第6話 事件
勇者凱旋から一ヶ月が経ち、街は再び落ち着きを取り戻しつつあった。
いっときの熱狂、祭り騒ぎは影をひそめ、人々はようやく訪れた平和のもとで復興に向かって力を注いでいた。
戦時中、神出鬼没の魔王群の攻撃は、北方大陸から遠く離れた全世界に及んでいた。大都市は強力な都市結界を張り巡らせて敵の攻撃をある程度防いでいたが、都市間の交易ルートと、その周囲に点在する集落は無防備だった。長い間、国家間の交易は寸断され、経済は崩壊寸前の有様に陥っていた。
大都市は結界のおかげで少なくとも昼間は魔王群の攻撃から守られていたが、物資の欠乏と景気の悪化、難民の流入そして暴動により、大きなダメージを受けていた。しかし、そんな日々も勇者の活躍により終わった。世界中で交易が回復するとともに景気は急速に回復し始めていた。
湾岸地帯に立ち並ぶ国営の巨大工場群と違い、町工場の仕事は景気に大きく左右される。
エルフのスカムジンの勤める生活雑貨を作る町工場も、戦時中は一時倒産寸前にまで追い詰められていたが、平和が戻るとともに到来した復興景気により息を吹き返し、連日フル稼働していた。
その日も遅くまで残業した後、スカムジンは一人夜道を歩いて帰宅していた。
彼はくたくたに疲れていた。残業代が増えるのは嬉しいが、毎日こうも残業続きでは体がもたない。家に帰ったら熱いシャワーを浴びてすぐに寝るとしよう。この時間では妻も6人の子供たちもとっくに眠っていることだろう。そんな事を考えながら、彼は人気のない暗い通りを歩いていた。
そこは旧市街地だった。築100年を超える古い建物が建ち並び、その多くは長い年月の間に劣化し、住む人もなく荒れ果てていた。いくつかの家の窓にぼんやりとした橙色の光が灯っていることで、わずかではあるがまだ住人がいることが知れる。
毎日、旧市街地を通って通勤しているスカムジンであったが、この地区全体に漂う不気味な雰囲気には慣れることができなかった。彼の足が心なしか速くなる。
ぼろぼろに朽ち果て、屋根が崩落した邸宅の前を通り過ぎた時だった。
彼は背後で物音を耳にした。
ガラン……。
重い金属が地面にぶつかった音。静まりかえった通りに、その音は大きく響いた。
スカムジンは驚いて飛び上がった。振り返った彼の目に、一匹の痩せた野良犬が目に入った。
「なんだ、ただの犬かよ。驚かせやがって」
きっとあの犬がゴミ箱をひっくり返すか何かしたのだろう。犬は爪音を鳴らしながら石畳の道を曲がり角の向こうに消えた。スカムジンは胸をなでおろし、再び歩き出そうとした。
その時だった。
犬の鳴き声がした。犬は数回激しく吠えた後、キャインキャインと哀れな悲鳴を上げ、そして静かになった。ほんの一瞬の出来事だった。
誰か、いや何かに殺されたのか。スカムジンの背筋に悪寒が走った。
曲がり角の向こうからは、秘かな物音が続いていた。しかしそれはもはや犬の声ではなかった。めきめき、ぼきぼきという肉と骨が砕ける不穏な音だった。
スカムジンは走り出した。
あそこには何かやばいものがいる。そんなのと出くわすなんて勘弁だ。こんな気味の悪い街は早く抜け出してしまうに限る。家族の待つ家に早く帰って、熱いシャワーを浴びて、寝床に潜りこむんだ。
スカムジンは何かに足を取られて転倒した。
見ると、マンホールの蓋が路面から持ち上がり、少しずれて隙間ができていた。そこに足を引っかけてしまったのだ。足首に激痛が走る。捻挫していた。
なんでマンホールの蓋が開いてるのだ。道路工事業者か何かがちゃんと閉めなかったに違いない。いい加減な奴らめ。思わず悪態をつく。
しかしその時、わずかに開いたマンホールの暗い隙間から、夜よりも黒い何かが姿を現した。
スカムジンは絶叫した。
翌朝、中年男性とみられる遺体の一部が付近の路上で発見された。
数日後、捜査の結果、その激しく損壊した遺体の身元がエルフのスカムジンであることが特定された。
それが始まりだった。
その週、同様の事件が三件発生した。次の週には五件。いずれも損壊した遺体の一部が路上で発見された。被害者の種族、性別、年齢は様々だった。遺体発見現場は旧市街地を中心とした半径5キロの範囲に限定されていた。
遺体には鋭い歯型が残され、発見現場付近の路上には不快な臭気を放つ粘液がこびりついていた。これらの証拠から行政府はこれをモンスターの襲撃と断定、「夜警」の出動が要請された。
「夜警」。
都市治安維持機構の下部組織で、モンスター駆除を専門とする特殊部隊。
都市結界の力が弱まり、魔の力が強まる深夜は魔物たちが最も活動的になる時間帯だ。奴らは地下や廃墟といった潜伏場所から這い出し、あるいは薄くなった都市結界を突破して外部から都市に侵入し、人々に襲いかかった。魔王群が現れるはるか昔から、都市の暗闇では魑魅魍魎たちが跋扈し、百鬼夜行が繰り広げられてきた。
それに対抗するため設立されたのが夜警だった。その前身となる組織は都市の歴史の黎明期にまでさかのぼるという。魔王群との戦いの際は、一段と激しさを増した魔物の襲来に対抗するため、夜毎、街のあちこちで激戦を繰り広げた。
黒いコートに身を包み、真鍮製の魔導具を身に着けた彼らは、都市の住人の畏怖を集める存在だった。




