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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅱ部
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第47話 兄と妹、そして弟

 ガエビリスは兄のギレビアリウスに抱きついた。

 いつもは物静かで無表情な彼女が、まるで無邪気な少女のようにはしゃいでいた。

 

 兄の胸に顔をうずめながらガエビリスが言った。

「会いたかった、兄さん。ずっと心配してたんだから」


「悪かったな、ガエビリス。それにしても大きくなった」

 そう言って兄はピアニストのように長く繊細な指で妹の黒髪を撫でた。



 七年前、ギレビアリウスは妹を地下の街に残したまま世界を巡る旅に出発した。目的は、世界各地で次々と人間たちに攻略され消えてゆくダンジョンの現状を知ること、そしてそこに暮らす種族を絶滅から救うこと。

 ダークエルフという正体を知られぬよう人間に変装し、日光に弱い皮膚を保護するため特殊な軟膏を塗り、彼は旅を続けた。ある時は雇われの魔道士として冒険者の一員に紛れ込み、またある時は魔物学者として大学の研究者たちとともに、彼は数多くのダンジョンに潜ってきた。

 そこで目にしてきた現状は、目を覆いたくなるものだった。彼はそのことをつぶさに手紙に記し妹に送り続けた。そして絶滅寸前のモンスターを可能なかぎり捕獲しては、現地の協力者の助けを得て国外へと密輸し、その一部はこの地下の街にも届けられた。それらは今、ガエビリスの部屋に積み上げられたケージや水槽の中で飼育されていた。




「ここはどうだ。みんなは優しくしてくれているか」

「ええ、ルーコフさんも、ネヘルスさんも、他のみんなもとっても親切にしてくれてるわ。ここはもう、昔みたいな荒んだ場所じゃないわ」


「ここに降りてくる途中で見てきたが、たしかにそのようだな。私が留守にしている間に昔に逆戻りしていないか心配していたが、どうやら杞憂だったようだな」


「前にここを取り仕切ってた悪い連中もあれから一度も戻って来ないし、もう大丈夫だと思う」


「まあ、仮に戻って来たとしても、今のお前の敵ではないな。魔術一発で消し炭だ」




 平和で秩序ある今の地下の街からは想像もつかないが、ガエビリスたちがやってきた当時、ここはひどい有様だった。

 初期の粗雑な矯正措置で心を破壊された者、重度の薬物中毒、快楽魔術中毒で廃人と化した者、地上での縄張り争いに敗れた最底辺のホームレスなどがめいめい勝手に住み着き、互いの乏しい持ち物を奪い合い、ささいな事で殺し合う殺伐とした場所だった。

 地下通路にはゴミと糞便と干乾びた死体が積み重なり、それらを餌に増殖したネズミとゴキブリの大群が至る所を走り回っていた。

 さらに状況を悪化させていたのは、ギャングたちの存在だった。非力で無知な地下の住人たちを相手に粗悪品の麻薬を売りつけては、代金と称して臓器を摘出し、アンデッド用素体として売り飛ばすなど搾取のかぎりをつくしていた。おまけに血と暴力の匂いを嗅ぎつけてゴブリンやコボルトなどの肉食性の種族まで侵入し、地下の住人たちを餌食にしていた。


 そんな悲惨な地下の街を変えたのが、ギレビアリウスだった。

 彼はまずギャングどもを追放した。さらに精神を病んだ者を魔術で癒した。そして何より、地下の住人たち全員に誇りを与えた。我々はみじめな敗残者ではない。狭量な地上の価値観など捨ててしまえ。我々は自分たちで新たな道を切り開き、幸福に生きることができるのだ。彼はかたくなに心を閉ざした住人たちに何度も辛抱強く語りかけた。


 やがて、互いに孤立し、汚物にまみれ、小動物のように怯えているだけだった住人たちに変化が生まれた。彼らは少しずつ人間らしさを取り戻していった。食用菌類の栽培、通路の清掃、住居の建設、地上での物資調達や連絡、自衛などの共同作業も始まり、ゆるやかにまとまった独自の社会が形成されていった。

 人間たちが連携し力をつけていく中で、人外種族たちは選択を迫られた。一部の者は力ずくで排除されたが、大半の者が共生の道を選んだ。


 ギレビアリウス、彼はまさにこの地下の街の救世主に等しい人物だった。




 ガエビリスとギレビアリウスが互いに身を寄せ合い、旧交を温めている間、ローチマンのリゲリータは部屋の隅の暗がりでじっとうずくまっていた。

 だがその時、ガエビリスが呼びかけた。

「リゲリータ、あなたもいらっしゃい。兄さんに挨拶なさいよ」


 リゲリータはためらった後、おずおずと二人の前に進み出た。

 そして、震動で意志を伝えるために兄に向って触角を伸ばした。


 だがその先端は汚らわしいもののように手荒に払いのけられた。

「触るな」ギレビアリウスが鋭く言った。


「え、兄さん?何?」

 突然のことに、ガエビリスは驚きを隠せない。

「ガエビリス、まだ飼っていたのか、それを」ギレビアリウスは冷たく言った。

「それって……」


「まったくお前にはあきれるよ。昔とちっとも変わらない。お前はいつも、壊れた玩具を捨てられない子どもだったな。壊れた物や捨てられた物ばかり拾ってきてはずっと離さなかった。私が苦労して新しい玩具を手に入れてきても、見向きもしなかった」


「そんな、そんな言い方、いくら兄さんでもひどすぎる。リゲリータは弟なのに」


「弟?俺にローチマンの弟などいない。たしかに私は細胞死滅を食い止めるため、一か八かで死にゆくリゲリータにローチマン細胞を移植した。だが結局、それは失敗だった。ローチマン細胞はリゲリータの体を完全に侵食してしまった。今いるそれはリゲリータでも何でもない、ただのローチマンだ」


「そんなことないわ!リゲリータにはちゃんと人格も記憶も残ってる。体は変わってしまったけど、心はまだ生きているわ」


「お前ももういい歳だ。現実を受け入れろ、ガエビリス」


「ひどいわ、兄さん。……前はこんな人じゃなかった」


「そうか?まあ確かに七年は長い。私も少し変わったかもしれないな。よし、言い争いはこれで終いだ。ところで、帰ってきて真っ先にここに降りてきたものだから、まだ地下の街の皆に挨拶を済ませていなかった。ガエビリス、皆を広場に集めてくれないか」


「……わかったわ、兄さん」ガエビリスはうつむいて部屋を出ていった。

 その後にリゲリータが続いた。

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