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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅱ部
64/117

第64話 奇襲作戦

 迷宮を一直線に切り裂く火線。崩れ落ちる石柱、灰と化す怪物たち。

 すべてを破壊しながら接近する黒ずくめの兵士。


 燃え盛る炎が放つ熱波に包まれ、全身を激痛に苛まれながら俺は意識を失おうとしていた。


 かすれゆく視野の中で最後に目にした光景は、倉本が夜警隊員に包囲される後姿だった。十名以上の隊員たちが突きつける真鍮の魔導具は炎の光を反射してまばゆく光り輝いていた……。




 俺は闇の中で目を覚ました。

 あれからどれほど時間が経過したのだろう。

 迷宮を焼き尽くしていた業火はすでに消えたようだ。空気中には濃厚な灰の臭いが漂っていた。


 意識を失う前に比べ、わずかだが体力が回復し、全身の痛みも引いていた。

 俺はゆっくりと頭だけ動かして周囲を眺めた。

 目に見える光景は粗いモザイク画のようであり、そのことから俺はまだローチマンのままだという事がわかった。


 炎は鎮火したものの、迷宮はまだ完全な静寂を取り戻していなかった。

 あちらこちらで魔法光の球が白い光を放ち、その下では大勢の黒い人影が動き回っていた。

 夜警たちはまだ撤収していなかった。黒い甲冑に身を固めた強襲部隊だけでなく、黒いコートの通常装備の隊員や、黒いローブを着た科学者の姿もあった。彼らは散乱する怪物の死骸をその場で調査したり、解体して運び出したりしていた。


 倉本の姿はどこにも見えなかった。

 意識を失う寸前に見たように、あのまま夜警に拘束され、今ごろは事情聴取を受けているのかもしれない。


 それに、ガエビリスの姿もなかった。

 もし夜警に捕まったのだとしたら、考えたくもない事だが生存は絶望的だった。

「…………」



 その時、すぐそばで靴音がした。二人組の夜警隊員がこちらにやってくる。どちらも強襲部隊の隊員だ。

 二人はその辺に転がる亀人間や鼬人間の死体を(あらた)めながら近づいてきた。そして二人組のうち背の高い方が俺に向かって真鍮の魔導具を突きつけた。


 そうだった。今の俺はローチマンなのだ。夜警から見れば俺も怪物どもの一員に過ぎない。


 夜警の通常装備である真鍮のロッドがフルートだとすると、強襲部隊がもつ大がかりで複雑な構造のそれはホルンやチューバを思わせた。それが奏でる魔術はさぞかし強力なのだろう。顔面はフェイスガードで隠され、その表情はまったくうかがい知れない。

 フェイスガード越しのくぐもった声で隊員は相方に話しかけた。


「このローチマン、まだ生きてるように見えるな」

「そうか?さすがにもう死んでるだろ。ほら、内臓が飛び出してるし」

 相方は少し高めの声で答えた。こちらも顔が見えない。


「うーん。そうだろうか」

 魔導具を構えた方はまだ納得していないようだった。

「仮に生きてたとしてもどうせただのローチマンだ。魔力の無駄遣いは止そうぜ」

「……それもそうだな」


 ようやく、二人組は俺を残して立ち去った。

 あえて死んだふりをする必要はなかった。ボロボロの体はどこからどう見ても死骸だった。

 俺はそのまま身動きせずにじっと横たわり続けた。



 やがて、夜警隊員の数は少しずつ減っていった。その日の調査活動がひと段落ついたのかもしれない。俺はそのまま待った。数時間後、ついに最低限の見張りを残して、ほとんどの人員は撤収した。白々とした魔法光に照らされた迷宮はがらんとしていた。


