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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅰ部
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第5話 断章:勇者の夢①

 濃霧がすべてを白く塗り潰していた。

 ようやく現れた霧の切れ間から、大地が覗いた。広大な不毛の土地に、建物の基礎と舗装の残骸が点在している。かつてそこは大都市だった。そのすべてが根こそぎにされた痕跡だけが残されていた。


 視線を前方に転じると、霧の彼方に巨大な影がそびえていた。ごつごつと膨れ上がり捻じれながら屹立する、山脈とも城塞とも石像ともつかない醜悪な塊。

 魔王城。あれが今回の遠征の目的地だった。


 ここから先はあらゆる飛行魔法が無力化される力場の支配下だ。船を降下させ地上を進むしかない。

 敵地での行軍を間近に控え、船内の緊張が高まっていた、その時だった。

 並走して飛ぶ友軍船が炎を噴き上げ爆発した。

 魔王からの攻撃だ。兵士たちがデッキや通路を駆け回り船内は大騒ぎとなる。


 混乱の最中、船室の片隅が暗く(かげ)った。まるでそこだけ光が吸い取られたかのようだ。

 部屋の隅に出現した闇の中から、漆黒のローブに身を包んだ人影が姿を現す。

 魔王の尖兵、イルマシュグだ。

 黒い頭巾の影で両目が真紅の光を放つ。イルマシュグは手にした鎌を一閃した。その場にいた兵士三名が胴体を両断され、鮮血が飛び散った。兵士たちは勇敢にも魔王の兵士に向かっていくが、いかなる武器もイルマシュグに傷一つつけられない。そして悠然と歩む不死身の怪物の前に屍の山を築いていった。


 その時、イルマシュグの赤い眼がまっすぐこちらを向いた。その目は笑っていた。

 青年は腰に下げた二振りの剣のうち一方を抜き放った。「無の剣」、セクタ・ナルガ。宇宙空間の真空が凝結したかのような漆黒の刃。青年は床を蹴り敵に向けて疾走した。

 走り来る青年にイルマシュグは鎌を振り下ろした。一瞬、両者の軌跡が交錯する。

 青年の背後で、棒立ちになったイルマシュグの影が両断され、床に崩れ落ちた。死骸はぶすぶすと黒い蒸気を噴き上げて消失した。


 しかし、それで終わりではなかった。船内の至るところに(かげ)が出現し、そこから黒い人影が湧き出し殺戮を繰り広げていた。青年は再び剣を構えると新たな敵へと向かっていった……。



 秋山俊也は目を覚ました。

 室内はまだ暗い。時計を確認すると午前4時だった。


 凱旋からひと月が経過していた。

 苦しい戦いの日々は終わったが、要人たちとの会談や講演、式典出席などで多忙な毎日を送り、北方大陸の遠征の疲れを癒すどころではなかった。

 そのせいか、最近よく夢を見た。決まって魔王との戦いの夢だった。見る場面は日によって様々だったが共通しているのはいずれも凄惨な激戦の場面ということだった。

 今になって、魔王との戦いの疲労が心身に重くのしかかってきているようだ。

 秋本はため息をついた。

 ゆっくりと休息したい。彼女と二人だけでのんびりと過ごしたい。


 秋本は傍らで静かに寝息を立てる女を眺めた。

 窓から差し込むほのかな街灯の光が、彼女の寝顔を浮かび上がらせていた。柔らかな頬、長い睫、長い黒髪。

「紗英……」

 秋本は手を伸ばし、横井紗英の髪に静かに撫でた。


 彼女は高位魔道士として彼と共に戦い続けてくれた頼もしい戦友であると同時に、彼の恋人でもあった。魔王の軍勢との過酷な戦いの日々にも、彼女は常に彼のそばにいてくれた。

「戦いが終わったら結婚しよう」そう誓い合っていた。しかし日々の雑事に追われ、その誓いはいまだ果たされていなかった。


 起こさないよう軽く撫でたつもりだったが、彼女は目を覚ましてしまった。

「……眠れないの?」

 寝ぼけた声で紗英は言った。

「ああ」「また、あの夢?」「……そうだ」

「大丈夫?顔色悪いよ」

「大したことない。少し疲れてるだけだ」

「……俊也、こっちに来て」

 俊也は布団にもぐりこみ、紗英に寄りそった。彼女の手が俊也の胸元に触れた。

 触れられた箇所から、心地よい温もりが体の中を広がっていくのが感じられる。悪夢にこわばっていた筋肉がほぐれ、滞っていた血行が促進されていく。軽い治癒術のひとつだ。肩にのしかかるようだった疲労が軽くなるとともに、眠気が襲ってきた。

 俊也は大きなあくびを一つすると、眼を閉じた。

「おやすみなさい、俊也……」

 そう言うと、紗英は俊也に軽く口づけした。

 再び訪れた眠りの中で、彼はまたしても戦いの夢を見た。

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