第73話 親友
ギレビアリウス。
野村がこの男と初めて出会ったのは五年前にさかのぼる。
当時は魔王ユスフルギュスの活動の全盛期で、人々は魔王の影に怯えて暮らしていた。
しかし、野村にとっては躍進の時だった。
新しくはじめた事業が成功を納め、野村は莫大な富を手にし始めていた。
魔王時代、都市間の交易路は魔物の攻撃で寸断されていた。
そのため都市では慢性的に物資が欠乏していた。
燃料や鉱石、それに穀物などの必需品は護送船団による海上輸送で何とか供給されていたが、国外で生産される嗜好品や高級品に関しては入手困難な状態が続き、価格が高騰していた。
そこで野村は運送業に目を付けた。
もちろん、運ぶ品目は価値の高いものに限定した。
香辛料、魔物の毛皮や分泌物、骨、魔石、それに貴金属類。これらは魔法アイテムの原材料として加工業者の間で高値で取引されていた。
はじめは借金をして購入した中古のオンボロ輸送車一台を野村みずからが運転した。
魔物が徘徊する荒れ果てた街道を、品物を満載した武装輸送車で突っ走る危険な商売だった。あぶなく死ぬような目に遭ったのは十回や二十回ではきかなかった。
だが、リスクが高いだけに得られるリターンは大きかった。
儲けた金で野村は会社を興した。新しい輸送車を購入し、専属の運転手を雇った。やがて会社は成長し、運転手だけでなく護衛用の戦士や魔道士、さらには事務職員なども雇用するようになり、気がつけば従業員百名を超える企業へと成長していた。
野村自身は会社の経営に専念しつつ、さらなる富を生み出す情報を求めて世界中を飛び回った。
そんなある日、野村はギレビアリウスに出会ったのだ。
場所は大陸南方のとある地方都市だった。
日干し煉瓦で築かれた家々が立ち並び、乾いた砂埃が風に舞う山間の小さな街だった。街を取り囲む岩山には洞窟が点在していたが、それらはいずれもダンジョンだった。
その奥に眠る財宝を求め、この街には世界各地から冒険者たちが集まっていた。
世界を旅する冒険者たちは貴重な情報源だった。
野村は行く先々で彼らと積極的にコミュニケーションを取った。それだけでなく、彼らがダンジョンから持ち帰った財宝や魔物の遺物の買い取り交渉も行った。
野村はとある冒険者パーティーと接触した際、ヴィルタスという名の若い男と知り合った。彼は魔物学者としてそのパーティーに加わっていた。
それはまさに運命的な出会いだった。
初対面で、野村は彼と意気投合した。
並の冒険者や遍歴の魔道士など足元にも及ばない該博な知識と、質の高い情報。それに巧みな話術とユーモアの感覚。そして視野の広さ。いくら話しても飽きる事がなかった。
野村はヴィルタスを宿の自室に招き、酒を酌み交わしながら夜通しで語り合った。真夜中を過ぎる頃には、二人の会話は異様に熱を帯びたものへと変わっていった。
やがて、ヴィルタスは野村に最大の秘密を打ち明けた。
自分の真の名はギレビアリウスであり、人間ではなくダークエルフである。そして忘れ去られた超古代魔術をもとに古代ダークエルフ王朝の復活を目論んでいるということを。
野村もまたギレビアリウスに、自分は別世界から来た人間であり、この世界には存在しない科学、工学、情報技術の知識を持っていることを伝えた。そしてその知識をもとに、社会の上層にのし上がる野心を抱いているということを。
「超古代の魔術と、別世界の知識。俺たち二人が組めばこの世界を支配できるぞ。どうだギレビアリウス、俺と一緒に来ないか」
「ああ、同志ノムラよ。私たちの手でこの世界をつかみ取ってやろう」
街を取り囲む岩山の上に朝日が顔を覗かせた時、二人は固い握手を交わした――――。
そして現在。
野村の無二の親友は焦りの表情を浮かべていた。
しかし、大半の人間はその平静そのものの顔に焦りを見出すことなどできないだろう。つきあいの長い野村だからこそ親友の微妙な表情の陰影を見分けられるのだ。
「そんなに妹が心配か。ずいぶん妹思いの兄なことだ」野村は言った。
「当然だろ。さらなる超古代魔術の発掘にはガエビリスが是非とも必要なのだからな。はやく妹を地下迷宮に連れ戻し、再び古代霊を憑依させて「迷宮の巫女」にしなければ。「迷宮の巫女」の口述を通じてしか、超古代魔術の呪文を知る手段がないのはあんたも知っているだろうに」
「……以前から疑問だったのだが、ギレビアリウス。君もダークエルフなら、地下迷宮の霊の依代になれると思うのだが」
野村はギレビアリウスの面を一瞬よぎった怒りの波を見逃さなかった。
野村は内心、愉快な気分になった。
何事にも完璧なこの男も、妹のことにおよぶと冷静ではいられないようだ。
「フフ……あんたも人が悪いねノムラさん。私は依代になれないんだよ。どうやら妹の方が古代ダークエルフの血を濃く受け継いでるようでね。こればかりはどうしようもない」
野村はギレビアリウスを分析した。
この男は妹、ガエビリスに対して屈折した感情を抱いている。唯一の肉親としての愛情と、同種族の若い女としての肉欲、さらに自分よりも古代の血統を色濃く受け継いでいることへの嫉妬、劣等感も。
つくづく奇妙な男だ。だが、そこがいい。実に面白い。
「ややっ、すまなかった。君を怒らせるつもりはなかったんだ。本当にごめん。気を悪くしないでくれよ」
頭を下げて謝った後、野村は続けて言った。
「きみの妹と、あのローチマンの捜索は、『ミノタウロス殺し』のゲイルに任せてある」
ゲイル。「災いの日」に地上で暴れ回っていたミノタウロスを討ち取ったことで「ミノタウロス殺し」の異名を取る男。失敗に終わったガエビリスの身柄引き渡しの時には護衛を務めていたが、突如乱入したローチマンに両目を切り裂かれ、まんまとガエビリスを奪われてしまったことで、その名声は地に落ちた。
「ゲイルか。適任だな。奴はローチマンへの雪辱に燃えていたからな。だが、本当にいいのか。あのローチマン、もとはあんたの仲間だったそうじゃないか」
「ハハハッ!仲間か。まあ同じ世界から来たという意味では仲間と呼べるかな。だけどそれだけさ。あいつは上昇志向もなく、毎日を惰性で過ごしてるだけのつまらない人間だった。たとえ死んだとしても何の感情も覚えないよ」
「それを聞いて安心した。たかがローチマンの分際で私から妹を奪ったあいつは許せん。できれば私自身の手で拷問して殺したいところだが」
「まあ難しいだろうな。怒り狂ったゲイルを止められる者は誰もいない。きっと一瞬にしてバラバラの肉片にされてしまうだろうよ。で、今日、そのゲイルから連絡が入った。ほんの数日前に君の妹とローチマンがいた痕跡を見つけたらしい」




