表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅰ部
4/117

第4話 浚渫作業

 村での生活はしばらく続いた。

 今思うと、あの頃が一番楽しかった。まだみんなこの世界に慣れていなくて、何をするにも手探りで、悪戦苦闘の毎日だったけど、みんなで力を合わせて困難な現実に立ち向かっていた。



 村に暮らし始めてほどなく、村人たちが不思議な力を持っていることに気付いた。魔術とでも呼ぶべき能力だ。重い物を宙に浮かせて運んだり、マッチや火打石を使わずかまどに火をつけたり、あるいは農作業で傷を負った時に瞬時に傷口をふさいだり。魔術は日常的に使われていて、生活の一部となっていた。

 村人たちは俺たちが誰も魔術を使えないのを知って驚いた。この世界で生きていくには魔術は必須の能力らしかった。俺たちは昼間は農作業の手伝いをして、夜は村の老婆から魔術の手ほどきを受けた。魔術は感覚的な要素があり、呪文さえ唱えればいいというわけではなく、習得は一筋縄にはいかなかった。



 村で暮らし始めて一ヶ月が経った頃。

「あれ?何?何?やだ怖い!」

 横井さんが床の上からふわりと浮かび上がった。彼女の体はゆるやかに上昇を続け、ついに頭が小屋の梁につかえて止まった。

「おおっ!横井っち、すげーぞ」佐々木が言った。一緒に転移した仲間の一人で、太った男だ。

「おめでとう、横井さん。浮揚の術、成功だね」秋本が言った。

「うーん、サエちゃんに先越されたか。僕も負けてられないな」野村が腕組みして言った。

 横井さんは足をばたばたさせながら天井付近を浮遊している。

「感心してないで誰か下ろしてください!」横井さんが泣きそうな顔で言った。



 彼女を皮切りに、みんな次々に魔術を習得していった。

 俺を除いて。

「…………」

「大丈夫だって。コツさえつかめば簡単だよ」

 いつまでたっても魔術一つ発動できないで凹んでいる俺を横井さんが励ましてくれた。

「渡辺は力みすぎなんだよ。ほら、深呼吸してリラックスして。もう一回やってみろよ」

 秋本もアドバイスしてくれたが、やはり呪文を唱えても何も起きなかった

「……ごめん、みんな。やっぱ俺無理みたいだわ」

「まあ、こういうのはあまり根詰めてやると逆効果かもしれないな。今すぐ必要ってわけでもないし。そのうちフッとできるようになるさ」野村が言った。


 しかし、俺はついに魔術を習得することはなかった。

 これがこの世界に来て最初の挫折だった。今思うと、これが転落の始まりだったのかもしれない。




 ――――ザクッ、ザクッ。

 俺はスコップを振るい雨水排水路にたまった土砂をかき出し続けていた。

 昔を思い出したせいで一段と憂鬱な気分になってしまった。

 土砂はまだ多量に残っていた。いくらかき出してもキリがないように思えた。心を殺して、ひたすら機械的に体を動かし続ける。

 上の空で作業していたせいで、俺は目の前の泥の中に潜む危険に気付かなかった。



 カキン!

 甲高い金属音を立てて、スコップの刃先が硬い物体にぶつかった。

 次の瞬間、弾けるようにして巨大な鋏が襲いかかってきた。

 俺はなんとか後ろによけて鋏をかわしたが、体勢を崩して尻餅をついてしまった。

 目の前で泥の山が盛り上がり、その下から巨大な蟹が姿を現した。甲羅の差し渡しだけで1メートルはあろうかという怪物だった。


 

 下水道清掃員の親方から聞いた事がある。下水道や地下水路に住み着いてるのはスライムやゴキブリ人間だけでない。もっと危険なモンスターもいる。異形化した蟹や百足、骨蜘蛛、人喰蛭、それにおぞましい「闇の落とし子」、さらに得体の知れない不気味な魔物もいるという。

 もし、下水道での作業中にそんな危険な怪物にばったり出会ってしまったら、できるだけ相手を刺激せず、ゆっくりとその場を離れろ。決して退治しようなんて思うな。下水道は奴らの巣だ。圧倒的にこちらの分が悪い。



