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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅱ部
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第48話 集会場にて

 ガエビリスは地下の街の入り組んだ通路をリゲリータとともに巡りながら、出会った住人たちを次々に集会場へと集めていった。


 集会場は地下の街でもっとも広い空間だ。かつて大量の石材が切り出されたあとの地下空洞で、天井は高く数百名の人間を一度に収容できる。このような広大なオープンスペースは地下の街には珍しかった。この部屋でなら巨体を誇るミノタウロスのド・ゴルグでも楽々と生活できたであろう。あいにく集会場へと至る通路はすべて狭いため、彼は入ることができないが。



 住人たちをあらかた集め終わり、ガエビリスと弟は皆に遅れて集会場に入った。

 部屋の中の光景にガエビリスは圧倒された。

 地下の街で、こんなに大勢の住人たちが一か所に集まってるのを見たのは彼女もはじめてだった。部屋の中はつめかけた人々の放つざわめきと熱気、それに体臭に満ちていた。ここは集会場と呼ばれているものの、実際に集会が開かれることなど滅多になく、普段はがらんと空っぽのまま人気もなく放置されていた。


 かつて一度だけ開催された集会は、七年前のギレビアリウスの旅立ちを見送る集いだったが、その時はまだこれほどの人数はいなかった。

 この七年の間に、地下の街は地上を追われた人間を受け入れ、確実に人口を増やしてきたのだ。地下の街の拡張と維持、それは兄の留守を務めてきたガエビリスとリゲリータの努力の賜物だった。


 こんなに仲間が増えたんだ。

 普段はみんなばらばらに暮らしているせいでわかりにくいけど、こんなにもたくさんの人がいたんだ。ここはもう、名実ともに街になっていたんだ。

 ガエビリスの胸に思わず誇らしさがこみ上げてきた。



 ガエビリスは人波をかき分けて、前に向かった。

 集会場の前には一段高くなった岩棚があり、そこは舞台の役割を果たしていた。

 そこにギレビアリウスが立っていた。

 ガエビリスは岩棚に刻まれた数段の石段を登り兄のそばに立った。


 兄は静かに澄んだ眼差しで、地下の街の住人たちを見下ろしていた。

 彼は振り返ると、ガエビリスを見つめて言った。

「ガエビリス、ひとつ聞くが、旅立つ前にお前に命じたあの仕事、ちゃんと果たしてくれたか」

「仕事って……、あの『歓迎の儀式(イニシエーション)』のこと?」

「そうだ」



「歓迎の儀式(イニシエーション)

 新しく地下の街に迎え入れる男に変化の霊液を飲ませ、性的な興奮状態に陥った相手と交合する儀式。

 ガエビリスは七年間、そのきつい役目をずっとひとりで担ってきたのだ。


 旅立ちの前、ギレビアリウスからこの役目について聞かされた時、まだ幼さの残るガエビリスは当然驚いた。

 そんな彼女に対し、兄は古文書に記されたダークエルフの女神官の密儀を持ち出して説明した。交わった相手に圧倒的な力と生命力を付与する、ダークエルフの女だけに可能な秘術について。


 ためらう妹に対し兄はこんこんと説き続けた。この地下の街の将来のためには、この秘術がどうしても必要なのだ。お前は娼婦になるわけじゃない。これは聖なる儀式なのだ。そもそも性交を恥ずべきもの、汚らわしいものと見なす考え方は、聖教会が人々に押し付ける狭量な価値観に過ぎない。古代のダークエルフ社会において、性交とは愛と快楽を与える素晴らしい行為であり、できるだけ多くの相手と交わるのはそれだけ善行を積むことになるのだ……。


 その饒舌さと熱心さが逆に、兄のほうこそ内心では自分の言葉の内容を信じきれていないことを物語っていた。いつもは冷静で頼りがいのある兄のそんな姿が可笑しくて、愛おしくて、ガエビリスは言った。

「……わかりました、兄さん。じゃあ、ひとつだけお願いがあります」


 そして、彼女は初めての相手に兄を選んだ。

 その後の七年間で、彼女はこの街に受け入れた男数百人と交わった。

 その最後の一人がワタナベヒロキだった。



「……ええ。大変だったけど、私にしかできない仕事だし……頑張ったわ」

「そうか。……感謝する」

 ギレビアリウスは短く言うと、再び群衆に向き直った。


「ガエビリス、お前の苦労が報われる時がまもなく訪れる。見ていろ」

 彼女に後姿を見せたまま、彼はそうつぶやいた。




 ギレビアリウスは住人たちに向かい、大音声を張り上げた。

「この街の市民諸君、今日はこの場に集まってくれたことを感謝する」


 その瞬間、会場のざわめきが瞬時に静まった。


 ギレビアリウスは続ける。

「今日は諸君に対し、私から伝えたいことがある。

 諸君は様々なつらい事情を抱え、地上を追われ、この街にやってきたことと思う。諸君はここで、地上では決して得られなかった安息と平穏、そしてかけがえのない仲間を得られたことだろう。

