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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅱ部
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第66話 救出

 夜警本部めがけて急降下していた俺は途中でバランスを崩し、真っ逆さまに屋根の上に墜落した。

 スレート瓦が何枚か砕けて大きな音が鳴り響く。

 中庭で警備に当たっていた隊員たちが物音に気づき、いっせいに見上げた。うち二人がこちらに向かって走り出す。

 俺はカサコソと壁を這い、棟と棟の間の狭い隙間にあわてて潜り込んだ。


 そのままじっと息をひそめる。

 隊員たちはライトを照射し、俺が落下したあたりを念入りに調べている。だが結局何も見つけられず、十分ほどして戻っていった。危ない所だった。やはりゴキブリは飛ぶのに向いてない。


 俺は隙間からそっと中庭の様子をうかがった。

 ガエビリスが閉じ込められている檻は、中庭の四方からサーチライトの光芒を浴びせられていた。

 暗闇に生きるダークエルフにとって光ほど堪えるものはない。ガエビリスは顔を伏せ、膝を抱えて檻の隅で小さくうずくまっていた。その姿勢のまま、身動き一つしない。無慈悲に浴びせられる光の洪水の中で、彼女の姿は小さく縮んでしまったように見えた。


 中庭の芝生の上に置かれた檻は見た目にも強靭な鋼鉄製だった。さらに魔力で強化されていると見て間違いないだろう。とてもじゃないが腕力に物を言わせ破壊することなどできそうにない。さらに周囲には黒いコートを着た夜警隊員たちが十数名立っている。

 この状況を見ると、ガエビリスを救い出すのはほぼ不可能としか思えない。

 だが俺は待ち続けた。



 やがて、中庭に動きが生じた。

 最初に聞こえてきたのは声だった。


「……こちらです。ご要望の通り、生かしたまま確保しております」


 甲高い男の声。聞き覚えのある声だった。

 かつて、ここの地下室に監禁されていた時に嫌というほど聞いた、ハルビア総隊長の声だ。

 声に遅れて一瞬後、白衣の男は中庭に姿を現した。


 夜警のトップに立つ男の姿は以前と何一つ変わりなかった。細見の体を包む白一色のコート、オールバックに撫でつけられた黒髪がサーチライトの光にあざやかに浮かび上がる。


「ふむ、ご苦労だったな。ハルビア総隊長殿」

 ハルビアの隣を歩く男が言った。

 中庭の木立に遮られて、その男の顔はこちらからは見えない。だが、着ているのはいかにも上等そうなチャコールグレイの服で、手首にはプラチナのブレスレッドが光っている。シャモスが言っていた、行政局にかわって都市を支配し始めたという大商人の一人だろうか。


 やがて、ハルビアとその男は中庭の中央、遮るもののない場所まで進み出た。

 男の頭には黒い帽子が乗っていた。金田一耕助が被っているような、そんなチューリップハットを愛用している人間を、俺はこの世界で一人しか知らなかった。

 野村博信だ。この世界に転移した仲間の一人。冒険者や魔道士ではなく商売の道へ進んだ男。

 まさか、野村がこの都市の支配者に収まったというのか。



 驚愕して見守っていると、野村の後ろに従うようにして、さらに二人の人物が現れた。

 そのうち一人は身長二メートル超の巨漢だった。こんな大きな男はこれまで見たことがなかった。青銅色の鎧をまとい、一振りの大剣を背負っている。明らかに戦士だ。ふさふさした長い髪と顎鬚がまるでライオンのような印象を与えていた。

 圧倒的な存在感を放つ巨漢の戦士とは対照的に、もう一人の方は凡庸な外見の人物だった。ほっそりとした体型で身長もそれほど高くはなく、武装もしてない。戦士と比べるとまるで紙切れのように頼りなく見える。

 だが、本当に危険なのは戦士よりもこの男だ。その姿を目にした瞬間、理由はわからないものの俺はそう直感した。そいつは中庭の中央に置かれた檻にひたと視線を据えていた。丸い黒眼鏡にサーチライトの光が反射してギラリと光った。



