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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅰ部
34/117

第34話 尋問

 次の日、目が覚めると俺は人間に戻っていた。

 床には粉々に砕けた黒いキチン質の破片が大量に散乱し、俺はその中に全裸で横たわっていた。

 そして、外の通路には科学者たちを従えたハルビア総隊長が立っていた。 


「……おはようワタナベくん。いや、実に興味深いものを見せてもらった」


 その黒い瞳は好奇心にらんらんと輝いていた。


「ローチマンから人間への完全な変態(トランスフォーム)、実に素晴らしい。信じがたい現象だ。いったい誰が君にそんな高度な改造を施したのか、ますます興味が湧いてきたよ。これは徹底的に調査する必要がありそうだね」


 鉄扉を開けて二人の科学者が中に入ってきた。人間になった俺は魔術で動きを止めるまでもなく、あっさりと科学者たちに取り押さえられて、太い注射器で二の腕から採血された。


「さすがに裸では辛かろう、彼に衣服を渡してやりなさい」


 支給されたのは下着とズボン、それに灰色の長袖シャツだった。俺はそれらをあわてて身に着けた。ローチマンの黒い鎧に包まれていた時よりもずっと無防備になったような気がした。

 その朝の食事はパンとチーズ、それにうす味の野菜スープと合成肉のハンバーグと、ずいぶん人間らしいものに変わった。変態はエネルギーをかなり消費するようで、目覚めた時からかなり空腹だった俺は出された食事を残さず平らげた。その間、ハルビアと科学者たちは通路に立って俺を観察しつづけていた。



「……落ち着いたかね、ワタナベヒロキ君」

「俺のことを」

「そりゃ知ってるさ。ヒュドラの一件ではきみのおかげで我々は多大な損害を被ったのでね。忘れようたって忘れられるもんじゃない。最初にきみがワタナベと名乗った時はまさかとは思ったが。こうして人間の姿に戻ってみると、たしかにあの事件のきみだな。きみはあの時からローチマンに変身できたのかね」


「いえ、そんなことはありません」

「本当かね。あの事件でのきみの行動には疑問点が多い。ヒュドラ討伐のてがらを立てて下水道清掃員の身分から脱するためにやったと、裁判の記録では一応そうなってはいるが、本当にそうなのか。はじめからヒュドラを暴走させるのが目的だったんじゃないのかね」

「違います」


「ヒュドラを暴走させ、都市の治安を脅かし、我々に損害を与えるのが目的だったのでは」

「違います」


「そして今回のミノタウロスの件にも関与しているね。国外から不法入国した怪物を逃がすため、きみがおとりとなって陽動作戦を行った」

「違い……ます」それは正しかった。


「きみは一連の魔物による事件に関与してきたテロ組織の一員で、異端の魔術で自らも魔物と化したテロリスト。そう考えるとすべてに筋が通るのだよ。きみは下水道清掃員という身分に嫌気がさし、社会に恨みを抱き組織に入った……」


 確かに下水道清掃には嫌気がさしていたし、社会や自分の境遇には不満と恨みを抱いてはいたが、テロリストになりたいと思ったことなど一度もない。やり場のない怒りを無関係の人間にぶつけて憂さ晴らしをするほど俺は腐ってはいない。

 そう思ったものの、実際に口にできたのはただ一言だけだった。

「俺はテロリストなんかじゃありません」


「……そうかね。まあ真実は追々明らかになるだろう」

 ハルビアはそう言うと科学者たちを引き連れて通路を去っていった。




 衣服と人間らしいメニューの食事が与えられるようにはなったが、扱いが人間的になったのはそこまでだった。相変わらず排水口しかない独房に監禁され、身体検査と尋問は続いた。

 激痛を与える薬物はあれ以降使われなくなったが、かわりに用いられるようになったのは催眠術や精神操作魔術の類による自白だった。それでも夜警たちが望む情報は得られなかったようだ。



「……ここまでして組織に関する情報が何も手に入れられないとなると、きみの脳に外部からなんらかの操作が加えられているに違いない」ハルビアは断言した。


「強い意志だけでは、ここまでかたくなに秘密を守り通すことは不可能だ。きみの組織はきみが捕縛され尋問されることをはじめから想定し、重要な情報に関する記憶をブロックしていたに違いない。それに、きみは組織に対し強い忠誠心を感じているようだが、それもマインドコントロールの可能性が高い……。よく考えてみたまえ、組織はきみに対し何をしてくれた。そこまで忠誠を誓うに足る理由があるかね」


「…………」

 ガエビリスや地下の街の住人たち。彼らは俺を受け入れてくれた。俺が魔術を使えないことを誰も馬鹿にしなかったし、前科者の被矯正者だからといって軽蔑する者もいなかった。地上の街と、それに昔の仲間たちの冷淡さとは大違いだ。

 それどころか、彼らは俺にローチマンという力を与えてくれた。そしてその力を必要としてくれた。そんな彼らに対して自分の身を賭しても報いたいと思うのは当然の感情だ。何もおかしくはない。


