表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅱ部
59/117

第59話 鉄塔

 発表会終了後。秋本は件の発表者の男を尾行していた。


 発表会の後、紗英をはじめ、ほとんどの者が祝賀会場に向かう一方で、秋本の追う黒ずくめの男はひとり足早に講堂を後にしていた。


 間違いない。この男こそギレビアリウスだ。

 秋本の直感はそう告げていた。

 ギレビアリウスと目される男は、日没後の人気のない魔術学院を迷いのない足取りで歩いていく。

 アーチが連なる渡り廊下、花崗岩作りの重厚な旧図書館、メンバー限定の秘密の会館。びっしりと蔦に覆われた時計塔。神秘的なシンボルを象った路面のモザイク。樹齢数百年におよぶ巨大な樫の並木道。何やら意味深なポーズをとった彫像……。千数百年の歴史をもつ国立魔術学院は広大で、謎めいた雰囲気に満ち溢れていた。

 男の姿は木々や建物の影に紛れ、何度も見失いそうになった。

 やがて男は腰の高さまで生い茂った藪をかき分けて進んでいくと、敷地の境界を仕切るフェンスの破れ目から外へ出た。秋本も少し離れて後を追った。



 出た先は暗い裏通りだった。両側からのしかかるようにして古い木造の家々が建ち並んでいる。家々の窓の奥からぼんやりと漏れる橙色の暗い灯だけが道を照らしている。

 待ち伏せにはもってこいの場所だ。

 左右に並ぶ家々のどこから敵が襲いかかってきてもおかしくはない。


 秋本は腰に提げた剣の柄に手を載せた。

 魔王との戦いで使った無の剣ではない。冒険者街の武器店で購入したミスリル鋼の剣だ。神秘的な力こそ秘めていないが、切れ味鋭く強靭でありながら、軽くて扱いやすい一級品だった。


 無の剣をはじめとした「神授の聖剣」は魔王を倒すために神より与えられた剣という位置づけであり、当然、勇者である秋本個人に所有権は認められていなかった。大聖堂での式の後、聖剣は秋本の手を離れ、聖教会の奥深く、宝物殿に封印されていた。



 曲がりくねった路地を進んでいく男の背中を追いながら、ふと秋本は前方の夜空に目をやった。

 そこには一本の高い塔のシルエットがそびえ立っていた。


 それは都市結界のシールドジェネレーターだった。

 魔王が活動していた頃、この都市全体を結界で包み込み魔王群の攻撃から守っていた施設だ。高さ百五十メートル。針のように鋭い円錐形の鉄塔は、魔王亡き今、もはや無人のまま放置されていた。それも当然で、この施設を稼働させると、都市全体で一日に使用される全電力の四十パーセントに相当する莫大な電力を消費するからだ。


 もしかして、ギレビアリウスの狙いはこれなのか。

 都市まるごとを包み込む巨大な結界のベクトルを反転させれば、その強力なエネルギーで都市を蹂躙することが可能だ。放置されてまだ一年ほどしか経っていないので、通電を再開しさえすれば、すぐにでも稼働するだろう。

 させてなるものか。秋本は足を速めた。


 シールドジェネレーターの鉄塔は、雑然とした下町のど真ん中に唐突にそそり立っていた。ほっそりとしたロケットのような銀色の巨塔と、辺りに密集する木造のあばら家とのギャップが凄まじい。


 さびついた立ち入り禁止の看板が掲げられたフェンスを乗り越えて、鉄塔の敷地に入った。

 生い茂る雑草を踏み分けながら、鉄塔の基部に沿って塔への出入り口を探す。

 半周したところに、鉄の扉が見つかった。これが唯一の出入り口のようだった。

 部外者の侵入を防止するため扉には鎖が厳重に巻きつけられていたが、その鎖は何者かによって切断されていた。男はもう中に入ったのか。それとも……。

 秋本は扉の取っ手をつかみ、力を込めた。蝶番をきしらせて鉄扉がゆっくりと開いた。

 鞘から剣を抜くと、彼はその隙間から中へと身を滑り込ませた。



 秋本が入った瞬間、カッと強烈な照明が点灯し、鉄塔の内部を煌々と照らし出した。


 鉄塔の中はほとんどがらんどうだった。

 はるか頭上百五十メートルの頂上まで吹き抜けになっており、縦横に交差する鉄骨が裏側から外壁を支えていた。そして、吹き抜けの中央には一本の巨大な芯柱がそびえ立っていた。これが力場を増幅させる発振器なのだろう。その根本には制御装置のコンソールらしきものが埃をかぶっていた。ジェネレーター本体等の機械類は床下に埋設されているのかもしれない。