 中庭に登場した一行のおかげで、警戒に当たっていた夜警たちの注意が一瞬それた。その隙に俺は壁の間の隠れ場所からそろりと抜け出し、雨樋を伝って地面に降りた。

 そして植込みの影に隠れながら、より近距離から野村たちの動きを注視した。



 一行は檻の前で立ち止まった。

 ガエビリスが囚われた檻の扉を前にして、ハルビアは野村に抗議の声を上げた。


「……最後に念のため、もう一度忠告させていただく。今すぐこのダークエルフを駆除することです。失われた古代魔術の研究に是非とも必要とのことだが、生きたダークエルフを用いるのはあまりにも危険が大きすぎる。奴らは人の心を操るエキスパートだ。こちらが利用しているつもりでも、いつの間にか精神を支配され、逆にこちらが操り人形にされている、なんてことになりかねない」


 それに対し、野村が答えた。

「こちらもリスクは承知している。だが、リスクを恐れていては新たなるイノベーションは得られない。心配することはない、総隊長殿。我々が用意した研究施設の管理体制は厳重で、保安要員に数多くの魔道士や戦士を取り揃えている。万に一つも事故はありえない。保障しよう」

 野村の隣で、黒眼鏡の男はかすかに笑みを浮かべていた。


「しかし……」ハルビアはなおも食い下がった。

「すでに決定済みの事項だ、ハルビア総隊長。これは市長命令だ。この女の身柄の引き渡せ」

 少し苛立った口調で野村が言った。


「……仕方がないでしょう。だが条件がある。そのダークエルフの監視、引き続き我々夜警が担当させていただく」


 その時、野村の背後から戦士がぬっと進み出た。

 そしてハルビア総隊長を傲然と見下ろしながら唸るようにして言った。


「フン、いちいち小うるさい男だ。魔物退治と捕獲、それに市内の治安維持はわれわれ自由騎士団のつとめだ。お前たち害獣駆除業者どもはネズミとゴキブリの心配だけしておればよい。行政局庁舎地区が消し飛び、都市に魔物があふれたあの『災いの日』、お前たちは何の役にも立たぬ木偶の坊だと自ら証明したではないか」


「…………」

 愚弄されてもハルビアは平静な表情を崩さなかった。

 だが、部下の隊員たちは違った。

「何だと……」「傭兵風情が偉そうに」

「我ら誇り高き夜警(ナイトウォッチ)を侮辱するかっ!」


 一転して、中庭全体に緊迫した雰囲気がみなぎった。

 しかし、大勢の敵意を一身に浴びてもなお、巨漢の戦士は平然と鼻で笑っていた。

「来るなら来てもいいんだぜ、黒服小僧ども。俺一人で相手にしてやろう」

 そう言って挑発すると、周囲を取り囲む隊員たちを睨み付けながら背中の大剣の柄に手をかけた。



「やめないか」

 静かな声がした。けっして大きくはないがよく通る声で、有無を言わせず人を従わせる響きを持っていた。

 声を発したのは黒眼鏡の男だった。

「ゲイル、無用な挑発は止すんだ」

 巨漢の戦士、ゲイルは黒眼鏡の言葉におどろくほど素直に従った。


 続けて黒眼鏡は言った。

「ハルビア総隊長、すまないが、サーチライトを消してもらえないだろうか。我々が来たからには、もはやそのダークエルフが逃走する恐れはない」

「しかし……」ハルビアはためらった。

「いいから言われた通りにするんだ」野村が語気を荒げた。


 強烈な光を放っていた四基のサーチライトが消灯した。中庭を照らしているのは夜警本部の窓から漏れる明かりだけとなった。


「檻の鍵を、ハルビア総隊長」

 ハルビアは錠前に銀色の鍵を挿しこんだ。そして解除の呪文を唱えた。

 甲高い金属音を立てて、錠前が外れた。檻の扉が開かれた。


 檻の中にハルビア総隊長と、つづけて黒眼鏡の男が入った。

 檻は一辺四メートルほどの立方体で、その隅にガエビリスは縮こまっていた。光が消えたことにも、檻の扉が開いて人が入ってきたことにも気付いていない。顔を伏せたままじっとしている。その手首と足首は太い鎖と足枷で拘束されていた。


