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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅱ部
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第49話 死の試練

 次の瞬間、集会場は闇に包まれた。

 壁や天井から吊り下げられていたすべての発光幼虫ランプの灯が同時に消えたのだ。


「なんだ、何が起きた」

「真っ暗だ。何も見えねえぞ。どうなってる」

 突如訪れた暗闇の中で、地下の街の住人たちはざわめき、口々に不安の声を上げた。


「兄さん、これはいったい……」

 ガエビリスは兄に向かって話しかけようとした。


 だが、その時だった。

 集会場を満たす闇のあちこちから、苦痛のうめきと悲鳴が上がりはじめた。


 ガエビリスは闇に目を凝らした。ダークエルフの彼女は一筋の光も存在しない暗闇でも、凝視すれば物の輪郭程度は見分けることができるのだ。


 そして彼女は見た。

 集会場に入り込んでいた黒いローブ姿の不審人物たちが、短剣を手に周囲にひしめく住人たちを手当たり次第に斬りつけているのを。殺人者たちはこの暗闇を見通せるらしく狙いは正確だった。一方、真っ暗闇で視力を失った住人たちは周囲でわき起こる悲鳴に怯えながら、逃げる事もままならず次々と凶刃の前に倒れていく。


「何ていうこと……」

 あまりの事態に我を失っていたのはほんの一瞬だった。ガエビリスはすぐさま集会場を閉ざす闇を追い払うため、発光魔術の詠唱を始めた。だが、その途端、口の中で舌がもつれ、唇が痺れ、詠唱は中断された。


「……駄目だよ、邪魔しちゃ」

 ギレビアリウスの声だった。それは優しげでさえあった。

「…………!」

 ガエビリスはまったく声が出せなくなっていた。

 さらに痺れは口から全身に広がり、ついに彼女は指一本動かせなくなった。

「お前を金縛りにした。安全のためだ。私の仕事が完了するまで、ここに立って静かに見ていなさい」



「ぎゃああああ」「誰だ!」

「おい!何だ!何なんだよ、おい!」

「うぐっ…」「逃げろ!おいどけ!邪魔だ」

「早く!早くだれか明かりを!」「刺された、腹を刺された……」


 住人たちは大混乱に陥っていた。彼らは我先に逃げ出そうとしてぶつかり合い、倒れた犠牲者の体につまづいて転倒した。そして淡々と作業をこなすように無言で剣を振い続ける殺人者の前に屍の山を築いていった。集会場全体でまさに阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されていた。

 仲間たちが次々に殺されていく。ガエビリスはその無残な光景を見ていられず固く目を閉じた。だが耳は会場全体でわき起こる悲鳴のコーラスを締め出すことはできなかった。

 兄さんやめて。早くやめさせて。ガエビリスは必死に念じた。だが彼女の祈りが聞き届けられることはなかった。



 やがて、最後の悲鳴が消え、広大な集会場は静寂に満たされた。

 ガエビリスは再び目を開いた。集会場全体の床を埋めて、おびただしい数の犠牲者が倒れていた。動く者は誰もいなかった。一方、ローブを着た殺人者たちは壁際に後退し、並んで立っていた。


 ああ、何てことだ。一緒に暮らしてきたみんなが、仲間が……全滅してしまった。

 ガエビリスの目から涙があふれ出て頬を濡らした。



「泣かなくていいんだよ、ガエビリス。……ほら、もうすぐ始まるよ」


 その時、彼女の目は集会場に動きをとらえた。

 皆殺しにされたはずの住人たちの何人かが、ゆっくりと床から起き上がろうとしていた。ガエビリスは安堵を覚えた。傷を負っただけで命を取り留めた者も何人かいたのだ。はじめ彼女はそう思った。


 だが、すぐに様子がおかしいことに気付いた。

 床から起き上がった人影はふらつきながら立ち上がったが、次の瞬間、その輪郭が激しく変形しはじめたのだ。余分な手足が生え、尻尾が伸び、頭部が肥大化あるいは縮小した。体が捻じ曲がって人としての原形をとどめないまでに歪んでいく。復活した住人たちは怪物へと姿を変えていった。その数は時間が経つにつれますます増えていく。



「……やったぞ、成功だ。くくく……」闇の中にギレビアリウスの笑い声が響いた。


 ガエビリスの声と体の自由を封じていた金縛りが解けた。

「兄さん、まさかこれは」

「そうだ、『変化の霊液』の真の作用だ。お前がヒントをくれたのだ、ガエビリス。ワタナベヒロキがはじめてローチマンに変身した時に何が起きたか、お前は事細かに手紙で知らせてくれたね。その時、お前は負傷して意識を失っていたそうだから、じっさいに目撃したのはお前がリゲリータと呼ぶあのゴキブリだったことになるが……。

