていった。部屋の隅に巣食う蜘蛛や昆虫が友達だった。


 迷路のような館の中には、教主さまから立ち入りが固く禁じられた場所があった。

 地下二階にある黒い扉の部屋だ。そこにはいつも鍵がかかっていた。だけど、教主さまや信徒たちは時々その部屋に出入りしていた。

 中には何があるんだろう。館の中をあらかた探検しつくしたリリーンにとって、最後に残された未知の領域だった。彼女はしだいに好奇心を抑えられなくなっていった。


 ある日、彼女は教主様と信徒たちの列の後ろに忍び寄り、黒い扉の部屋に侵入することに成功した。

 扉の向こうは洞窟のように岩盤がむき出しになった通路だった。点々と灯された蝋燭の列がずっと奥まで続いている。ところどころで他の部屋への入り口がぽっかりと黒い口を開いていた。


 信徒たちに見とがめられることを恐れ、リリーンは手近な入り口に身を隠した。

 教主様と信徒たちは彼女には気づかず通路を進んでゆき、やがて姿が見えなくなった。


 ほっと息をついて、リリーンは自分がいる部屋の中を見た。そして驚いた。

 部屋の片側の壁に沿って頑丈な鉄格子が取り付けられていた。

 まるで猛獣でも閉じ込めておくような檻が、なぜこんな場所にあるのだ。部屋の空気にはわずかに排泄物と汗のにおいの混じった悪臭がした。やはり檻の中で何か動物が飼われているに違いない。彼女は檻に近づいて中を覗きこんだ。


 隅っこの暗がりに、汚い毛布が落ちていた。

 毛布は軽く持ち上がっていて、下に何か隠れているようだった。彼女はおそるおそる声をかけた。


「……こんにちは」

「…………」返事はない。

 と、その時、毛布が持ち上がり、その下に隠れていたものがゆっくりと起きあがった。


「……誰?」毛布の下から現れたものが言った。

 それは少年だった。

 彼女より五歳ほど年上だろうか。黒い頭髪は伸び放題で、体はガリガリに痩せ細っていた。青緑の眼だけがぎらぎらと異様な輝きを放ってた。


「……わ、わたしはリリーン。あなたは?」


「僕の名はポドッグ。はじめまして、リリーン。もっと近くに来て」


「…こ、これでいい?」彼女は檻のすぐ前に立った。


「ああ、よく見える。きみはとっても可愛いね、リリーン。その目、その耳、僕とそっくりだ」


 ポドッグの動きとともに、じゃらりと音が鳴った。見ると彼の左足首には重い鎖が取り付けられていた。


「何でこんな所に入れられてるの?何か悪いことをしたの?」


「ふふ……。僕は何もしちゃいないさ。ただ教主さまのお気に召さなかっただけさ」


「そんな、教主さまはそんなひどいことをする人じゃないわ」


「まぁ、いずれ君にもわかるだろう。そんなことより、せっかくこうして出会えたんだ。たぶん、僕たち二人は兄妹なんだ。ほら、僕の耳を見てごらん。きみと同じだろう。自分以外でこんな長い耳をした人間、これまで見たことがあったかい?ないだろう。なぜだかわかる?」


「いいえ、わからない……」


「それはね、僕たち二人が人間じゃないからさ。僕らはダークエルフ。闇に生きる古代種族の末裔なんだよ」


 それが、ガエビリスが兄ギレビアリウスに、初めて出会った瞬間だった。

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