第65話 希望
俺とシャモスはトンネルを抜けて地上に出た。
そこは大聖堂の建つ丘のふもとだった。暗い空には星が瞬いていた。
トンネルを出てすぐのところに、斜めに傾いた巨大な鋼鉄製の台座が設置されていた。おそらく殲滅砲を地下に向けて撃つための仕掛けだろう。これに重装甲車を乗せて固定し、砲口が地面に向くよう車体を倒立させつつ、発射の反動を吸収したのだろう。
トンネルを穿つため一晩中殲滅砲を撃ち続けた結果、周辺は焼け爛れていた。
出口付近には二人の見張りが立っていたが、見とがめられることはなかった。
トンネルの周囲100メートルの所に張られた立ち入り禁止ラインを越えて、俺たちは町へと入っていった。時計台を見るとそれほど遅い時間ではないことがわかったが、にも関わらず、町には妙に人気がなく、張り詰めた空気が漂っているように思えた。道ですれ違った一人の男は、俺たちに視線を合わせないようにして足早に歩き去った。
シャモスに連れて行かれたのはレンガ倉庫の間の路地だった。
「ここまで来れば安心だろう。その鎧と兜を脱げ。私が預かる」
俺は言われた通りにした。シャモスも兜を脱いで顔を晒した。銀色の短い髪がハリネズミのように逆立っていた。右耳には青い宝石のピアスが光っている。
兜を脱いで触角が自由になったので、俺はシャモスに向けてそっと触角の先を伸ばしてメッセージを送った。
「…なぜ俺のことを助けてくれた?…」
「うおっ!なんだこれ。びっくりしたー。ローチマンってこうやって話すのか。驚かすなよ。お前を助けた理由はな、彼に、あの人に頼まれたからだよ。……ササキさんにな」
そう言うシャモスの頬は赤くなっていた。
「お前って、ササキさんの古い知り合いなんだってな。つまりそれはあの勇者の知り合いでもあるって事なんだよな……。全然そんな風に見えないけどさ。地下迷宮への突撃作戦の前、ササキさんから頭を下げて頼まれたんだ。地下でお前を見かけたら助けてやって欲しいって」
「それにしても、ササキさんってすごい人だよな。あんなに強いのに偉ぶった所が全然なくて、誰にでも親しく接してくれるし、お前みたいな最低のゴキブリ野郎でも見捨てたりしない。強い上に優しいし、それに……」
シャモスは頬を染め、夢見るような様子で佐々木のことを誉めそやし続けた。
俺や倉本と離れた後、二人の間に何があったのかわかったような気がした。敵が潜む危険な地下。そこに男女二人きり。いわゆる吊り橋効果ってやつが働いたに違いない。
俺の冷ややかな視線に気づいたのか、シャモスは咳払いをして言った。
「……ま、まぁ、あの人に感謝することだな。私個人としてはお前なんか死ねばいいと思ってる事に変わりはない。さあ、さっさと行っちまえ。私がお前を逃がしたのが仲間たちにばれたらヤバイし」
「…わかった。最後に一つだけ聞きたい。ガエビリス、地下迷宮にいたダークエルフの女はどうなった?…」
「…………」
シャモスは無言だった。
ああ、やはり彼女は逃げられなかったか……。
絶望のあまり、目の前が暗くなり、俺はその場に崩れ落ちそうになった。
しかし、しばし迷いを見せたのち、彼女はよりいっそう声をひそめて言った。
「いいか、これから私が言う事は誰にも漏らすんじゃないぞ。絶対だぞ、いいな!」
しつこいほど念押しした後、彼女は話しはじめた。
「あのダークエルフは捕えられ、即刻その場で駆除された。
そういう事になってる。あくまで表向きにはな。
だけど真相は違う。
あいつは戦闘の末に拘束されて夜警本部へ連行された。今日の昼間のことだ。仲間たちが何人も目撃している。緘口令が敷かれてはいるが、夜警内部はその噂で持ちきりだ。発見ししだい即殺害が鉄則の危険なダークエルフを生かしたまま運び出すなんて、異例中の異例だからな。そんな話聞いた事がない。ハルビア総隊長もカンカンだ。いったいお偉方は何を考えてるんだか」
「…お偉方?何者かの意向なのか?夜警を動かせるほどの権力者、行政局か…」
「行政局?ああ、そうか、お前は何も知らないんだったな。行政局はもうない」
「…どういう事だ…」
意外な答えに俺はわが耳を疑った。
「行政局本館に隕石が衝突したんだ。この街を牛耳ってた役人どもはほとんどが死んだ。私たち四人がちょうど地下に潜ってる間のことさ。さらにその混乱に乗じて地下の街にいた怪物どもが地上に出て暴れ回りはじめた。
指揮命令系統を失って身動きが取れなくなっていた治安維持機構にかわってこの都市を救ったのは、たまたま冒険者街にいた戦士たちだった。彼らは団結して怪物どもに立ち向かい皆殺しにした。そして行政府に変わって、今この都市を動かしているのは大商人たちだ。ダークエルフを生かしたのも連中の思惑だろうな」
俺と倉本が地下を彷徨っている間に、地上の都市はとんでもない大激変に見舞われていたことになる。
にわかには信じがたい話だ。
だが、それよりも。
ガエビリスは生きていた。今ならまだ間に合うかもしれない。
「…ありがとう。感謝する…」
「礼はいらないよ。もういい。さっさと行け」
そう言うとシャモスは再び兜をかぶり、後ろを向くと路地から立ち去った。
ガエビリス、今度こそ絶対に助け出す。
俺は夜警本部に向けて、闇に包まれた夜の都市を猛然と駆け抜けていった。
体が軽い。激痛に襲われ、満身創痍になっていたのが嘘のようだ。いったい俺の体に何が起きているんだ。影から影、隙間から隙間を黒い風になったように目にも留まらぬ速さで走り抜ける。
広い水面にぶつかった。都市を貫いて流れるソウ川だ。近くに橋はない。
俺は背中の翅をばっと広げた。そしてそれをバタバタと騒々しく羽ばたかせた。両脚が地面を離れ、体が空中に浮かび上がった。
両手両足を伸ばしてバランスを取りながら、半ば風に吹き飛ばされるようにして川を渡り切った。
そのまま都市の上空をふらふらと飛び続ける。眼下には普段より少し薄暗い都市の夜景が広がっていた。
その一角に、煌々とまばゆく照明が灯った場所があった。それは夜警本部の中庭だった。中庭の中央に向けて、四隅からサーチライトが強力な光線を浴びせていた。その焦点の光の海に沈むように檻が一つ。そして、檻の中には小さな人影が。
ついに見つけた。ガエビリスだ。
俺は光あふれる中庭めがけて急降下した。




