第24話 地下迷宮
俺たちは魔物が潜んでいた隠し通路の先へと進んだ。
怪物の攻撃で負傷し、意識を失っていたキンクもガエビリスの治療魔術で無事回復していた。
俺はローチマンの姿のままだった。
自分がグロテスクな異形と化したにも関わらず、俺はこの現実を意外なほど平静に受け止めていた。どうやって変身したのか自分でもわからない以上、元に戻る方法もわからない。だから今は心配しても仕方がない。もっと時間が経っても戻らないのならその時に悩めばいい。それに、この先また怪物に遭遇する可能性もないとは言えない。それに備え戦闘能力の高いこの姿でいられるほうがかえって助かる。
それよりも今、俺の心はもっと強い別の感情に支配されていた。
それは勝利の喜びだった。
この世界に来てはじめて勝ったのだ。これまで何年間も無様に逃げまどっていることしかできなかった魔物相手に武器も持たず一人で挑み、そして倒したのだ。それも魔術に秀でたダークエルフさえ圧倒するような強敵を。
どん底まで落ちて、初めて手に入れた俺の力……。
俺は硬質のクチクラに覆われた拳をぎゅっと握りしめた。
怪物を倒し、ひとまず落ち着いた今になって、ようやく勝利の実感が湧いてきていた。
むき出しの岩盤の中を伸びる隠し通路は上り下りを繰り返しながら少しずつ地底深くへと向かっていた。しかし通路は先に進むにつれ狭くなっていった。
「本当にこの先に地下迷宮があるんですかぁ?何だかどんどん狭くなって……痛ててっ!」
キンクが突き出た岩に頭をぶつけながら言った。
「どうかしらね。もう少し進んでから判断しましょう」ガエビリスが答えた。
「ねェ!本当にこの先にあるんですかぁ!?もう引き返したほうが……」
キンクが再び不平を言った。
俺たちは腹這いになって進んでいた。もはや通路とさえ言えないような狭い亀裂だ。
「もう少し頑張りなさい!この先からかすかに空気の流れを感じるそうよ」
そう、空気の流れに敏感な俺たちローチマン二人は、この先から吹いてくる微弱な風を感知していた。この亀裂は行き止まりなどではない。この先で広い空間に必ず繋がっている。
上下に狭まった亀裂は、下り勾配となって地の底まで続いていた。深い闇と、狭い空間、そして周囲を押し包む岩盤の圧迫感。地下生活に慣れていない人間なら閉所恐怖症でおかしくなってしまうことだろう。
やがて亀裂は、垂直に切り立った深い縦穴に出会って終わった。
闇に包まれた穴の底からごうごうと風が吹き上がってくる中を、俺たち四人は壁にしがみ付きながら下っていった。転落は即座に死を意味するだろう。もはや誰も口を利かない。キンクでさえ無駄口を叩く余裕もなく必死に手足を動かしている。もし壁を自由に歩けるローチマンに変身していなかったら、果たして俺は最後まで耐えられただろうか。
そして果てしない降下の末、ついに足が地面についた。
「ここは……」キンクが言った。その声が暗闇に反響する。
「ついに到達したのよ。やっぱり実在したのね」ガエビリスが言った。
「…………」
壁際に立った俺たちは、振り返って背後に広がる光景を目にして圧倒された。
下水道よりも、地下生活者たちが暮らす地下の街よりも、さらに深い地底にそれは眠っていた。
そこはランプの光の届く範囲を超えて闇の中にどこまでも果てしなく広がる巨大空間だった。高い天井に向かって無数の太い石柱がそそり立ち、まるで神殿のような厳かな雰囲気に満ちたその場所は、地上のあらゆる喧騒から遮断され絶対の静寂に支配されていた。
ガエビリスは感に堪えない様子で一歩、二歩と広大な空間に向かって踏み出した。
「素晴らしい。素晴らしいわ。これが伝説に謳われしガルヴチュナの無限迷宮。私たちの母なる世界……。やっと帰ってこれた」
周囲を見渡しながら、誰に言うでもなく一人うわ言のように呟いている。単なる魔物の移住先というだけでなく、彼女にとって何か重要な意味を持つ場所らしい。
「……闇の勇者により約束の地の封印は解かれる。やはり予言は正しかった」
闇の勇者、予言だって?
「そう、あなたのことよ、ワタナベさん」彼女は振り向いて言った。
「実はあなたのことは私たちの種族の古い伝承で予言されていたの。私たち闇の使徒や、地下に暮らす魔物たちの約束の地への扉を開く救世主として」
俺が勇者だと。そんな馬鹿な……。
「地上を救う光の勇者と共に、地下世界を救済する闇の勇者が降臨する。予言にはそうあるわ。
異界から来た勇者たちが魔王討伐に向けて動き出した時から、私たちは闇の勇者を探し始めた。そしてあなたの存在を探り当てた。勇者たちとともに異界から来訪しながらも、誰からも顧みられていなかったあなたこそが私たちの救世主になるかもしれない。
やがて運命に導かれるようにあなたは地上で全てを失い、私たちのもとへと来る準備が整った」
「そうです。だからぼくはあなたを地下へと案内した」ガエビリスの弟、リゲリータが言った。
「そうだったのか……」
「その姿こそ、何よりの証拠。その凄まじい変身、変化の霊液だけでは説明がつかない」
「変化の霊液?」
「地下の街に来てもらった時に飲んでもらった液体のこと、覚えてる?」
俺はうなずいた。強烈な嫌悪感を喚起する、悪臭を放つあの液体のことだ。俺はそれを彼女から口移しで飲ませられた。ほとんどはすぐに吐き出したが、少量は飲み込んでしまったようで、飲んだ直後から意識が混濁してその後のことは記憶に残っていなかった。
結局、あの液体は何だったのか。
「あれの本来の作用は、精神矯正術により脳が受けたダメージを治癒することと、地下生活に適応できる強い肉体に生まれ変わらせること。成分は様々なモンスターからの抽出物。もちろんそこにはローチマンも含まれるわ。だからと言ってローチマンに変身するなんて普通なら考えられない」
「それに、あなたはローチマンを超えたその先に進んでいる。ご自分の体をよく見てください」
リゲリータが言った。
たしかに、俺の体は単なるローチマンとは少し違うようだ。一見、リゲリータのような普通のローチマンと同じに見えるが、俺の全身は鎧のような硬質な外骨格で覆われていた。普通のローチマンの体はゴキブリのようにもっと柔らかそうな質感をしていた。
「やはりあなたは特別な存在なのです」リゲリータが言った。
闇の勇者。地下世界の救世主。特別な存在。
それらの言葉が胸に落ちるにつれ、こみ上げてきたのは圧倒的な全能感だった。
俺もまた勇者だったのだ。
これまでの苦難は、今この瞬間に到達するための試練だったのだ。
俺は喜びに全身を震わせた。