 平和、食物、仲間。ここにはすべてがある。

 対して地上はどうだろう。誰もが意に反する苦役を強いられ、互いに敵愾心(てきがいしん)を抱いて蹴落とし合い、金がない者、魔術を使えぬ者、体が不自由な者、人と違った考えを持つ者、自分の個性に従い自分らしく生きようとする者、すなわち社会にとって価値なしと見なされた者すべてを排除しようとする冷酷非情な場所。あの場所の異常さについては、誰よりも諸君自らが身をもって味わったことだろう……」


 彼の言葉に、大勢の者がうなずいた。


「念のために聞くが、この中にあの地上に戻りたいものはいるか?いるなら今のうちに遠慮なく言って欲しい。……いないようだな。続けよう」



 ガエビリスは兄の後ろで演説を聞いていた。

 彼女は戸惑いを覚えはじめていた。てっきり帰還の挨拶と旅先での土産話でもするのかと思っていたが、何やら話の風向きが怪しい。いったい彼は何を言おうとしているんだろう。


 その時、ガエビリスは気付いた。

 集会場のあちこちに見慣れぬ人物がいることを。フードのついた黒いローブをまとった不審な人物が住人たちの間に紛れ込んでいた。いつの間に現れたのか。彼女と弟が集会場に入った時にはこんな連中はいなかったはずだ。さらに気になることに、何人かは数か所ある集会場の出入り口を固めるようにして集まっている。

 まさか侵入者か。彼女は演説を続ける兄に警告しようとした。

 だが、ギレビアリウスは片手をあげ、彼女の動きを制した。



 兄の演説はさらに熱を帯びつつあった。

「……近いうちに、我々は地上からの全面攻撃を受けるだろう。

 魔王の危機が去った今、行政府治安維持機構はその武力を足元に向け、我々を一掃しようとするのは間違いない。これまでは魔王との長きにわたる戦いに戦力を注がざるを得なかったがために、我らを攻撃する余裕がなかったに過ぎない。

 奴らは、地上の人間は、異質なる者の存在をけっして許容しない!

 自分たちに同調しない者を皆殺しにするまで、奴らはけっして諦めない!

 それが、私が七年間の旅で得た教訓だ」


「……ほどなく、奴らは武器を手に集団でここになだれ込んでくるであろう。あるいは火のついた油や毒を流し込むかも知れない。奴らは諸君が築き上げた物をすべて破壊し、焼き尽くし、そして埋めてしまうだろう。諸君はいったいどうする?」


「逃げる…しかないな」誰かが自信なさげに言った。

「無駄だ。やつらは絶対に許さない」

 ギレビアリウスは即座に否定。


「降伏すれば、大人しく出頭すれば、命までは取られないかも……」

「甘い。よくて高レベルの精神矯正措置による人格の完全抹消。それは実質的な死だ」

 会場のあちこちから上がる意見をギレビアリウスは次々に切って捨てる。


 やがて、違う種類の意見が上がりはじめた。

「……戦う」会場の誰かが言った。

 ギレビアリウスは否定しない。

「徹底抗戦する」別の人物も言った。

 ギレビアリウスは黙っている。

「こちらから撃って出る。先制攻撃だ」

 ギレビアリウスがうなずいた。


「地上の人間どもに、目にもの見せてやるんだ」

「俺たちの恨み、今こそ晴らす時が来たんだ」

「殺す。全員殺す」「都市を焼け」「奪え」「皆殺しだ」

 ギレビアリウスは白い歯を見せて満面の笑みを浮かべた。


 ガエビリスは真っ青になっていた。いったいこれは何なんだ。

 これは本当に、あの優しかった兄さんなのか。

 これは本当に、朴訥で穏やかだった地下の住人なのか。


「その通り、ようやく正しい結論に達することができたな、諸君。私はうれしい」

 ギレビアリウスは両手を大きく広げ、一歩前に踏み出した。

「では、そのためにまず、諸君には死んでもらおう」

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