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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅰ部
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第29話 発見

 ミノタウロスがこの近くにいる。

 俺は触角をピンと伸ばし漂ってくる匂いの源を探った。運河に近づくほど匂いは強まった。どうやら運河の上流から濁った水と共に流れてきているようだった。俺は運河の岸壁沿いに上流へと足を進めた。キンクも黙って後ろからついてくる。


「…ここだな。この下だ…」

 俺は匂いの源と思われる地点で立ち止まった。

 足元の岸壁には暗渠がぽっかりと口を開き、そこから激しい勢いで濁流が吐き出されていた。

 雨水排水路の放流口だった。

 側溝に流れ込んだ雨水を集め、河川に排水するための地下水路だ。下水道清掃作業員をしていた頃、同様の水路の中に入り、溜まった土砂をかき出す作業をしたこともある。もちろん雨が降っていない時の話だ。ひとたびまとまった雨が降れば一気に大量の雨水が流れ込み、水路は激流と化す。

 ミノタウロスの匂いは雨水排水路の中から漂ってきていた。


「本当にこの中にいるのかい?どう見ても無理じゃねぇかな」キンクが言った。

 放流口は三分の二ほどが水没していた。おまけにこの激流だ。仮に中に潜んでいたとしても押し流されてしまうだろう。

 だが俺の鋭敏な触角はミノタウロスがこの中にいると告げていた。


「…中の様子を見てくる。ちょっとそこで待ってろ…」

「おいおいワタナベさん、無茶はやめなよ。流れに巻き込まれて溺れちまうぜ」

「…水路の上の方は水没していない。天井を這って行けば大丈夫だ…」

「本当かい?気を付けてくれよな」


 俺は地面に腹這いになると、雨水排水路の放流口に潜りこんだ。

 水路の内壁はレンガ組で、ゴキブリ人間ローチマンと化した俺にとって天井に張り付いて進んでいくのは造作もなかった。ただし背中のすぐ下を大量の雨水が轟々と流れていて、もし転落すれば無事では済まないだろう。

 俺は触角を前方に伸ばし、真っ暗闇の水路の中を上下逆さまになって奥へと進んでいった。獣の臭いはますます強まっていく。


 その時、俺の触角が前方の物体を捉えた。

 水路を塞ぐようにして、巨岩のような物体が流れの真ん中に突き出していた。その周囲で水の流れは渦を巻き、激しい水しぶきを飛び散らせている。

 巨岩からは獣の匂いがした。

 これがミノタウロスなのか。

 信じがたい事に怪物はこの激流の中で足を踏ん張り、流れに耐えていた。


 俺の存在に気づいたのか、怪物はゆっくりと目を開いた。

 暗闇の中でその隻眼がギラリと光を放つ。相手を射抜くような眼力に俺は圧倒された。

「……おぬし、何者だ」

 地の底から響いてくるような低い声だった。周囲の激しい水音にも関わらず、その声ははっきりと聞こえた。


「…お、俺、あ、いや、私は地下の街のガエビリスからあなたを見つけるよう頼まれた者です。お、お迎えに上がりました…」

 俺は緊張しながら答えた。不用意な発言でまんいち相手の機嫌を損ねでもしたら、俺など一撃で叩き潰されてしまうだろう。そう思わせるほどに怪物の全身から放射される威圧感は強かった。

「…………」

 ミノタウロスはしばし無言で俺をねめつけていたが、

「……うむ、そうであったか。待っておったぞ」


 俺は内心でほっと一息をついた。

「…来てください。案内します…」

 俺は雨水排水路の放流口に向かって引き返した。その後ろからミノタウロスの巨体がざばざばと水をかき分けてついてくるのがわかった。



 放流口から運河の岸壁に這い上がろうとした俺をキンクが押し留めた。

「ワタナベさん待て!夜警(ナイトウォッチ)がいる!すぐ近くだ」

 キンクはしゃがみ込んで声をひそめて言った。

「…なんだって…」俺は慌てて後ろのミノタウロスにも伝えた。ミノタウロスは水路内で立ち止まった。


 俺は触角だけを上に伸ばし周囲を探った。

 たしかに人間の匂いが二つ。男と女だ。さきほど廃工場で雨宿りしている時に危うく見つけられそうになった相手に違いない。その二名はすぐ近くにいる。キンクからは数メートルと離れていない。


 男の声が聞こえた。

「おい、お前、そこのお前だ。こんな所で何してる」


 それに対してキンクが答えた。

「へい、俺はその……、あの、ちょっと道に迷っちまって」


「道に迷っただと。怪しいな。お前何者だ」

「……ルカスです。ルカス・マロウです」キンクは偽名を名乗った。

「こいつ、浮浪者でしょうか?」若い女が小声で言った。どこかで聞いた事のある声だと思った。

「どうだろう。この辺をねぐらにしている浮浪者も多少はいるようだが。どうも雰囲気が違う」


「お前、ルカスとか言ったな。さっき何してた。しゃがみ込んで運河を覗きこんでいるように見えたが」

「いえ、ただちょっと気分が悪くなったもので……ゲロ吐いてました」

「…………」

「本当ですよ」

「何か隠しているな」

「いえ、何も隠してなんか……」

「後ろに何がある。見せろ」


 その言葉とともにまばゆい光が上からさっと射しこんだ。間一髪で俺は放流口に身を隠した。光の円が運河の水面や岸壁を白々と照らし出す。

「暗渠か。この中に誰か、あるいは何かいるのか。シャモス隊員、ダウジングを使って中を探ってくれ」

「了解しました」


 その名を聞いて俺は驚いた。彼女はもう復帰していたのだ。ヒュドラに襲われ手足を失う大怪我を負いながらもたったの数か月で現場に戻っていたとは。再生魔法の効果もあるだろうが、何という精神力だろう。俺のせいで一生残る傷を負わせてしまったのではないかと思っていたので、現在の彼女の健闘ぶりに俺は安堵を覚えた。

 だが、安堵している場合ではなかった。ダウジングを使われたら俺やミノタウロスが見つかってしまう。何とかしなければ。


 仕方がない。俺がやるしかない。

 俺は触角を伸ばし、キンクのかかとに触れさせてメッセージを伝えた。

「…俺がこいつらを引きつける。その隙にお前はミノタウロスを連れて逃げてくれ。わかったら、かかとで一度足踏みしてくれ…」

 キンクは足踏みした。


 俺は放流口から這い出すと運河の岸壁の上に立った。

「何、ローチマンだと!」

 夜警の男はそう叫ぶと、ロッドから魔術を放った。赤く光る魔力の弾丸をゴキブリなみの素早さで回避し、俺は男に体当たりを食らわせた。男の体は数メートル吹っ飛んで路上に叩きつけられた。

「ラウスさん!」シャモスが叫んだ。

 俺は後ろも見ずに倉庫街に駆け込んでいった。

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