第35話 救出①
夜九時。シャモス隊員はようやくその日の駆除任務をかたづけて夜警本部に帰り着いた。
朝から大変な一日だった。
その日はまず、建物解体業者からの一件の通報で始まった。
業者が取り壊し作業のため旧市街のとある高層アパートに立ち入ったところ、荒廃した屋上のテラスにマンドレイクが自生していたのだ。
西大陸原産の外来植物モンスターのマンドレイクは、人を死に至らしめる危険性の高い第一級駆除対象種族だ。はじめて確認された50年前以降この都市では徹底した駆除が行われてきた甲斐もあり、今日ではほぼ根絶されたものと考えられていた。だからこの通報は夜警たちに少なからぬ衝撃をもたらした。
シャモスは他の夜警隊員たちとともにただちに現場の建物に急行した。
問題の屋上に踏み込んだシャモスは息を呑んだ。
そこには十年以上誰も足を踏み入れていなかったようで、コンクリートはひび割れ、隅には風に吹き飛ばされてきた土埃やゴミが溜まって土壌ができていた。そして、その亀裂や土壌から、おびただしい数の小さなマンドレイクが葉を伸ばしていた。その毒々しい紅色の斑入りの葉は見間違えようがなかった。
それだけではなかった。隅の方に放置された植木鉢には、一番大きな株がどっしりと居座っていた。その肥大化した人型の塊根は植木鉢に収まりきらず、上半身は土の上に露出し、下半身は植木鉢を割って外にはみ出していた。
おそらく、鳥か何かがたまたま持ち込んだ種子がまず植木鉢で発芽し、それが生長して屋上中に種子をばら撒いたのだろう。
夜警隊員たちは耳栓と耳当てを装着した。
廃ビルの周囲にはすでに非常線が張られ、半径50m以内は立ち入り禁止措置が取られていた。
土の上に上半身を覗かせた植木鉢のマンドレイクは、生い茂った葉のかげからシャモスたちに恨めしげな視線を送っているようだった。
ラウス隊員が手を挙げた。散布開始の合図だ。
シャモスたちは背負ったタンクに入った除草剤をマンドレイクたちに浴びせかけた。ノズルから噴き出す白い液体を浴びて、マンドレイクの葉はみるみる萎れていく。耳栓をしているので何も聞こえないが、魂を引き裂くような凄まじい絶叫が辺り一面でわき起こっていることだろう。マンドレイクの絶叫を聞くと最悪、発狂して死に至ることもあるのだ。
除草剤の散布を終えると、隊員たちはしゃがみ込んでマンドレイクを引き抜いていった。地下に塊根が残っているとまたそこから芽を出すので一本たりとも残すわけにはいかない。
マンドレイクたちはコンクリートの亀裂の奥深くに食い入るように根を伸ばしていて、取り除くのは大変だった。それに除草剤を浴びてかなり弱っていたとはいえ、マンドレイクたちは土から引き抜かれる瞬間に強烈な悲鳴を上げた。耳栓と耳当てで二重に守っていてもその悲鳴を完全に締め出すことはできなかった。シャモスは冷汗を流し頭痛でふらふらになりながらも作業を続けた。
最後に、植木鉢に生えた一番大きな株が残された。そいつの根は植木鉢の底とビルの天井を突き破り、下の階にまで達していた。そいつは駆除される間際、脳髄を直接刺し貫くような強烈な絶叫をあげた。二名の隊員が鼻と耳から血を流してぶっ倒れ、たまたまその上空を飛んでいた鳩が四羽落ちてきた。シャモスは歯を食いしばって真鍮のロッドから焼却魔術を放ち、マドレイクの親玉を焼き殺した。
夕暮れ時。なんとか屋上からマンドレイクを一掃し、撤収しようとしていたその時、本部からもう一件の駆除任務が舞い込んだ。
