第31話 断章:勇者の夢③前編
――数か月前。
勇者こと秋本俊也はかつての仲間、渡辺裕紀の捜索を開始した。
秋本はまず精神矯正措置について調べた。
精神矯正措置はいわばロボトミーの魔法版だった。
犯罪者の人格から反社会的要素を除去し再犯を防ぐのが目的で、政府の出版物には「犯罪者の健全な社会復帰を可能にする安全かつ効果的な措置」とうたわれている。
被矯正者は社会的規範を神経回路に焼き付けられるため、たしかに法に反した行為は不可能になる。だが副作用として、他者に対して過度に従順になり人の言いなりになってしまうのだ。ひどい場合には無気力化したり、まったくの別人格と化してしまうこともあるという。基本的人権を無視した非人道的な刑罰だった。
しかも、渡辺のケースでは、ヒュドラの暴走事件は故意ではなく過失だった。
再犯のおそれのない渡辺に精神矯正措置を適用するのはあきらかに間違っていた。
被矯正者は社会的に非常に弱い立場にあるため、彼らに対する虐待、酷使、搾取、私的な制裁は法律で禁止されている。
しかし、少し調べただけで、それは建前にすぎないことがわかった。
彼らの多くは不幸な末路をたどっていた。
悪徳業者に命じられるがまま、鉱山や工場などで重労働に就かされる者が多く、中にはいまだにゾンビの使用が合法な外国に売り飛ばされたり、魔法効果のある薬物の原料とするため眼球や臓器を奪われる者もいた。それに犯罪被害者からの報復を受けることも少なくなかった。
調べるほどに秋本は焦燥を深めた。一刻も早く渡辺を見つけ出し、そういった者たちの魔の手から守らなければならない。
さっそく、秋本は渡辺の足取りをたどっていった。
この日の調査には倉本が同行してくれた。彼はともにこの異世界に転移し、魔王との戦いにも同行したかけがえのない仲間の一人だった。
倉本は長身で引き締まった体つきの男で、ぶっきらぼうなところもあるが、魔術から剣術、格闘術はては料理や武器の修理まで何でもこなせる頼れる奴だった。
まず二人は司法局に出向いて裁判の記録を閲覧し、逮捕当時の渡辺の勤務先、自宅の住所の情報を得た。
さっそく自宅の住所に向かった。
そこは低所得者が多く住む住宅密集地だった。区画整理がまったく進んでおらず、毛細血管のように入り組んだ狭い通りの両側に、老朽化したコンクリート製の集合住宅がひしめくようにして立ち並ぶ、見るからに陰気な地区だった。町全体にはどぶ川からの悪臭が漂い、一様にうつろな表情を浮かべたエルフの子どもたちが道端にぼんやりと突っ立っていた。
「やたらエルフのガキが多いな」倉本が言った。
「国営工場で働かされてる下級労働者の子どもたちだろう」
数百年前、この国が西大陸に侵攻した際、大勢のエルフが奴隷としてこの都市に連れて来られた。当時は主人に対する従順さと知性の高さ、それに見た目の美しさから、エルフは奴隷として人気が高かった。
だが、この都市で代を重ねるごとにエルフは急激に堕落していった。
美しく気高かったその顔はどこか間抜けな印象を与える馬面になり、目の輝きは濁り、知性と意志力を喪失していった。そして、なぜか能力の低下と反比例するように繁殖能力だけが増大していった。
奴隷としても魅力に欠けるようになったエルフたちは主人たちに見捨てられ、やがて都市のあちこちの貧民街に身を寄せ合うようにして住み始めた。そして旺盛な繁殖力にものを言わせその数を増やしていった。
行政局は長年の間そんな彼らを扱いあぐねていたが、数十年前からの機械工業の急激な進歩より、工場で単純労働を担う下級労働者の需要が高まるにつけ、ようやくエルフの活用法を見出した。
道端にたたずむエルフの子たちは無言のまま目だけ動かして、秋本と倉本を追った。彼らの親は今ごろ国営工場で、うなりをあげる巨大な機械の傍らで危険で過酷な労役に就いているのだろう。
「不気味なやつらだな」
「おい、じろじろ見るな小僧。あっち行け」
「…………」
子どもたちは倉本の言葉に反応することもなく、ただ生気のない顔の中で大きな目だけをぎょろぎょろと動かしていた。
けっきょく、渡辺の自宅を見つけ出すのに30分近く時間がかかった。どれも似たり寄ったりの灰色のコンクリート製の建物で区別がつきにくかったせいだ。
「ここか……」
もとは4階建ての建物だったと思われるが、その上にさらに三階分が明らかに素人の手で違法増築されていた。1階の玄関から建物の中に入り、薄暗い階段を登っていった。
暗い廊下の両側に並ぶドアのひとつの前に立った。ここが渡辺の部屋のはずだ。だがその部屋に人の住んでいる気配はなかった。
集合住宅の大家の老人に話を聞いた。
「ああ、ワタナベなら追い出したよ」
ドアの隙間から顔だけ出して老人は言った。
「追い出した?いったい何があったんです」
「臭いだよ。とにかくあれはひどい臭いだったねぇ。体中からぼたぼた汚い汁を垂らしながら廊下を歩くもんだからさ、建物中が臭くなっちまってね。住人からも苦情が殺到したんで悪いが出ていってもらったよ」
「で、彼は今どこにいるんです」
「さあね。あれ以来とんと見かけないね」
次に向かったのは、渡辺の勤務先だった。
勤務先の名はガノト清掃といい、下水道清掃を専門に請け負っている業者だった。
渡辺が住んでいた集合住宅からは徒歩で20分ほどの距離で、住宅と町工場が混在する雑然とした下町にその会社はあった。
秋本は倉庫兼事務所となっているその建物の玄関でノックした。
ドアが開き、いかつい顔つきの体格の良い中年男が姿を現した。
「いったい何の用だね、兄さん」
目つきが鋭いその男はいかにも胡散臭そうに、秋本と倉本をじろじろと見た。
「あたながここの経営者のガノト・ガトルクさんですか?」
「ああ、そうだが」
「私は渡辺裕紀くんの知り合いで、秋本という者です。こちらが倉本です。渡辺くんがここで働いていたと聞き、お話をうかがいにまいりました」
渡辺の名前を聞き、ガノトの表情がかすかに動いた。
「ワタナベの知り合いか。その話なら中でしよう」
渋い表情のまま、ガノトは二人を事務所の中に招き入れた。




