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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅰ部
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第39話 邂逅①

 俺たちは下水道を経由し、地下の街へと戻っていた。


 ミノタウロスのド・ゴルグ氏とは途中で別れた。やはり坑道跡を再利用して作られた地下の街は彼の巨体にとって狭すぎたようだった。そのかわり彼はもっと幅が広い幹線下水道に住んでいるようだった。いつも大量の汚水が流れている、そんな劣悪な環境で大丈夫なのか聞いてみたが、その返事は、

「俺の心身はあいにく人間ほど繊細にはできてないんでな。まったく気にならん」

 というものだった。


 道中でキンク・ビットリオが意識を取り戻した。

 ラットマン化した時に生えた体毛はすべて抜け落ち、変形した顔面も今では元通りに戻っていた。

「あれ?夜警はどうしたんだ」

 キンクにはラットマンになっていた期間の記憶が完全に欠落していた。

「…何とか追い払えた。お前がラットマンに変身して戦ってくれたおかげだ…」

「ふーん、そうなのか。実感がまるでないや」

 いつものキンク特有の躁病的な態度は影をひそめ、妙に落ち着いているのが奇妙だった。



 地下の街の入り口に着いた時だった。

 ガエビリスが急に立ち止まり、周囲をそわそわと眺めはじめた。

「あれ、……おかしいわ」

「…どうしたんだ…」


 彼女は眉をひそめて言った。

「偽装結界が消えてる。そんなはずはないんだけど」


 ガエビリスの話によると、複数存在する地下の街への入り口は、侵入者を防ぐためにある種の結界で巧妙に偽装されているらしい。もともと地下の街に住んでいるか招かれた者以外は偽装を見破れず、そこに入り口がある事さえ認識できない。

 だが、その結界が消失していた。一度張った結界が勝手に消えてしまうことなどありえない。残された可能性は一つだった。


「結界が破られたのかもしれない。侵入者に……。高度な魔術の知識を持つ何者かに」

 ガエビリスがつぶやいた。

 嫌な予感がした。「…まさか、夜警か?…」

「たぶん、それはないと思うけど。さすがに早すぎるわ」

「…じゃあ、いったい何者が…」

「とにかく、入ってみるしかないんじゃないのか」キンクが言った。

 俺たちは入り口をくぐり抜け地下の街へと入った。


 入ってすぐに異変に出くわした。

 コボルトが死んでいた。

 地下の街には人間以外に何種類もの非人類種族が住み着いていた。コボルトはそのうちの一種で、地下の街の番犬を務めていた。鋭い嗅覚で外部からの侵入者を嗅ぎ分け、襲いかかる。しかし地下の街の人間とは共存していて、危害を加えることはまったくない。

 ガエビリスは死体にかがみ込んで調べた。

 コボルトは首を真一文字に斬られていた。そこから流れ出た血が死体の周囲に血だまりを作っていた。

「血液がまだ凝固していない。まだ時間が経ってないわ。すぐ近くに侵入者がいるかもしれない。気を付けて」


 ガエビリスは目を見開いたまま絶命しているコボルトのまぶたに手を触れて閉じさせた。



 さらに通路を進んでいくと、コボルトの死体が次々と見つかった。

 いずれも一太刀で斬り殺されていた。明らかに剣の扱いに熟達した者の仕業だった。

 通路には誰も出ていない。岩盤の隙間や窪みに作られた部屋の出入り口から、心配そうな目がいくつも外の様子をうかがっているのみだ。


 やがて、通路の先にコボルトとは違う人影が壁にもたれて座り込んでいるのが目に入った。

 それはこの街に住む唯一のヴァンパイア、ヘネルス・ドゥ・ヴィルマウシュタン氏だった。

 彼はコボルトとは違う。剣も魔術も達人級の腕らしい。その彼までもが被害に遭っていたとは。俺たちは慌てて彼のもとに駆け寄った。


 ヘネルス氏は胸元をけさ斬りにされていた。シャツの切れ目から覗いた傷口は骨にまで達する深いものだった。それほどの深手を負いながらも血がほとんど流れ出していないのが異様だった。ヴァンパイアは広義のアンデッドに属するため体内を血液が循環していないせいだ。