「さあ、もう大丈夫だ。一緒においで」

 黒眼鏡は優しい声でガエビリスに話しかけ、手を差し伸べた。


 やがて、ガエビリスはおずおずと顔を上げた。その顔は痛々しいほど憔悴していた。しかし、地下迷宮で遭遇した時のような無機質な感じはなかった。彼女はもとの人格を取り戻しているように見えた。

 黒眼鏡の顔を一瞥した瞬間、彼女の瞳に明らかな恐怖の色が浮かんだ。


「いや……こないで」彼女は檻の隅へと後ずさった。


「怖がることはないよ。さあ、来るんだ」

 黒眼鏡はガエビリスの手首をがっしりと握り締め、力ずくで引っ立てた。よろめくガエビリスをそのまま檻の出口へと引きずっていく。ハルビアもその後から檻の外へ向かう。その手にはいつの間にか真鍮のロッドが握られ、ガエビリスにぴたりと狙いを定めていた。


 ガエビリスと黒眼鏡が檻から出た。ハルビアは檻の中だ。


 今しかない。

 俺は植え込みから抜け出すと、身を低く伏せて二人めがけて全速力で突進した。

 そして後から、黒眼鏡に思いっきり体当たりを食らわせた。

 スピードに全体重を乗せた一撃をまともに受けて、黒眼鏡の体が宙に吹っ飛んだ。

 すぐさま檻の扉を叩きつけるように閉める。ハルビアは中に閉じ込められた。


 呆然としているガエビリスの手を握り、俺は走り出した。


 ゲイルが背中の大剣を抜いた。

 並の人間の背丈ほどもある巨大な鉄の刃が、唸りをあげて襲いかかってくる。ガエビリスを抱きかかえたまま、その一撃を辛うじて回避した。すれ違いざま、ゲイルの目を狙って触角を鞭のように振った。

「がぁ!くそったれが!」

 両目から涙のように血を流しながら、巨漢は怒り狂ってやみくもに剣を振り回した。



「ライトだ!はやくライトを点けろ!」

 檻の中からハルビアが叫んだ。

 中庭の四隅のサーチライトが点灯された。あたりは再び光の海と化した。

 その時ちょうど、俺の体当たりを受けて倒れていた黒眼鏡の男はようやく立ち上がろうとしていた。しかし体当たりの衝撃で黒眼鏡はどこかに吹っ飛んでいた。

 男の瞳は深い青緑色をしていた。ガエビリスの瞳とそっくりの繊細で美しい色だった。

 その眼を、四基のサーチライトの光線がまともに貫いた。


「ぎゃあああああああああああああ!!!!」

 男は両目を押さえ、この世のものとは思えない壮絶な悲鳴を上げてのたうち回った。


「ああっ、馬鹿!早くライトを消せ!何してる!」野村が叫んだ。

 しかし、夜警隊員たちは野村の言葉より総隊長の命令を優先し、ライトは灯されたままだった。


 野村が叫びながら倒れた男に駆け寄るのをちらりと見たのを最後に、俺はガエビリスを抱きかかえて中庭を抜け出した。直後、背後の芝生や建物の壁面が音を立てて爆ぜた。夜警隊員たちが魔術の一斉射撃を開始したのだ。


 俺はそのまま足を緩めず、建物の間を縫うように走り抜けると、夜警本部の敷地を出た。そして夜の都市へと飛び込んだ。路地裏から屋根の上、さらに暗渠へと。まるで導かれるように暗闇の中でとるべきルートがはっきりとわかった。遠く、どこまでも遠く。追手から逃げ続ける。


 走り続ける俺の周囲で風が唸った。その唸りに紛れるように、かすかな声が聞こえた。

「ワタナベ……さん。ありがとう、助けてくれて……」

「…しっかりつかまっててくれよ、ガエビリス。夜のうちに、もっと遠くまで逃げるからな…」

 俺は優しく触角で触れ、ようやく再会できた彼女にメッセージを伝えた。

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