「空飛ぶ魔物が現れた」という市民からの通報だった。
魔物は大きめの猿くらいのサイズで黒く、背中に蝙蝠のような翼が生えていたという。目撃情報の内容から判断して、まちがいなくガーゴイルだった。ガーゴイルも駆除対象種族だ。たいていは残飯や小動物を餌としているが、まれに人間に襲いかかることもある。その唾液には病原菌が含まれているので、噛まれると命に関わる。夜警に駆除されて昔よりはかなり少なくなったが、今でも古い寺院の屋根裏や遺棄された塔などに住み着いていた。
現場は同じく旧市街で、そこからすぐ近くだった。
シャモスとラウスの二人が駆除を命じられた。
すでにすっかり日は暮れていた。通報のあった現場に着くとそこにいたのは二匹のガーゴイルだった。鱗に覆われた醜い怪物たちは、屋根の上で騒々しい金切り声をあげて一匹の猫の残骸を奪い合っていた。
「さっさと片付けて帰ろう」ラウスが言った。彼もシャモスもマンドレイクの駆除で疲れ果てていた。
シャモスは真鍮のロッドの狙いを定めた。
一匹目は一撃で吹き飛ばして静かにさせた。だが二匹目を撃ち損じた。そいつは屋根の上から転がり落ちつつ、傷ついた翼で懸命に羽ばたいてシャモスの頭上を飛び越えた。その瞬間だった。あろうことはそいつは空中で脱糞し、異臭を放つ黒い液状の軟便がシャモスに降りかかった。
悲鳴を上げるシャモスを尻目に、ラウスは冷静に二匹目を撃ち落とした。
「ははは、災難だったな。帰って風呂に入るぞ、シャモス」
夜間でありながら煌々と照明の灯る本部の建物の中を、シャモスは足音も荒くシャワー室へと直行した。夜警はその名の通り、魔物の活動が活発化する夜間に最も多忙な時間を迎える。だから深夜であっても大勢の人間が働いていた。
途中ですれ違った隊員たちはシャモスの悲惨な様子を見て笑うか、あるいは同情を寄せた。
シャワー室に入ったシャモスは、ガーゴイルの糞便で汚れた黒い戦闘服を急いで脱ぎ捨てると、シャワーの栓をひねった。
勢いよく噴き出した清潔な湯が、頭や顔に黒くこびりついた汚物をたちまち洗い流していった。シャモスはほっとした気分で熱い湯を浴び続けた。
シャモスは熱いシャワーが好きだった。熱湯は体を浄化してくれる感じがするからだ。任務で浴びた魔物の体液や血といった穢れをのこさず洗い落とすには、ヒリヒリするくらい熱い湯でなればならないと思っていた。
ノズルから降り注ぐ湯は、彼女の銀色の短髪を濡らし、桜色に上気した頬を伝い、そして大きく張りのある乳房の上をすべり乳頭から滴となって落下していく。また別の流れは引き締まった腹部を流れ下り、両足の間の小さな茂みを濡らしてタイル張りの床へと滴っている。彼女は石鹸を泡立て、体のすみずみまで丁寧に洗い始めた。泡混じりの湯が渦を巻いて排水口へと吸い込まれていく……。
その時だった。
ゴポリ。排水口が音を立てた。鼻歌を歌いながらシャワーを浴びる彼女はそれに気付かなかった。
ゴポ、ゴポ。ゴポゴポゴポ。排水口は続けざまに大きな気泡を吐き出し、そして静かに逆流しはじめた。しかし目をつぶってリラックスし、熱い湯の快感に身を委ねている彼女はまだ気付かない。
ブシュウウウウウ。ついに排水口から悪臭とともに汚水が噴出した。ついに彼女も異変に気付いた。噴き出したのは汚水だけではなかった。小さな茶色いスライムの断片がシャワー室の壁、床、天井、それに彼女の体じゅうにへばりついて蠢ていた。
「きゃあああああ」
シャモスは素っ裸のままシャワー室から外へ飛び出した。




