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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅰ部
42/117

第42話 別れそして

 結局、俺は秋本たちのもとを去ることにした。



  秋本や横井さん、それに佐々木も心配して俺を引き留めようとしたが、それでもやはり、彼らと一緒にいるのは耐えがたかった。

 やはり秋本たちは別世界の人間だった。社会的立場、名声、財産、そして世界中の王族や富豪、将軍、賢者にまで及ぶ豊かな交友関係……。彼らが仲間同士で交わす何気ない世間話を聞いているだけでも、自分との境遇の差が嫌でも心に突き刺さってきた。



 五年間、彼らと連絡を断ってきたことで、彼らは自分とは元々何の関わりもない人々だったのだと、もう少しで信じ込めるところだったのだ。

 だがそれも勇者が凱旋したあの日までだった。

 それをきっかけに疼きはじめた心の古傷は、地下の街での再会と決闘で再び大きな傷口を開き、真っ赤な血を流し始めた。なんで俺のことを放っておいてくれない。英雄となったお前たちに今さら仲間扱いされてもかえって残酷だと、なぜわかってくれないんだ。


 男同士で正面からぶつかりあい拳で語り合えば、心のわだかまりも消えて解かりあえる。

 そんなのは嘘っぱちだ。

 わざわざ俺の前に姿を現して、ようやく忘れかけていた劣等感と無力感を嫌というほど痛感させてくれた秋本に対する葛藤は増すばかりだった。



 葛藤が増した原因はもう一つあった。

 秋本たちは、ローチマンへの変身能力を俺に無断で「治療」したのだ。

 「治療」を行ったのは、他でもない横井さん本人だった。


 秋本が言った。

「よかったな渡辺、お前はもうゴキブリ人間にならなくて済むぞ。紗英が治療してくれたんだ」

「え?なんだって……」俺は頭が真っ白になった。


「紗英はいまや国家公認の高位魔術師で、おまけに専門は治癒魔術だからな。難病治療はお手の物だ。紗英、説明してやってくれ」


「……診断の結果、渡辺君の体内の何ヶ所かに異種の細胞が寄生してるのが見つかったの。その細胞が原因で渡辺君は怪物に変身していたの。それに加え、悪性のウイルスに感染して免疫細胞が死滅していたわ。とても危険な状態だった。

 だからまず私は魔術でウイルスをすべて除去し、それから渡辺君の免疫細胞を復活させたの。この二日間、渡辺君の体内では免疫細胞と異種の細胞がはげしい戦いを繰り広げていたのよ。そしてようやく免疫細胞が勝った。異種細胞はまだ完全には消えていないけど、おそらく完全に根絶できるのも時間の問題だわ。渡辺君、あなたの体の治癒力が邪悪な細胞に打ち勝ったのよ。おめでとう」


「地下にいたあいつらに何をされたのかわからないが、人間に戻れてよかったな。紗英に感謝しろよ」


 確かに外見はおぞましいが、あれは俺に与えられた唯一の力だったのに……。

 本当なら、何てことをしてくれたんだと怒鳴りたい気分だった。だが心からの善意で俺を「治療」した秋山と横井さんに向かって言う事などできるはずもない。俺は黙って歯を食いしばった。




 秋本たちとの別れの日の朝。

 その日は午後から大聖堂で勇者像の除幕式があるという事だった。これでついに秋本も正式に歴代勇者の一人として永遠に語り継がれる存在になったというわけだ。


 彼らはみんな式典に備えて正装していた。

 秋本は金色の鎧と真紅の大マントをまとい、腰には伝説の秘剣のひとつ、黄金に輝く日輪の剣「カイ・サー」を提げていた。横井さんは幾重にも美しいドレープを作る純白のローブと瑠璃色のトルクで着飾り、手には白金の杖を握っていた。佐々木は黒く輝く甲冑に身を固め、肩には巨大な斧を担いでいた。そして倉本はつばの広い帽子を目深にかぶり、深緑の衣服の上から玉虫色にきらめくケープに身を包んでいた。


 野村は魔王討伐には参加していなかったものの、秋本たちの旅を私財を投じて全面的にバックアップしたことから、式典には貴賓の一人として参列することになっていた。着ている服は黒一色で一見地味だったが、そのデザインの洗練さと生地の上質さは一目瞭然だった。帽子だけは相変わらず金田一耕助風だったが。

 皆のあまりにも美々しく威風堂々とした姿に、俺はしばし劣等感さえ忘れて見惚れた。



「みんな、いろいろ迷惑かけてごめん。これからは馬鹿なことしないで真面目に生きていくよ」俺は言った。

「何かあったらいつでも連絡してね。私たちが力になるから」横井さんが言った。

「たまには一緒に飲もうぜ。いい店知ってるんだ」佐々木が言った。

「……今度つまらんことしでかしたら承知しねぇぞ、渡辺」と倉本。

「じゃあ、がんばれよ、渡辺」そう言って秋本は手を差し出した。

 一瞬ためらった後、俺はその手をぎこちなく握った。




「よう、遅かったなワタナベ」

 下町にある清掃会社の扉を開けた俺をガノト親方が出迎えた。

 俺がまた下水道清掃員として働くということで、親方にはもうすでに話がつけてあった。

 ありがたいことに、親方は俺の身元を快く引き受けてくれた。


 地下の街に戻ることも一時は考えた。

 だが、俺が戻った事を知ったら、秋本たちは再び俺を「救出」するために地下の街に侵入するだろう。そして再びそんな事が起きれば、前回ほど穏便には済まないような気がする。秋本たちは俺を「マインドコントロールし」「ゴキブリの怪人に改造した」地下の「カルト集団」に断固とした態度で裁きを下そうとするだろう。

 ガエビリスやキンク、それにミノタウロスがいても本気を出した秋本たちに勝てるとは思えない。

 これ以上、地下の住人たちに迷惑をかける訳にはいかなかった。


 結局、俺の居場所はここにしかなかったということか。

 俺は古びて黒ずんだ事務所兼倉庫のその建物を見上げた。


「さっそく明日から仕事だ。最近、スライムの発生が増えててな、毎日大忙しだ。覚悟しとけよ」

「はい、親方」

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