 しかし、それでもヘネルス氏は生きていた。

 彼は目を開くと、咳き込みながら言った。

「……諸君、こんな格好で失礼。

 ワタナベくん、きみの帰りを待っていたんだ。先程からお客人が五人、きみのことをお待ちかねだ」


「…客?しかも五人だって。いったい誰なんです?どこにいるんです?…」俺はヘネルス氏に聞いた。


 彼は視線で通路の奥を示した。

「向こうのベンチに腰かけてお待ちだ。なあに私の事は心配ない。ちょっとばかり、彼らとの間に不幸な行き違いがあってね。少しばかり血を飲めばすぐに治るさ……。さあ早く会ってあげなさい」


 俺はガエビリスやキンクと視線を交わした。

「ワナタベさん、何か心当たりは?」

「…いや、全くない…」

 だが俺は、本当はその時すでにそれが誰であるかに薄々気づいていた。そう、この地下の街に戻ってきた時からそれを感じ取っていたのだ。空気中に漂うその懐かしい気配を。

 この世界でしばらく、共に暮らした彼らの気配に。

 だが彼らがこんな所にいるはずはなかった。いて欲しくなかった。その先で待っているという彼らに会いたくなかった。俺は背を向けてこの場から逃げ出したくなった。


「……知ってるのね。とにかく、行ってみましょう」

 ガエビリスは立ち上がると、通路の先へと率先して歩きだした。その後にキンクも続いた。


 俺はヴァンパイアのヘネルス氏の前にかがみ込んだまま態度を決めかねていた。

「どうした、きみも早く行きたまえ。何をしている」ヘネルス氏が薄目を開けて言った。

「怖いのかね、彼らと会うのが。その姿を見られるのが」

「…………」図星だった。人間の姿だったらきっと赤面していたことだろう。

「きみが行くしかないんだ。早くしないと彼女たちも私と同じ目に遭うかもしれない。それを止められるのはきみだけなんだ」


 俺は意を決して立ち上がった。拳を固く握りしめる。

 そして、五人の客が待つ場所へと向かった。



「……なぜこんなことを」通路の奥で話すガエビリスの声が耳に届いた。


「コボルトたちのことは済みません。まさか彼らがここの人間と共存しているとは思いもしませんでした。我々はただ渡辺裕紀くんの行方を探していただけです。あなた方の生活の平穏を乱す意志はまったくありませんでした」


 若い男の声が聞こえた。その流暢な話し方、快活な口調、昔と何も変わっていない。いや、壮絶な冒険を経てさらに自信に満ちあふれていた。

 俺は通路の角を曲がり、彼らの姿を直接目にした。


 そこに秋本俊也がいた。

 ともにこの世界に転移した仲間であり、魔王征伐を成し遂げた偉大なる勇者。

 そしてその横のベンチには倉本と佐々木が座っていた。二人とも魔王征伐に参加し厳しい戦いをくぐり抜けてきた歴戦の戦士だ。長身の倉本は血のついた短剣をもてあそんでいた。彼がコボルトやヘネルス氏と戦ったのだろう。そして、かつては肥満体だった佐々木は腕を組んで周囲に油断のない視線を送っている。

 ベンチには下水道清掃作業員のガノト親方の姿もあった。いったいなぜ秋本たちと一緒にいるのだろう。


 そして秋本の後ろに立つその女性を目にした時、俺の胸に微かな痛みが走った。

 横井紗英さん。

 学生時代の垢抜けない少女から、自信あふれる大人の女性へと彼女は大きく成長を遂げていた。



 彼らの視線が、ゴキブリ人間と化した俺に向かっていっせいに注がれた。

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