 そして、柱の前には二人の男が立っていた。

「よう、遅かったじゃないか、秋本」

 その一人、野村博信が言った。


「お前、いったい何でここに……」

 あまりにも意外な場所で友人と出会った驚きに、秋本は言葉を失った。


「……驚いたか。まあ無理もないだろうな」

「お前、その男と知り合いなのか」秋本は鋭い口調で尋ねた。


「ああ、彼は俺の……同志さ。すでに勘付いてることとは思うが、改めてきみに紹介しよう。こちらが新進気鋭の魔術研究家にして魔生物学者、そして若きダークエルフの革命家、ギレビアリウス氏だ」


「よろしく、勇者アキモト。お目にかかれて光栄だ。先ほどは私の講演を聴いてくれてありがとう」

 そう言うと、ギレビアリウスは丸い黒眼鏡を外した。その下から現れた瞳は不吉なまでに美しい青緑色だった。

 秋本は無言でその視線を受け止めた。剣は握ったままだ。



「とにかく、事情を説明させてくれ」

 野村は話しはじめた。

「知っての通り、俺はこの都市で商売をはじめて、今ではそれなりに成功を納めたと言っていいだろう。この都市を拠点として、世界中に二十五の支店を構えるまでに成長させた。何百人という従業員を雇い、莫大な物と金を動かしてる。まあ、魔王から世界を救った勇者に比べれば、そんなの全然大したことはないんだがな。そこらに掃いて捨てるほどいる単なる成金商人さ。……すまない、前置きが長くなった」


 野村は咳払いをひとつして続けた。

「だけど、俺はこんな程度で満足して止まるつもりなんか毛頭ない。もっと先へと進みたいんだ。もっと事業を拡大し、新たな産業を興し、そしてさらに金を稼ぐ。そしてこの世界を変えてやるんだ。秋本、俺は俺なりのやり方でこの異世界に挑戦し続けたいんだ。わかるだろ、この気持ち」


「……ああ、よく解かるよ」

 自分がこの世界に来たことに何か意味があるはずだ、俺は選ばれた存在なんだ。そう思うからこそ、厳しい試練を乗り越えて俺は勇者になれたのだ。秋本は思った。



「だろう?だけど、俺の夢を阻む者たちがいるんだ。既得権益をむさぼる事しか頭にない、融通の利かない連中がな。わかるか?行政局の官僚どもだよ」


 王族はあくまで象徴的存在に過ぎない。この都市を実質的に牛耳っているのは行政局の官僚機構だ。

 この都市の長い歴史とともに肥大化を繰り返した官僚機構は市民の自由を制限するとともに、社会の隅々にまで根を張って甘い汁を吸い上げていた。


「奴らは事あるごとに俺の商売に難癖をつけてきた。やれ法令違反だ、やれ虚偽の記載の疑いがあるだの、些細なことばかりだ。急成長する俺の会社が目障りだったんだろう。それに、金の臭いを嗅ぎつけた官僚どもはほとんどヤクザまがいのやり方で人が汗水流して稼いだ金をむしり取っていった。何度も何度もだ。さすがに俺も我慢の限界に達した。

 そこで俺はひそかに行動を開始した。……行政局の支配体制を覆し、より自由で開放された社会を目指すために。つまり革命さ」


「そして、その過程で、私とノムラ氏は知り合った」ギレビアリウスが言葉を添えた。


 野村は言った。

「彼はまさに俺が求めていた人物だった。行動力、人脈、そしてカリスマ性、どれも申し分なかった。そして何よりも素晴らしいのが魔術の知識だった。彼は失われた超古代魔術の専門家だ。その知識をもってすれば、新たな、より強力で洗練された魔術を開発し、社会を変革するのも夢じゃない。もし超古代魔術の秘蹟を独占できたなら、いったいどれほどの利益を得られることか想像もつかない。そこで俺はギレビアリウス氏の活動を支援しはじめたのさ」



