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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅱ部
58/117

第58話 国立魔術学院にて

 国立魔術学院の大講堂で、秋本俊也は妻、紗英の講演を聴いていた。


 魔王討伐から戻った後、紗英は以前と同じく国立魔術学院での研究の日々に戻っていた。そして先日、長年におよぶ研究成果を分厚い論文にまとめ上げた。テーマは魔術の起源。論文の提出と発表会を経て、紗英は正式に国家公認の高位魔道士に認定される。今日はその発表会の日だった。



「……図をご覧ください。こちらはかつて信じられていた七大属性説にもとづく分類図です。まだ一般の人々の間では広く流布していますが、この説はすでに完全に否定されています。光、闇、火、土、水、風、氷の七属性だけで魔術を説明しようとしたこの古典的な説を葬り去ったのは、三十年前にカルナー博士の提唱した一般魔術解析理論でした。カルナー博士は呪素の一次配列と呪文の文法構造を定式化し……」


 演壇を取り巻いて階段状に並ぶ座席は熱心に耳を傾ける聴講者で八割がた埋まっていた。ほとんどが魔術学院に所属する魔道士たちで、演壇の近くの席では秋本もその名を聞いた事がある有名な高位魔道士たちもよどみなく理路整然と語りかける紗英の声に熱心に耳を傾けている。



 紗英の研究については彼女本人からこれまで逐一聞かされていたので、今回の発表内容はすでに秋本の頭に入っていた。理論的な部分では魔術の専門家ではない秋本には一部難解なところもあったが、結論を簡単にまとめると次のようになる。


 長い年月の間に魔術は少しずつ変化していく。原因は単なる呪文の綴り間違いから、異文化交流による別の体系の魔術との融合まで様々だ。この点は生物の進化や言語の変化と変わらない。紗英の研究は比較言語学あるいは分子遺伝学の要領で、魔術の系統図を描いたのだ。

 これまでも同じような研究は行われてきたが、それは「状態変化-分解系魔術」や「精神変容系魔術」など狭い範囲だけだったのに対し、紗英は知られている限りすべての魔術系を解析したのだ。

 その結果導き出されたのは意外な結論だった。

 この世界に存在する魔術はすべて共通の祖先から進化してきたというのが学界の定説になっていたが、紗英の描いた系統樹は単一の祖先に収斂しなかったのだ。系統樹の根本は最終的にまったく共通点を持たない三つの祖先に辿り着いた。これが何を意味するかは謎だった。



 発表が終わり、質疑応答の時間に入った。会場のあちこちから質問が飛んだ。いくつか批判的な発言もあったが、それに対しても紗英は冷静な態度を崩さず、丁寧に誠実に答えていった。だがおおむね講演は好意的に受け止められ、最後に紗英は会場に向かってお辞儀をすると、盛大な拍手に見送られて演壇を下りた。

 本来なら、そんな妻の様子を見て、秋本は誇らしさや感動を覚えてもよかったはずだ。

 だが今、秋本の心はまったく別の関心事で占領されていた。


 ごめん紗英。もっと熱心に聴いてあげられたらよかったのだが……。



 秋本が渡辺たちに同行しなかったのは、紗英の発表を聴くためではなかった。

 倉本から事情を聞かされた秋本は、彼の説明に何かひっかかるものを感じたのだ。


 おそらく、これはギレビアリウスという男が仕組んだ罠だ。

 わざとローチマンを逃がして意図的にガエビリス監禁の情報をリークし、自分たちを地下におびき寄せる。その間、元勇者がいなくて手薄になった地上に、煽動した地下生活者たちを使ってテロを企てる。秋本はそう直感した。そこで倉本に考えを説明し、秋本は地上に残ることにしたのだ。


 間違いなく、ギレビアリウスは何かをしかけてくる。その予感は時間が経つにつれますます強まっていった。だが、いったいどうやって。そして、この都市のどこに。紗英に続き演壇に上った次の発表者の講演を聞くともなく聞きながら、秋本は焦りを強めていった。



 奴の目的は何だ。革命か。

 王族はあくまで象徴的存在にすぎない。この都市を牛耳り、実際に動かしているのは行政局の巨大官僚機構だ。その下で庶民は厳しい階級社会で抑圧されて生活している。それを打倒し、地下に追いやられた弱者や敗者たちを解放することか。それとも、官僚機構に替わり、自らが独裁者として君臨するつもりか。ならば予想されるのは行政局長官を狙った暗殺か。


 違う。秋本は思い出した。あの男はダークエルフだ。

 長らく人間から迫害され絶滅に瀕する一族だ。そんな種族の一員が、敵である人間の社会を、よりよき方向に導きたいなどと考えるはずがない。だとすればこれは目的は復讐か。破壊と殺戮による人々の恐怖と苦痛こそが狙いか。

 治安維持機構や軍隊が動き出す前に、不意打ちの一撃でできるだけ甚大な被害を与えることを目標とすれば……。どこだ、どこに来る。秋本は猛然と頭脳を回転させた。



「……これら五つの古代遺跡から発掘された碑文には、いずれも全く同一の象形文字が記されていました。図をご覧ください。こちらがその文字になります」


 次の発表者の講演が続いていた。黒ずくめの服を着た若い男だ。その背後のスクリーンにこれまで表示されていた遺跡の画像が溶けるように消え去り、かわりに複雑に屈曲した象形文字の列が浮かび上がった。映写機ではなく、投映魔術で映し出されているのだ。

