第19話 闇の使徒
俺は怒りに身を震わせていた。
魔物にも生きる権利があるとかいう、こいつらの非現実的でおめでたい主義主張のせいで、この俺を含む大勢の人間が被害を被り、命を奪われたり、人生を大きく歪められたりしたのだ。許せなかった。
「……ごめんなさい。私が無神経だったわ。謝るわ」
「こんなのは絶対間違ってる」
「あなたが怒るのは理解できる。でも、わたしの話をもう少し聞いて欲しいの」
「言いたいことがあるのなら言えよ」
ガエビリスは少しためらっていたが、やがて口を開いた。
「なぜ、私たちがダンジョンの魔物を守ろうとするのか。これは別に博愛主義や動物愛護の精神ではないわ。これは私たちの……避けることができない種族の務めなの」
「私たちの種族?」
どういうことだ。彼女は人間じゃないのか。
ガエビリスは頭に手をやると、ぼさぼさの黒髪をかき上げた。すると、その下に隠されていた耳が露わになった。耳の先は長く尖っていた。
「あんたはエルフだったのか」
彼女は首を振った。
「いいえ。私たちは闇の使徒。エルフよりも、人間よりも、もっと古い種族の最後の末裔。一部の人間からはダークエルフと呼ばれているけれど」
ダークエルフ。聞いた事があった。
ダンジョンの支配者として君臨し、魔物たちを使役して周辺の集落を襲撃させる邪悪な種族。
都市にたくさん住んでいる、無気力で人畜無害なエルフとは似て非なる種族。多くのダンジョンで冒険者の前に最大の障壁として立ちはだかる恐るべき存在で、生かしておくとあまりに危険なため、必ずその場で討ち取られるという。
それがなぜここにいる。冒険者や夜警の目をかいくぐり、どうやって都市に侵入したのだ。
思わず俺は二、三歩後ずさっていた。
「あなたに危害を加えるつもりはないわ。ワタナベさん」彼女は少し寂しそうに言った。
「私たちは人間とは違う種族。人間が光あふれる地上の世界、海や野原や森を愛するように、私たちは闇に包まれた地下の世界を愛している。そこに暮らす生き物たちは人間の目から見れば醜悪な魔物かもしれない。でも私たちにとってはみんな仲間なの。
もし、私たちが逆の立場ならどう思うかしら。ダークエルフが地上の鳥や獣たちを殺戮していたら、あなたは何とかしてそれを止めたいと思うはずよ」
「……でも魔物は危険で有害だ」
「地上の獣だって危険だわ。狼や熊に襲われて命を落とす人はたくさんいる」
「でも、あんたがやったのは、街中に猛獣を放つのと同じことだ。いやそれ以上に危険だ」
「たしかにそうかもしれない。私たちの仲間はその程度の犠牲が出るのは仕方がないと考えているけれど」
「わかっててやっていたのか」
「でも、私は人間側に犠牲を出さずに、お互いに共存できる道があると信じている。そのために、あなたの協力が必要なの」
「俺の?俺に何ができるっていうんだ」
いつの間にか、話が大きくなりすぎていた。俺のような魔術も使えない人間に出る幕などどう考えてもない。
「この都市の地下深くに、広大な迷宮が隠されているらしいの」
「この採石場跡の地下通路のことか?」
「違うわ。人間が掘ったこんな坑道など比較にならないほど巨大な迷宮よ。古い伝承に伝えられているわ」
「そうなのか。でも、それがどう関係するんだ」
「地下迷宮があると思われる深度は、地下通路よりも下水道よりもずっとずっと深いの。そこへダンジョンを追われた生き物たちを移住させることができれば、人間に被害を及ぼすことはなくなる。それに夜警に発見されて駆逐される恐れもなくなる」
なるほど。下水道は地下にあるとはいえ地表に近く、作業員が立ち入ることもある。地下通路にも地上を追われた地下生活者がたくさん暮らしているから、魔物を放つわけにはいかない。コボルトなどの比較的知能の高い一部の魔物となら取り引きして共存することは可能だろうが、骨蜘蛛や水龍がこちらの言い分を理解してくれるとは思えない。
だけど、地上から隔絶された地下迷宮ならばその恐れはなくなる。
「でも、迷宮に至る入り口はまだ発見できていない。私も必死で探してはいるんだけど」
それならなおさら俺の出る幕などないだろう。地下に暮らし地下を知り尽くしているダークエルフに見つけられないものが一介の人間に見つけ出せるわけがない。
「……悪いけど、俺にできることは何もなさそうだな」
「待って。最後まで聞いて。
古代の伝承では、町の地下で採石していた奴隷労働者が、さらに下に伸びる奇妙な洞窟を見つけたらしいの。奴隷労働者は洞窟を降りていった先で広大な迷宮が広がっているのを見たけど、そこで怪物に追いかけられて慌てて採石の坑道まで逃げ戻り、急いで洞窟の入り口を岩を積み上げて塞いでしまった。
私は坑道跡の地下通路の全長にわたって、その洞窟の入り口を探したけれど見つけられなかった。だけど、まだ探していないところがあったの」
「それはどこなんだ」
「下水道よ。坑道跡の多くはそのまま放置されたけど、一部は下水道として再利用されたようなの。そこであなたの力を貸してほしいの。下水道のどこかに隠された地下迷宮への入り口を見つけてほしいの。下水道清掃員としてのあなたの力が必要なの」
「え?そんな、無理だ。俺だって街中の下水道について知り尽くしてるわけじゃない」
「でも、手がかりとなるような知識はあると思うの。たとえばどこの下水道が古いとか。それに下水道はただの地下洞窟じゃない。いろんな危険が潜んでいるでしょ。それを防ぐノウハウもあなたは持っている」
「うーん。……わかった。俺なんかが力になれるかわからないけど、これ以上、下水道に魔物が出没することがなくなるというのなら、喜んで協力させてもらうよ」
その返事を聞いて、ガエビリスは表情を輝かせた。
「ありがとう、ワナタベさん。もちろん、あなた一人だけに探してもらうわけじゃない。私も一緒に行くし、あと何人かにも協力してもらうつもり。あと、必要な装備があれば言って。私が調達するから」
正直なところ、彼女の期待に添える自信は全くなかったが、他人に頼りにされるのは悪い気分ではなかった。人から頼られたのなんて何年ぶりだろうか。