 そんな俺の表情を読んだのか、ハルビアは言った。

「そう、きみは自分が完全に自分の意志で行動していることに自信を持っている。確信している。だからこそ怪しいのだ。

 考えてみたまえ。きみが捕縛されて何日経つ。もう五日だ。誰も君を助けに来ないのはどうしたわけだろう。きみは組織に利用されたのだよ、使い捨ての要員としてね」

「…………」

 馬鹿な。そんなはずはない。彼らはきっといつか助けに来てくれる。

「まただんまりかね。まあ冷静に、客観的に考えてみることだ。時間はたっぷりあるのだから」



 次の日。

「……きみの不思議な肉体に関する調査は順調に進んでいてね、今日はその成果のいくつかをかいつまんで説明してあげよう。退屈しのぎに聞いてくれたまえ」

 ハルビアは独房の前の通路を往復しながら説明した。


「まずは変身の仕組みについてだ。人間の姿の時も、きみの体内にはローチマンの細胞の塊が全身数か所に散在している。完全変態昆虫における成虫原基とまさに同じように。それがアドレナリン等のホルモンの作用で急激な増殖を開始し新しい組織、器官を作り出す。そしてきみはローチマンとなる。

 反対に、人間に戻る時は、別のホルモン、おそらくメラトニンと考えられるが、その作用でローチマン細胞の細胞自殺(アポトーシス)のスイッチが入る。そしてローチマン器官は急速に分解されていく。しかしすべての細胞が死滅するわけではなく一定数の細胞は維持される……」


 ハルビアは得々と研究成果について解説した。その姿は強者ぞろいの夜警のトップというより、教壇で講義する大学の教授を思わせた。


「さて、問題はここからだ。人間のからだには免疫というものがある。体内にある異物を攻撃し排除する機能だ。当然のことながら、ローチマン細胞はきみの体にとっては攻撃すべき異物だ。しかし拒絶反応も起こさず共生している。なぜなのか。わかるかね……。答えは簡単だ。きみの免疫系は機能していなかったのだよ。驚いたかね」


「きみの免疫細胞はある種のウイルスに感染し、ほぼ死滅していた。本来なら感染症で死んでいるはずだが、きみ本来の免疫細胞にかわり、ローチマン細胞由来の抗菌物質が細菌の感染を防いでいるようだ。

 おそらくきみは、ローチマン細胞を移植されるにあたり、意図的にウイルスに感染させられた可能性が高い。このウイルスには血液や性的接触で感染するが、何か思い当たるふしはあるかね」


「血液、性的接触……」

 馬鹿な、おれはこの世界に来てから誰ともセックスなんてしていない。下水道清掃作業員たちに安物の売春宿に誘われたことは何度かあったが、どんな妖怪が現れるか知れたものじゃないので断ってきた。ましてやガールフレンドなどできたためしは……。

 いや、違う。俺は一度だけ女を抱いたことがあった。

 ローチマンに地下の街へと誘われ、そこに現れたガエビリスに口移しで変化の霊液を飲まされた後だった。俺は突然込み上げてきた欲望のおもむくまま、彼女をその場に押し倒した。ひんやりとした細く白い体、小さな胸、そして熱く絡みつくような彼女の内部。あの時の生々しい感触が突然よみがえってきて俺は勃起してしまった。

 そう、俺はガエビリスとセックスした。なぜ今まで忘れていたんだろう。


「なるほど、身に覚えがあるようだね。で、相手はどんな女だったのかね、……ひょっとして男か。くくく……」

「うるさい!」

 ハルビアは忍び笑いを漏らしながら去っていった。



 夜。通路の照明が落とされた。

 俺はいつまでここに閉じ込められるんだろう。もう何度目になるのだろうか、俺は脱獄の手がかりを探った。だがやはり何も見つからなかった。

 ローチマンに変身し、渾身の力で壁や床を殴れば破壊できるかもしれない。しかし、ローチマンだった時に感じた事だが、床や壁を伝わる振動の具合から、この牢獄が地下にあることは間違いなさそうだった。壁をぶち破ってもその向こうに土しかなければ意味がない。トンネルを掘って脱出しようにも、完成するまで穴を隠すのに役立ちそうな備品は何もなかった。

 やはり脱獄は無理だ。そう結論するしかなかった。


 暗闇の中で俺は、昼間ハルビアから聞かされた話を思い起こしていた。

 俺はガエビリスとセックスしたことを忘れていた。記憶を封じられていたとしか思えない。

 彼女は精神矯正措置を解除してくれた。でも、ひょっとしてそれとは別の術で俺の精神を操作していたのではないのか。

 本当に、俺は自分の意志で地下の街のために夜警と戦ったのか。本当に彼女たちを信じてもいいのだろうか。疑念は膨らんでいった。


 その時ふと、視界の隅に動くものを捉えた。

 小さなスライムだった。

 そいつは床の隅にぽっかりと空いた排水口から這い出そうとしていた。

 普通、排水管には害虫の侵入を防ぐために、トラップという水が溜まった部分がついている。ネズミやゴキブリの侵入はたしかにトラップで防ぐことができるが、水陸両棲でおまけに柔軟な体でどんな狭い隙間も通り抜けられるスライムの侵入は防げない。餌の味をたどって下水管から台所やトイレに這い出して来ることがよくある。


 俺はそのスライムを観察した。そいつは伸び縮みしながら房の床を横断していく。這った後にはナメクジのように透明な粘液が残った。

 と、そいつは丸い小さな塊を排出した。スライムの糞だろうか。俺はふと興味を引かれ、這い跡に残ったその白くて丸い塊をつまみ上げた。


「何だこれは……」

 それは紙だった。ごく薄い紙を小さく丸めて作った紙つぶてだった。

 俺は指先を使い、その薄い紙を破かないよう慎重に広げていった。

 そこには文字が記されているようだった。

 通路の突き当りにある見張り番の詰め所から漏れるかすかな光を頼りに、俺は目を凝らした。そこには細くて下手くそな字で、次のように書かれていた


「ワタナベさん、もうすぐ助ける。待ってて。ガエビリスより」

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