第44話 断章:勇者の夢④中編
その日の夜。
秋本はこれまでで最悪の夢を見た。
それはあのおぞましき、魔王そのものとの戦いの夢だった。
彼はこの夜が来るのを密かに恐れつづけていた――。
秋本たちは魔王城に侵入した。
魔王城を作り上げているのは黒く固まった溶岩だった。北方大陸は火山活動が活発で、大地の裂け目から粘度の低いマグマを流す楯状火山がいくつも存在する。魔王城はそのような火山の山頂に位置し、地下から噴き出す膨大な量のマグマを材料として取り込んで、まるで生物のように絶えず上に向かって成長し続けていた。
滑らかな内壁を持つ黒い溶岩のトンネルは複雑に分岐と交差を繰り返し、迷い込めば二度と出られそうにない。だが、秋本にはなぜか魔王へと至る正しい道筋がわかった。魔王と勇者という宿命づけられた両者の間に、お互いに引き寄せあう力が働いているのかもしれなかった。
秋本たちは多くの敵と遭遇し戦った。
通路の影から次々と湧き出すように現れる闇兵を剣で切り裂き、魔術で吹き飛ばして進路を切り開いていった。雑兵ばかりではなく強敵もいた。さすがに魔王の本拠地だけあり、強力な魔物ばかりだ。なかでも魔王群の枢要属体である、朱角、王翅、鬼顎の三体、それに四頭の邪眼竜にはかなり苦戦を強いられた。
そして、果てしなく続く迷宮を抜けた末、ついに秋本たちは辿り着いた。
そこは広大な吹き抜けの空間だった。吹き抜けの縦穴は上にも下にも果てしなく続いているように見え、ぼんやりとした赤い光に照らされていた。光の源はマグマだった。マグマは毛細血管を流れる血液のように内壁の亀裂に沿って上に向かって静かに流れている。
そして、そこに魔王が浮かんでいた。
魔王ユスフルギュス。
十年にわたり全世界に災厄と悲劇をふりまいてきた邪悪の源がすぐ目の前にいた。
その姿は人間とは似ても似つかない完全なる異形だった。
一言で表現するなら、それは堂々たる蠕虫の皇帝だった。
その長大な体は全長数百メートルにおよんだ。その胴体は秋本たちのはるか頭上から、吹き抜けの底の暗闇の中にまで途切れることなく延々と続いていた。胴体からは体節ごとに赤い鰓のようなものが生え、リズミカルに脈動している。胴体の上に乗った頭部からは女の乱れ髪のような真っ赤な触手の房が伸び、無風であるにも関わらずまるで突風になびいているかのように舞い踊っていた。それには目も口も手足もなかった。
それは異様で不気味ではあったが、一種の病的な美しさを秘めていた。
「……こいつが、これが魔王なのか」倉本がうめいた。
「ああ、間違いない」
秋本はかすれ気味の声で答えた。
静かに剣を抜いて正眼に構える。
「無の剣」セクタ・ナルガ。これまでの戦いで数え切れぬほどの敵を葬ってきた漆黒の剣だ。
彼の横で倉本と佐々木も武器を構えた。倉本は槍。佐々木は巨大な戦斧。紗英は魔力増幅作用のある白金の杖を握り締める。
四人の見つめる前で、魔王の太い胴体が巨大な腸のようにゆるやかに蠕動を繰り返している。
秋本は紗英に目をやった。紗英がうなずく。
続けて佐々木と倉本の目を見る。二人も無言でうなずき返した。
紗英と倉本が最高次攻撃魔術を連続で放った。強烈な閃光が走り爆炎が魔王を包み込んだ。さらに1秒間に数千発の発射速度で魔法の光弾を叩き込む。紗英の白金の杖と倉本の槍の穂先が過負荷に白く輝く。
秋本と佐々木は魔王に向かって跳躍した。
爆炎が晴れ、魔王の胴体が姿を現した。そこにすべてを切り裂く厚さ数ミクロンの空間の断裂と、すべてを粉砕する質量3000キロの超重合金の塊、すわなち無の剣と戦斧が同時に打ち込まれた。
魔王の表皮が裂け、体液が奔流となって噴出した。魔王は巨体を激しく波打たせ、吹き抜けの内壁に激突させた。魔王城全体が激しく震動した。
秋本と佐々木は苦痛にのたうち回る魔王にしがみ付いたまま、何度も何度も斬りつけて傷口を広げた。その時、秋本の前腕の皮膚にチリチリする感触が走った。
「離脱しろ佐々木!」
言った次の瞬間、魔王が強烈な電撃を放った。
自動結界による魔力の多重バリアが瞬時に立ち上がり秋本たちを守ったが、それも束の間だった。多重バリアは電撃に耐えきれず外側から次々に消失していった。最後のバリアが消える寸前、紗英が結界を張り直してくれたおかげで何とか命拾いすることができた。
魔王からの攻撃が本格化したのはそれからだった。
誰も見たことがないような強力な魔術が炸裂し、空間全体にすさまじい破壊のエネルギーが渦巻いた。核爆発の爆心地も同然だった。
四人は互いに結界を補修しあい治癒魔術で瞬時にダメージを回復しあいながら果敢に攻撃を加え続けた。四人の連携が崩れ、0.1秒でも防御と回復に途切れが生じれば瞬時に全滅を招いただろう。
だが、魔王の触手先端から放たれた高出力熱線の集中砲火を受けながらも、見えない念力の手で握り潰されそうになりながらも、魔王が召喚した大量の使い魔「魔王群親衛体」に襲撃されながらも、彼らは決して倒れなかった。そして、巨大な魔王に確実にダメージを与えていった……。
激しい戦いを経て、目の前に浮遊する魔王はいまや満身創痍になっていた。
そろそろ決着をつける時だ。
秋本は加速魔術で自らを弾丸と化し、魔王の巨体へと一直線に突撃した。
剣先が表皮を突き破り、秋本は魔王の体内に潜りこんだ。
魔王の体内で秋本は見た。
おびただしい数の人体が半透明の体液に浮かんでいた。その白い肌や灰色の髪はまぎれもなく北方大陸の国々の人だった。魔王出現以来消息を絶った彼らはここにいたのだ。
彼らは生きていた。だがその姿は……。手足は溶けたように短くなり、虚ろな目は何も見ていない。腹や背中には奇妙な瘤がある。と、秋本の見ている前でその瘤が膨れ上がり、それはもう一つの頭と胴体となった。その人体は腰の辺りで二つに分裂した。まるで微生物のように分裂増殖したのだ。
その瞬間、秋本は理解した。彼らは魔王の体内で生体エネルギー源として共生させられているのだ。
共生人体にはいずれも神経繊維のようなものが絡みついていた。その先をたどると繊維は太さを増しながら魔王体内深くまで続いていた。秋本は粘稠な体液の中をさらに深く潜っていった。
闇に閉ざされた体内深奥部に、ぼんやりと灰白色に光る巨大な塊が浮かんでいた。
これがおそらく、魔王の脳だ。
これを破壊すれば、戦いが終わる。
秋本は魔王の脳めがけ、無の剣を振ろうとした。
だが、体が動かなかった。
見下ろすと、秋本の左足に魔王の神経繊維が侵入していた。
動きを封じられた秋本に向かって、暗闇の奥から虫のようにびっしりと蠢くものが接近してきた。