 今が逃げるチャンスだ。

 俺はゆっくりと体を起こした。それだけでも重労働だった。尻から飛び出た腸は干乾びて床にへばりついていた。それをびりっと引き剥がすと激痛が走った。

 見張りの兵士に見とがめられないよう、俺は手近な石の柱の影によろめきながら逃げ込んだ。

 それからは夜警に見つからぬよう、ゆっくりと影の中を進んでいった。



 目の前に、真っ黒に焼け焦げた巨大な塊が転がっていた。

 よく見ると、それはガエビリスが乗っていた百足人間の死骸だった。

 壮絶な死に様だった。百足の怪物は夜警の重装甲車の残骸にのしかかり、爪を立ててしがみ付いたまま炭と化していた。

 まだ魔王の脅威が存在していた時代、湯水のように資金を投じて開発されたオーバースペックの戦闘車両が重装甲車だ。圧倒的な火力を有し、あらゆる魔法攻撃を跳ね返す装甲を誇る無敵の重装甲車は全世界で五台しか存在しない。

 夜警が有するその貴重な一台は完全にスクラップと化していた。殲滅砲の砲塔は捻じ曲がり、装甲はズタズタに切り裂かれ、黒焦げになり、もはや修復は不可能なありさまだった。それに絡みつく百足人間の巨体にはいくつも大穴が空いていたが、死してもその毒牙は車体深く食い込んで獲物を離さなかった。



 夜警がやってきた方向の先に、迷宮からの出口があるはずだ。

 ほどなく、迷宮からの出口が見つかった。だがそれは予想外のものだった。

 迷宮の壁に、斜め上方に傾斜したトンネルが口を開いていた。トンネルの断面はきれいな円形で、内壁は溶けたように滑らかだった。急傾斜のトンネルを昇降するための手がかりとして、壁には太い鎖が何本も打ちつけてある。

 壁面に手を触れるとまだ熱がこもっていた。


 地上から直接、地下迷宮までトンネルをぶち抜いたのか。夜警も思い切ったことをやる。



「動くな。じっとしてろ」

 そのとき不意に、静かな声とともに背中に冷たい金属棒が突きつけられた。

 俺は素直に声に従った。


「その格好じゃ目立ちすぎる。こっちに来るんだ」

 俺は後から小突かれながらトンネルから離れた。

 連れて行かれたのは倒れた石柱や岩屑などが散乱している場所だった。そこには戦闘で壊れた夜警の装備品なども山積みにして捨てられていた。


 影に包まれ周囲から隠れたその場所で、俺を追い立てた人物はフェイスガードを跳ね上げた。

 シャモス隊員だった。


「お前、ワタナベだな?間違いないか?」

 俺はうなずいた。


「やっぱりそうか。あの時、お前に気づいてな。倒れてるお前を撃とうとした相棒を止めたのは私だ」

 どおりで聞き覚えのある声だと思った。

 彼女はアラクネの巣で俺たちと別れた後、早々と地上に脱出していたようだ。


「あの後のことは話せば長くなる。とにかく、これを着るんだ」


 彼女は廃棄された夜警の装備を俺に手渡した。強襲部隊が着ていた黒い甲冑だ。胸の所がざっくりと切り裂かれ、血痕が付着していた。これを着ていた隊員は死んだのだろうか。兜は大きくへこみ、フェイスガードには亀裂が走っていた。俺は自分のサイズに合ったものを見つくろい、シャモス隊員に手伝ってもらいながら全身を甲冑で覆った。

 これなら、俺がローチマンだとばれないで済む。



 俺とシャモス隊員は再びトンネルの入り口に向かった。

 シャモス隊員は説明した。

「重装甲車の殲滅砲で地面を撃ち、岩盤を溶かしてトンネルを掘ったんだ。ハルビア総隊長のアイデアだ。あの人はやつらの活動拠点の場所を割り出したんだが、そこに至るまで迷路のような地下の街や下水道をいちいち制圧していたら埒が明かない。だからやつらの活動拠点まで一挙に穴をぶち開けたってわけだ。開通まで一晩しかかからなかった。奇襲は大成功だ」


 だが俺はその成功を祝う気にはなれなかった。

 俺たちは鎖につかまり、地上に向かって急傾斜するトンネルの中を登っていった。

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