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異世界下水道清掃員  作者: 白石健司
第Ⅰ部
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第25話 逃亡者

 運河沿いの倉庫地区を、巨大な怪物が地響きを立てて疾走していた。

 巨大な蹄に踏まれるたび、路面の舗装が粉々に砕け散っていく。

 

「逃がすな!撃てェ!」


 怪物を包囲する夜警(ナイトウォッチ)たちの真鍮の(ロッド)が火を噴いた。

 閃光を浴びて、一瞬、怪物の姿がくっきりと照らし出された。筋骨隆々たる体躯の上に乗った、巨大な角を持つ牛の頭部。怪物はミノタウロスだった。


 雷火魔術の集中砲火を受けて、鎧のように強靭な怪物の皮膚は傷つき、全身から血が流れ出した。怪物は悲しげに苦悶の叫びをあげた。

 だがミノタウロスは倒れなかった。勢いを少しも緩めることなく、夜警(ナイトウォッチ)たちに向かって突進していくと、重量級の角の一撃で付近にいた隊員たち数名をまとめて吹っ飛ばした。


 完全装備の隊員たちの体が木の葉のように軽々と宙を舞い、倉庫の外壁に叩きつけられてそれっきり動かなくなった。

 だが、さすがに訓練を積んだ精鋭だけあり、一撃を逃れた隊員たちに恐慌をきたすものは皆無だった。彼らは冷静に怪物から距離を置いて、遠距離からの魔術狙撃を繰り返した。そして怪物の肉体に秘められた無限のスタミナを少しずつ確実に削り取っていった。


 怪物は怒り狂って周囲の建物の壁などを破壊しながら暴れ回っていたが、やがてその動きは目に見えて鈍まってゆき、ついに地面に両膝を着いた。


「そろそろとどめだ。一斉射撃で仕留めるぞ」

 隊員たちは真鍮の杖に込めた魔力を励起させ、怪物の頭部に狙いを定めて最後の一発に備えた。

 だが、その時だった。怪物は急に立ち上がると、最後の力をふりしぼるように運河に向かって走り出し、そして水面に向かって巨体を投じた。隊員たちは慌てて魔術を放ったがその時にはもう怪物は水中に没していた。


 その後、夜警たちは船を出し、水中に沈んだ怪物を捜索したが死骸は発見されなかった……。




「まったく何という失態だ!」

 ボズム大隊長が拳で机を殴りつけながら怒鳴った。怒りのあまり禿頭は頭のてっぺんまで真っ赤に染まり湯気を噴きそうな勢いだ。


 ミノタウロス駆除に失敗しみすみす逃亡を許した夜警隊員たちは本部に帰還後、大隊長からの厳重注意を受けていた。それは1時間以上続いていた。直立不動の姿勢で整列する隊員たちの前を行ったり来たりしながら、大隊長は延々と叱責の言葉を投げかけ続けた。


「わかっているのかお前たちは!いいか、だいたい、今回の失敗の原因はな、お前らの気のゆるみが……」


 有難いお叱りのお言葉を傾聴する隊員たちのほとんどが男性だが、その中に一人の女性隊員がいた。

 まだ少女と言った方がいいような若さで、長身の男性隊員たちの中でその背の低さが目立った。短く刈った銀色の髪がまるでハリネズミのようにチクチクと突っ立っている。額には大きな絆創膏が貼られている。


 少女は腰の後ろで手を組みながら、明らかに上の空といった風情で大隊長の言葉を聞き流していた。

 大隊長は彼女のそんな様子に目ざとく気づいた。


「おいこらシャモス隊員!ちゃんと聞いていたか!」

「はい!一言も逃さず聞いておりましたっ!」シャモスは間髪を入れず返答した。

「嘘をつくなっ!」大隊長は一喝した。


「シャモス隊員、今回の作戦が復帰第一戦目だったな。それでこのザマか。前回の失敗から何も学んでいなかったようだな。殉職したクルゼンも草葉の影でさぞかし落胆しておることだろうよ」

 クルゼンの名を聞いた時、シャモスの表情がかすかに揺らいだ。重ねて大隊長は言った。


「失った手足の再生治療のためにしばらく休暇を取らせたが、その間にすっかり腑抜けてしまったようだな。お前はまた一からやり直しが必要かもしれんな」


「……申し訳ございませんでしたっ!」

 大隊長は謝罪を無視して彼女の前から歩み去った。



 長時間の叱責からようやく解放された後、悄然とうなだれるシャモスに一人の隊員が声をかけた。

「落ち込んでいる暇はないぞ、シャモス」

「ラウスさん……」同じ隊に所属するラウス隊員だった。

 水龍(ヒュドラ)と戦い命を落としたクルゼンとは古くからの親友で、彼亡き後はシャモスのことを気にかけてくれていた。


「ミノタウロスはまだ生きている。さいわい、一般市民に死傷者はまだ出ていない。その前に何としてでも奴を見つけ出さなければならん。さっそく今から付近の捜索が行われるからお前も一緒に来るんだ」

「はい!了解しました」


「……あと、大隊長はああ言っておられたが、お前の実力はちゃんと評価してくださっているぞ。その(ロッド)が何よりの証拠だ」

 シャモスは腰に手挟んだ杖に手を触れた。夜警(ナイトウォッチ)の象徴たる真鍮の杖。精鋭のみが所持することを許された強力な武器だった。手足の傷が癒えた後、厳しいリハビリと再訓練を経て部隊に復帰した彼女に大隊長自らがその杖を授与したのだ。


「だから自信を持つんだ。さあ、付近の倉庫、廃屋、橋の下、しらみつぶしに捜索するぞ!」

「はい!」




 運河はソウ川河口の港から内陸部に向けて伸びていた。その周囲には中小の工場や倉庫が立ち並んでいるが、今では往時の活気もなく、廃業した工場は錆と雑草に覆われ、レンガ造りの倉庫は壁が崩れ落ち、地区全体が荒れ放題となっていた。


 先日、港に停泊中の外国船籍の貨物船で、不審なコンテナが発見された。

 高さ約3メートル、奥行き約5メートルのその大型コンテナからは強烈な獣の悪臭が漂っていた。連絡を受けた査察官が駆けつけたところ、コンテナの扉が吹き飛び、中から牛頭の巨人が姿を現した。

 巨人は貨物船を飛び降りると、運河沿いの倉庫街に逃げ込んだ。


 査察官はすぐさま夜警に通報、その三十分後、現場にかけつけた夜警隊員十数名は人気のない倉庫地区へとミノタウロスを追い込んでいった。そこにはシャモスも参加していた。

 しかし駆除成功が確実と思われた瞬間、怪物は運河に飛び込み、行方をくらませた。


 ミノタウロスを載せたコンテナを積んでいた貨物船は、遠く離れた外国から約一ヶ月をかけて航行してきていた。船に乗っていた異国人の船員たちはミノタウロスについて何も知らなかった。コンテナの発送者および受取人の記録が調べられたが、いずれも実在しない企業であることが明らかになった。

 何者が何の目的で怪物を持ち込んだのかは不明だった。

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