第60話 放浪
俺と倉本は、地上への脱出路を求め、どこまでも続く闇の中をさまよっていた……。
崩壊するアラクネの巣から転落した俺たち二人は、地底を流れる川に落下した。
激流に押し流され、気がつくと俺たちは地底湖の浅瀬に流れ着いていた。二人とも気を失っていたので、落下地点からどれほど遠くまで流されたか見当もつかなかった。
都市の地下に地下河川や地底湖があるなんて話は、地下の街の住人からも聞いた事がなかった。
少なくとも、下水道や地下の街があったのよりもはるかに大深度の地下であることには間違いない。
倉本の知識もそれを裏付けていた。この都市ではかつて地下の凝灰岩層から石材が採掘されてきたが、そのさらに下には分厚い石灰岩の地層が横たわっているという。地下河川は石灰岩が地下水により侵食されてできたものなので、俺たちがいるのはその石灰岩の岩盤内部のどこかという事になる。
佐々木やシャモスと合流したかったが、地下河川は流れが激しく、落下地点まで泳いでさかのぼるのは不可能だった。俺たち二人だけで地上へと脱出する経路を探すしかなさそうだった。
ずぶ濡れになった衣服をしぼり、携帯食で腹ごしらえを済ませてから、俺たちは地底湖のほとりを歩きだした。魔力節約のため魔法光の光量を抑えているので周囲3メートルから先は闇に閉ざされていた。洞窟の天井からは鍾乳石が垂れ下がり、床には石筍が盛り上がっている。岩の表面に析出した方解石の結晶がきらきらと光を反射して輝いた。地底湖の水は透明度が高く深さ数メートルの水底まで透き通って見えた。水中には目のない白い小魚やエビが泳いでいた。
やがて上り勾配になった洞窟の入り口が見つかり、俺たちはそこに入っていった。その先は果てしなく分岐を繰り返す迷路だった。何度も行き止まりにぶつかり、その都度分岐点まで引き返すのを余儀なくされた。そんな事を繰り返している内に俺たちは完全に迷ってしまった。携帯食はまもなく底をついたので、目のない小魚を捕まえて空腹をしのいだ。加熱魔術であぶってから食べたが、魚は水っぽく小骨が多くて不味かった。
倉本はときどき咳の発作に襲われ、血の混じった痰を吐いた。治癒魔術を何度も使ったにも関わらず、アラクネの微小な毒針を吸い込んだダメージから回復しきっていないのかもしれない。また、何日も闇の中をあてどなくさまよい続けるストレスが心身に重くのしかかってきているようだった。
一方、俺の方は地下の街で数か月間暮らした経験からか、意外なほど平然としていられた。だが、魔術を使えないので魚を捕まえて焼くのも、闇を照らす魔法光も、何事も倉本に頼りっきりだった。そんな俺に対して倉本が苛立ちを覚えているのが感じられた。
気がつくと、俺と倉本はほとんど無言になっていた。
そう言えば、この異世界にやってきた当初から、俺と倉本の間にはあまり会話が無かった。魔法を使えず戦闘で役に立たない俺に対して、きつい言葉を投げかけてきたのはいつも倉本だった。だから俺は倉本が苦手だった。倉本の方でも俺のことを明らかに嫌っていた。
最近、数年ぶりに再会してからは当時のぎくしゃくとした雰囲気はなくなっていたが、今再び俺と倉本の間には冷え冷えとした空気が漂いはじめていた。
地底から生還できるかどうかの時にこんな事を考えるなんて馬鹿馬鹿しいが、一緒に流されたのが倉本なんかじゃなくて佐々木かシャモスだったら良かったのにと何度も思った。
「……今日はここで休むぞ」
突然、倉本が荷物を降ろして座り込んだ。
背嚢から小魚を入れた袋を出す。数日前に地底湖で捕まえて乾燥させて保存しておいたものだが、すでに腐りかけて悪臭を放っていた。倉本はそこから二尾を取り出すと、加熱魔術を使って焼いた。焼いても腐臭は消えなかった。倉本は吐きそうな顔をしながらそれを飲み下した。味気ない食事を終えるとすぐに倉本は横になって目を閉じたが、またしても咳が止まらなくなった。
「……倉本、大丈夫か」
背中を丸めて咳を続けている倉本に呼びかけた。
ようやくそれが治まると倉本は言った。
「くそ、魔王城から無事生還したってのに、町のすぐ下の洞窟でこんな目に遭うなんて、皮肉なもんだぜ。全部お前のせいだぞ、渡辺。お前はいつも俺たちの足を引っ張りやがる」
「……すまん。だけど、俺も魔法さえ使えればそうしたよ。お前らなんかに頼らなかった」
つい、言い訳めいた言葉が口をついて出た。
しかし、それが倉本の怒りに火をつけた。
「はっ、またそれか。お前って昔からそうだったよな。魔法が使えない事を言い訳にして、逃げてばっかり。それが今のお前のみじめな境遇につながってるんだよ。わかるか」
さすがに俺もカチンときた。言っていい事と悪い事がある。
「俺だってずっと逃げてたわけじゃない……。この世界では魔術の扱えない人間が活躍できる場所はどこにもないことくらい俺にもわかってる。お前らと会わなくなった後、一人で魔術訓練所に通ったよ。でも結局、そこの指導員にはさじを投げられた。あげくに怪しげな心理療法士や祈祷師にすがったりもした。でも全部効果が無かった。俺は魔術を使えない。この結論を受け入れるのがどれだけ辛かったか、お前にわかるのかよ」
「わかってたまるか、この敗北主義者め。うじうじ泣き言ばかり並べやがって。お前の事は前から嫌いだったんだよ」
倉本は吐き捨てるように言った。
「…………」
俺は怒りに震えながらも、倉本に言い返す言葉を見つけられなかった。
倉本に背を向けて固く目を閉じたが、浅い眠りは倉本の咳の発作で何度も中断された。
俺と倉本の間のやり取りは辛辣になっていったが、それでも俺たちはペアを解消することはなかった。そんな事をすれば即座に死につながる事をお互いに認識していたからだろう。俺には倉本の魔術が必要だったし、倉本にも闇の中で道連れになる相手が必要だった。俺を罵ることで倉本は何とか精神の均衡を保っているようだった。
いつしか俺たち二人の顔は濃いあご鬚で覆われて原始人のような有様になっていた。
そんなある日の事。
俺たちはかつてないほど広大な空洞に出た。
向こう側の壁が遠すぎて、魔法光の反射が見えない。天井ははるか頭上高く、無数の岩の柱に支えられていた。
その光景に俺は見覚えがあった。
「地下迷宮だ……」
そう。かつてガエビリスとリゲリータ、それにキンクと一緒に見つけ出したあの場所に違いない。俺はあの時はじめてローチマンに変身し、迷宮の入り口を守っていた怪物を倒したのだ。あの時の事はもう、はるか遠い昔の事のように思える。
地下迷宮に到達したということは、ここから登って行けば下水道へ、そして地上へと出られる。俺は倉本に勢い込んでその事を説明した。聞くうちに暗く淀んでいた倉本の瞳に光が灯った。俺たちは広大な広間のような空間に踏み込んだ。