 力強い八本脚を動かし、のっそりと蟹が歩き出した。

 俺は泥の上を後ずさって蟹から距離を取ろうとした。しかし蟹は後退する俺の方へ向かってきた。飛び出た二つの眼柄はまっすぐ俺を凝視し、口からはブクブクと粘っこい泡を吹いている。カチカチと開閉する巨大な鋏はペンチのように力強く、鉄板すら簡単に切断できそうだった。

 戦慄とともに悟った。こいつは俺を食おうとしている。

 あの鋏で俺の体を細かく引き裂いて、バラバラに千切って食うつもりなのだ。


 周囲を見回すと、近くに他の作業員の姿はなかった。

 俺は立ち上がると悲鳴をあげて逃げ出した。

 蟹も走り出した。ウミガメのような巨体に見合わない俊敏な動きだ。必死に走ったがゴム長を履いているためスピードが出せない。蟹はどんどん距離を詰めてくる。


「誰かぁ!助けてぇ!」

 俺の叫びに応える者は誰もいなかった。みんなどこに行ってしまったんだ。その時、俺の足元付近でガチンと鋏を閉じる音がした。危ないところだった。もし挟まれていたら足の骨なんてひとたまりもなかっただろう。


 嫌だ。死にたくない。こんな所で蟹の化け物の餌にされるのなんて絶対に嫌だ。

 なんで俺だけがこんな目に遭うんだ。不公平じゃないか。

 あいつは、秋本は世界の英雄になれたというのに。あいつは魔王だって倒したというのに、俺はこんな蟹一匹相手にみっともなく逃げ回っているだけなのか。こんなことが許されてたまるか。


 俺は踏み止まり、迫りくる化け蟹に向き直った。

 そいつはすぐ目の前にいた。ヘッドランプの光がそいつの全体像を照らし出した。甲羅や脚は鋭い突起に覆われ、鋏には茶色い毛のようなものが密生していた。真正面から光を浴びて、そいつはまぶしそうに眼柄をひっこめた。


 今がチャンスだ。俺は叫びながらスコップを振りかぶるとそいつの眼に叩きつけた。研磨されたスコップの先が片方の眼柄を切り落とした。蟹は怒り狂い、威嚇するように巨大な鋏を振り上げた。口からシュウシュウと音を立てている。

 だがしょせん、こいつは下等生物だった。怒りのあまり隙だらけになっている。俺はそいつの腹側や甲殻の継ぎ目を狙いスコップで突きまくった。固い甲羅と違ってそこは柔らかく、傷つけることができた。何度も突いているうちにしだいに関節部分から体液がにじみ始め、動きが鈍ってきた。

 ついに脚が一本取れた時、蟹は退却を始めた。だが俺は逃すつもりはなかった。

 俺は蟹の胴体の下にスコップを突っ込み、ひっくり返した。そして腹側の甲羅を踏みつけた。蟹は俺の下で力なく鋏と脚を動かしている。


「どうだ、参ったか。えぇ?馬鹿にしやがって!」

 俺は息を荒げながら、力任せにスコップを振り下ろした。柔らかい腹側の甲殻に刃先が食い込んだ。

「この下等生物め!どうだ!どうだ!これでどうだ!ハハハッ!」

 何度も打撃を加えるうちに甲殻が裂け、体液が飛び散り、肉が露出した。顔に生臭い飛沫がかかった。これでとどめだ。俺は露出した内臓に深々とスコップを突き立ててえぐった。

 蟹は脚を痙攣させて動かなくなった。


「ハハハ、俺の勝ちだ……」

 俺は蟹の死骸に足をかけ、勝利の余韻を味わった。

 だが次の瞬間、急に空しくなった。冷静に向き合えば、怖ろしげな外見のわりに蟹は弱かった。こんなモンスターとも呼べないような生き物一匹を惨殺していい気になってるとは。俺はなんて卑小な人間なんだろう。あいつとは人間の格が違いすぎる。

「畜生……」

 俺は蟹の死骸を後にして浚渫作業を再開した。その日はずっと惨めな気分だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