 その文字列が目に入った瞬間、理由は定かではないが秋本は心の底から嫌悪感を覚えた。一瞬、文字列が蛆虫のようにうごめき出し、目玉を食い破って頭蓋の中に侵入してくるビジョンが浮かんだ。だが吐き気を催すビジョンはすぐに消え去り、秋本は平静を取り戻した。今のは一体何だったのだ。



「……以上の証拠から推測して、これは未知の魔術の呪文である可能性が非常に高いと考えます。だがその場合、ひとつ問題があります。定説では魔術の使用は五万年前のガライヤ文明から始まったとされていますが、これらの碑文が見つかった遺跡の年代はあまりにも古すぎるのです。……年代測定の結果、五つの遺跡はいずれも百十五万年前にさかのぼるものだったのです」


 一瞬の静寂の後、会場全体がどよめきに包まれた。中には大声で「こいつをつまみ出せ」と怒鳴っている者までいる。この研究者の唱えた説はどうやら学界の主流からすればかなり異端、というよりも所謂トンデモ系に属するものだったようだ。

 黒ずくめの演者は無言のまま、会場が静まるのを待っていた。丸い黒眼鏡で隠されて目元は見えないが、その口にはうっすらと笑みが浮かんでいた。高位魔道士の一人が立ち上がり、静粛を求めた後もしばらくは騒然とした状態が続いた。


「……続けてよろしいか。皆さんが驚かれるのも無理はありません。私自身、この年代測定結果が出た時は分析のミスを疑いました。しかし何度繰り返しても、さらに別の手法で年代測定を行っても結果に変わりはありませんでした。間違いなく、百十五年前でした」


「じゃあ、そもそもその象形文字とやらが呪文でも何でもなかったってことだな。文字かどうかすら怪しい。いや、文字であるはずがない。古すぎる。偶然ついた傷か何かだ」


「いや、本物かどうかすら怪しいのでは。明らかに捏造でしょう。馬鹿馬鹿しい」


 質疑応答の時間でもないのに、演者をさえぎって聴講者が勝手に発言するのは異例の事態だった。またしても高位魔道士が静粛を叫んだが無駄だった。しかし何度も不規則発言に妨害されながらも、男は発表を続けた。そして話が進むにつれてその内容は荒唐無稽の度を増していった。怒りのあまり席を立って退場していく者が続出し、会場からは野次が飛ぶ始末で、もはや国家魔道士認定論文の発表会にふさわしい厳粛な雰囲気はすっかり失われてしまっていた。紗英は演壇のすぐ脇の座席で無表情に座っていた。


 つかの間、秋本はギレビアリウスのテロのことを忘れ、今この場で起きている異様な展開に心を奪われた。


「……つまり、この文字を書いたのは人間ではないのです。なぜなら人間はまだ文字など持っていなかったから。人間が文明を持ち魔術を扱うはるか以前に、先行種族の文明があったのです。人間は彼らから魔術の一部を学んだ、いや盗んだのです。

 本当に魔術を生み出したのは先行種族なのです!なぜならその証拠に、我々は魔術がなぜ働くのか、どんな仕組みで機能するのか、誰一人として説明できないではありませんか!「発火魔術」の呪文を唱えたらなぜ火がつくのかさえわからない。ただの言葉がなぜ物理的な力を持つのか。五万年前から魔術を使っているにも関わらず、これまで何万人という偉大な魔道士たちがいたにも関わらず、誰一人として本当には理解していない!!」


 黒服の男は野次に逆らいながら大声で言い切った。

 なるほど鋭いと秋本は思った。この世界で魔術は日常的に使われているにも関わらず、その根本的な作動原理はまったく不明だった。この問題は魔道士たちの間で「魔術のハードプロブレム」と呼ばれていた。会場は水を打った様に静まり返った。



「……この象形文字は単なる学術的な問題にとどまらない可能性を秘めています。もしこれが本当に魔術の創造者たる先行種族のものだったのなら、それを解読することで『魔術のハードプロブレム』の解決に一気に迫れるかもしれません。

 もしそうであれば、我々は新しい魔術を思い通りに創造できるようになるでしょう。これまでのように偶然による魔術の進化を待つ必要はありません。また、表面的なマイナーチェンジだけにとどまらない、根本的に新たな魔術を一から生み出せるのです。それは魔術の可能性を一気に解き放ち、イノベーションをもたらすことでしょう……」


 ここに至って、会場の雰囲気は先程とは一変していた。もはや野次は一つもない。聴衆は固唾を飲んで彼の発表に聴き入っていた。魔道士たちの顔には熱に浮かされたような表情さえ浮かんでいる。やがて、男の発表は静かに終わった。その直後、会場全体から割れんばかりの拍手がわき起こった。



 秋本は思った。この男は危険すぎる。アジテーションの天才だ。研究者よりもむしろ……。そこまで考えたところで、秋本は電撃に打たれたかのような衝撃をともなって直感した。この黒ずくめの男の正体を。

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