 地下迷宮の入り口に潜んでいた怪物『闇の落とし子』に全身を刺し貫かれ、ワタナベは確かに一度死んだ。そしてその直後に復活し、ローチマンに変身した。そうだね?」


「……ええ、そうよ」


「『歓迎の儀式(イニシエーション)』を通じて、お前は住人たちのほぼすべてに変化の霊液を飲ませ、交わった。それなのに曲がりなりにも覚醒できたのはそのワタナベと、あとは不完全な状態だがキンク・ビットリオのわずか二人だけだった。他の住人たちも覚醒するポテンシャルは秘めていたが、何も起きなかったのはなぜか。私は考えた。

 死。それが答えだったのだ。

 一度死んで現行の生命システムが強制的にシャットダウンされることで、はじめて『変化の霊液』の異種の遺伝情報を読み込んだ新たな生命システムが再起動されるのだ。何て単純な答えだったことか。お前のおかげだよ、ガエビリス」



 その時、発光幼虫のランプが再びよみがえり、青白い光を集会場内に投げかけはじめた。

 そこには、かつて地下の住人だった異形の怪物たちが立っていた。

 蜘蛛人間、ゴキブリ人間、蠅人間、溝鼠(ドブネズミ)人間、(イタチ)人間、蝙蝠(コウモリ)人間、ヤモリ人間、亀人間、百足人間、ゲジゲジ人間、(ヒル)人間、渦虫人間、蚯蚓(ミミズ)人間、蛞蝓(ナメクジ)人間。スライム人間。その他、元になったモチーフが判然としない様々な怪人たち。その数、百数十体あまり。

 その足元にはなおもおびただしい数の遺体が横たわったままだった。


「ふむ、覚醒できたのはおおよそ三人に一人の割合か。中々悪くない数字だな」

 ギレビアリウスは短く刈り揃えられたあごひげに触れながら満足げに言った。


 いつの間にか、舞台の上に黒いローブの殺人者の一人が立っていた。

 ギレビアリウスはそいつを呼んで命じた。

「覚醒しなかった者に関しては後からもう一度試したい。魔術で蘇生させてもう一度殺せ。あと二回繰り返してダメだった者はアンデッドに変えて使うことにする」

「了解しました。司令官」


 殺人者は舞台から足早に去り、すみやかに命令を実行した。

 これで怪人の数はさらに十数名増えた。残された遺体はアンデッド処置のため集会場から運び出されていった。



 ギレビアリウスは怪人に変貌した地下の住人たちに語りかけた。


「……選ばれし者たちよ。死の試練を乗り越え、よくぞ覚醒した。諸君は戦士として生まれ変わったのだ。感じるであろう、体内にみなぎる力を。諸君、爪を研ぎ、牙を磨き、地上との決戦に備えるのだ!驕り高ぶった地上人どもへの復讐の日は近いぞ!」


「うおおおおおお!!!!」

 怪人たちは歓声を上げた。

「ギレビアリウス!ギレビアリウス!ギレビアリウス!!!!」

 怪人たちの歓呼の声は止まなかった。



 ガエビリスは呆然とそのすべてを見ていた。彼女の知っていた地下の街は永遠に失われてしまった。


 そこへギレビアリウスが歩み寄ってきた。

「集会は解散だ。さあ、行こうガエビリス、私たちの寝室へ。二人だけで再会を喜び合おうではないか。七年前の旅立ちの日に抱いてから、お前の体がどう変わったのか兄さんに教えてくれ。誰にも邪魔されず、じっくりと隅から隅まで……」

 下卑た笑みを浮かべて、ギレビアリウスは妹の手首を掴んで引き寄せた。


 あまりのおぞましさにガエビリスの肌に粟が立った。

 これは兄じゃない。あの優しかった兄さんではない。

 彼女はギレビアリウスの手を振り払い、頬に平手打ちを食らわせた。

「触らないで!!」


 次の瞬間、彼女の顔面に硬い拳が飛んできた。

 床に倒れた彼女は信じがたい思いでかつて兄だった男を見上げた。

 ギレビアリウスの顔は怒りのあまりどす黒く変色し醜く歪んでいた。

「……どうやら躾が必要なようだ。来い!」

 ギレビアリウスは彼女を強引に引き立てると、引きずるようにして集会場から連れ出し、地下の街深く、誰も訪れる者がない部屋へと降りていった。

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