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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅰ部
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第7話 調査依頼

 俺は相も変らぬ毎日を送っていた。

 勇者の凱旋も経済の復興も俺には何の恩恵ももたらしていなかった。下水道に潜って泥をかき出し、管を塞ぐまでに成長したスライムをかき取り、そうやって得た薄給で買った安酒を煽って寝るだけの無意味な日々だった。これからもずっとこんな人生が続いていくんだろう。そう思っていた。

 この日が来るまで。


 朝の職場。

 雑然とした倉庫兼事務所の室内に、朝から薄汚れた中年の男どもがてんでバラバラに椅子に腰かけている。座る椅子がない者は壁にもたれたり、腕を組んで立ったまま煙草を吸ったりしている。壁には作業予定表や下水道の埋設場所を表す図面、それに安全第一と整理整頓を呼びかける古びた掲示物。壁際に積み上げられているのはヘルメットと高圧ホース、それにスコップ。下水道清掃作業で使う道具類だ。

 室内には道具に染みついた下水の臭気、煙草の煙、それに中年男どもの加齢臭と汗の臭いが充満している。二日酔いの奴がいるのか、若干酒臭くもある。

 何人かがぼそぼそと小声で何か雑談している。不意に押し殺した笑い声が上がる。


 俺は部屋の隅でいつもの椅子に座っていた。

 誰がどの場所に座るかはだいたい決まっている。俺の場所は部屋の隅に用具箱に挟まれるように置かれたこの足が一本ぐらついている小さな木製の腰かけだ。毎朝ここに座って親方が皆の前に姿を現すのを待っていた。

 隣室の扉が開き、引きずるような足音を立てて親方が出てきた。朝礼の始まりだ。



「えー、行政府下水道整備事業課からお達しが来ておる。今から読むぞ」

 親方が言った。

 親方は咳払いひとつしてから、手にした紙面に目を落として読み始めた。


「えー、……近日、市内で多発している魔物による襲撃事件と推定される事案に関連し、下水道整備事業課は都市治安維持機構(以下、治安維持機構)より捜査協力の依頼を正式に受理しました。


 当該事案の現場から収集された証拠の分析結果より、推定される魔物または危険生物が市内地下の下水道に棲息している可能性が強く示唆されました。そこで治安維持機構と行政府下水道整備事業課との合同により市内下水道の広域調査および駆除作業を実施する運びとなりました。

 当該魔物または危険生物の潜伏場所を発見するための事前調査にあたって、以下に記載の民間の清掃業者にも協力を要請します……」


 親方はつづけて民間業者数社の名前を読み上げた。そこにはこの会社の名前も入っていた。


「……各社より数名程度の協力者を募り、治安維持機構職員と同行し下水道内の調査を行っていただきます。なお、調査に当たっては危険が予想されるため、協力者に対しては特別手当を支給します。詳細については後ほどご連絡いたします。……と、いうわけだ。

 どうだ。誰か、やりたい奴いるか?」


 親方は言葉を切り、清掃員たちを見回した。

「…………」

「……どうした、誰もいねえのか」

「いや、だって、怖いし」親方と目が合った作業員が目を反らしながら言った。

「そこまでの給料もらってねぇしな」別の作業員がぼそりと言った。

「『闇の落とし子』だけでも十分怖いのに」

「ったく、臆病者だな。手当てもらえるんだぞ。誰かいねぇのか?」

「……俺、やります」


 自分でも驚いたことに、俺は手を上げていた。

 周囲の作業員たちも、一様に驚きの目で俺を見ていた。

 これまで仕事に積極的だったことなんて一度もなかった。親方に叱られない程度に手を抜いて、適当に作業をこなしてきただけだ。下水道に降りるのもいつも嫌で仕方がなかった。真っ暗闇も、悪臭も、汚い水も、気持ち悪い虫も、スライムも、全部嫌いだ。

 なのになぜ、俺は手を上げた。きっと、あいつのことが頭の片隅にあったせいに違いない。秋本俊也。一緒にこの世界にやって来た大学の同回生にして、魔王を倒した英雄。


「お?ヒロ、大した度胸だな。よし、これで一名。あとは?」

「…………」親方と目を合わせないよう、皆うつむいている。

「仕方がない、俺から指名する。スコラビ、サッカイ、あとは……キリスとゴンドウ。これで決まりだ」

 指名された作業員たちは口々に抗議の声を上げようとしたが、親方に一喝されると黙り込んだ。

「異論は認めん。ちなみに俺も参加する。以上の参加者はこれから下水道整備事業課の事務所に行って、向こうの担当者と調査の打ち合わせと段取りをする。以上だ!」


 朝礼が終わり、作業員たちは気だるげに動き出した。今日予定されていた清掃作業の準備を始める者、煙草を一服吹かす者、大声で雑談をしながら小突き合う者。

 それに、親方と一緒に行政府に向かう者。

「おい、早くしろヒロ。置いてくぞ」

 俺は慌てて彼らの後を追った。


 俺だって。俺だってやれるはずだ。魔物の一匹ぐらい倒せるはず。

 いや、倒してやる。こんなみじめな毎日で終わってたまるか。これから始まるのだ。

 事務所を後にした時、俺はそんな気分になっていた。

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