「……野村、その男に騙されてないか。いいように利用されてるだけじゃないのか。しっかりしろよ」


 その言葉に、野村は反論した。

「いいように利用されてるのはお前の方だぞ、秋本。

 聖教会の奴らなんか、お前に魔王だけ倒させて、後は広場に石像だけこさえてハイおしまい、聖剣一本くれやしないじゃないか。それどころか、庶民のお前への人気を危険視する声が行政局や王族のあちこちから聞こえ始めている始末なんだぜ」


「…………」 


「そもそも、俺がなぜお前や倉本たちと一緒に魔王討伐に加わるのを拒否して、商売に専念してたかわかるか?俺はこの世界のやつらの思い通りに利用されたくなかったんだよ。

 魔王を倒した後で、歴代の勇者がどうなったかを調べたことあるか?みんな、不幸な末路をたどっていた。王への反逆を目論んだかどで処刑されたり、獄中で発狂したり、不審死を遂げていたり、世捨て人として辺境でひっそりと生涯を終えたり。ろくなもんじゃなかった。みんな、別の世界からこの世界に召喚されて、用が済めばボロ雑巾のように捨てられていた。

 だから俺はこの世界の意図に従う事を拒んだ。俺は俺のためだけに生きることにしたんだ」



「秋本、お前も俺と一緒に来いよ。俺たちと一緒にこの世界を作り変えてやろうぜ。お前にはその力がある」そう言うと、野村は秋本に向かって手を差し伸ばした。


「断る。俺は革命には賛同できない」秋本は野村の誘いを拒絶した。


「……そうか、そうだよな。お前はそう言うと思ったぜ」

 野村は哀しげな笑みを浮かべると、頭に手をやって、いつも被っている金田一耕助風の帽子を取った。くしゃくしゃに乱れた髪は頭頂部がすでに薄くなりかけていた。



 その時、ごうん、と轟音が鳴り響くと、鉄塔全体が小刻みに震動しはじめた。

「まさか、ジェネレーターを起動させたのか」秋本は言った。

 震動は激しさを増し、中央に立つ柱が甲高い音を立ててエネルギーを励起させていく。


「残念だよ、秋本。だけど俺が先に進むためには仕方がないんだ」

「やめろ!都市を破壊していったい何になるっていうんだ。こんな大量殺戮に何の意味がある」



「はて、大量殺戮?都市の破壊?いったい何のことかな勇者アキモト」

 それまで無言で野村の横にたたずんでいたギレビアリウスが口を開いた。

「何だと」

「私はこの都市の破壊など望んでいない。私は私なりにこの都市を愛しているのだからね。このシールドジェネレーターを起動させたのは街を破壊するためではない。目標は君だったのだよ。私の計画の最大の障害になるであろう君ひとりを確実に排除するため、君をこの場所、この時間に誘導したのだよ」



 秋本は両掌に魔力を集中し、装置を止めるため柱めがけて白熱の光弾を放とうとした。

 だが、その時異変が起きた。秋本の全身を激痛が貫いた。全身の筋肉が痙攣し体が言う事を聞かない。秋本は口から血を吐いて床に膝をついた。


「ようやく効いてきたか。わたしの発表で見せたあの古代文字、あれは呪いの呪文の最後の一部だったのさ。実はこれまでも、きみはそれとは気づかずにあの呪文の一部を目に入れてきたのだよ。塀の落書き、壁の傷、道路のしみに擬装して、私はきみのすぐ身の回りに呪文を刻んできた。そう、ずっと以前からね。そして今日、発表で呪文の最後の部分を見たことで、ついに呪いは完成し、発動した」


 塔の中央の柱が青白く発光し、耳を弄するばかりの甲高い唸りをあげはじめた。

「さすが勇者だ、常人なら即死する呪いを受けてまだ生きているとは。きみを倒すためだけに何重にも策を弄してきた甲斐があったよ。さようなら、勇者アキモトよ」


 秋本は歯を食いしばって再び立ち上がると、渾身の力でギレビアリウスに剣を振り下ろした。だが刃は煙でも斬るように手ごたえなくダークエルフの体を通り抜けた。


 並んで立つギレビアリウスと野村の姿が徐々に薄れ、かすんで消えていった。

 この場にいたのは幻像だったのだ。本当の二人はどこか別の離れた場所にいるのだろう。


 秋本は叫んだ。

 次の瞬間、都市全体を包み込む強力な結界のエネルギーが一点に収束し、秋本俊也の肉体を押し潰した。

 そして過負荷によりジェネレーターの回路が溶融、銀色の鉄塔は倒壊し、爆散した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