第12話 惨劇
――ここから先に起きた出来事は、後で治安維持機構の役人たちから聞かされて知ったことだ。
その間、俺はと言えば、マンホールの底でひとり気を失って倒れていた。
異形の水龍は、狭い縦穴に無理やり巨体を押し込み、地上に向かって駆け上がっていった。地上から漂う餌の匂い、すなわち大勢の人間の匂いに誘われたのだ。
地上ではマンホールのすぐ脇で、同僚のキリスが待機していた。
マンホールから噴出した怪物は、ぼんやりと煙草を吹かしていたキリスを血祭りにあげた。何が起きたのかもわからないうちにキリスは全身をむさぼり食われて絶命した。
地上はまだ昼間だった。
照りつける陽光に怪物は一瞬ひるんだが、次なる獲物を求めて旧市街の通りを突進し始めた。でたらめに生えた脚だけでなく首まで使いながら、巨体を回転させて突き進んでいく。
いまだ全身でくすぶり続けている地獄の炎がもたらす苦痛と損傷、そこからの絶え間なき再生がもたらす飢餓に追い立てられて怪物は暴走した。ひとけのない旧市街だったが、それでも通りを歩いている人間は少数ながらいた。怪物は出会い頭に彼らを捕食していった。
やがて、俺たちが担当していた地区の隣りで捜索活動をしていたチームが、異常に気付いた。何も目ぼしい結果が得られず地上に撤収していた彼らは、犠牲者の悲鳴を耳にし、その直後に通りを通過した巨大な影を目にした。そのチームの夜警隊員はただちに本部に通報すると共に追跡を開始した。
旧市街で獲物を食い尽した水龍は、さらに濃厚な人間の匂いを求め、旧市街に隣接した人口密集地であるクラクム地区に向かっていった。その時点ですでに八人の人間を捕食したせいで、怪物はさらに大きくなっていた。その大きさにものを言わせ、塀を倒し壁を突き破り、怪物は強引にクラクム地区へと侵入していった。
クラクム地区には中流階級の住宅街が広がっていた。
時刻は午後3時。住宅街の昼下がりのけだるいひとときは、異形の怪物の襲来により突如断ち切られた。水龍は無数の首を家々の窓から侵入させ、中にいた住人たちを襲っていった。それのみならず、全身でくすぶる紫の炎が木造の家屋に燃え移り、火災が発生しだした。
火の手があがる住宅街を、怪物はさらなる獲物を求めてさまよった。数十人を餌食にしたことでその身体はさらに巨大化していた。
再生能力は完全に暴走し、制御不能に陥っていた。無数の触手のような首に覆われた不定形の巨体。昼間の地上で長時間行動したせいで、全身から急速に水分が失われつつあったが、もはや生存本能すら失った怪物にはそれすら感知できなかった。怪物に残されているのは飢えだけだった。
本部から到着した夜警の増援部隊が、怪物を包囲した。
二十七名の黒衣の隊員たちが、真鍮のロッドを構えて怪物に魔力の集中砲火を浴びせた。
肉片が塵になって消し飛び、怪物の全身が見る見るうちに小さく削り取られていく。
もはや勝負は決したかに思えた瞬間、最後に残った小さな肉塊から爆発的な勢いで無数の首が四方八方に伸び、隊員たちを串刺しにした。夜警たちを瞬時に食って怪物は元のサイズにまで回復した。
さらに、水龍の姿が変容しはじめた。背中に相当すると思われる部分が大きく盛り上がると、肉を突き破って二枚の大きな翼が姿を現した。半透明の薄い翼は水色に美しく輝いた。
その時、周囲にいた者たちは知る由もなかったが、度重なり降りかかった危機が、水龍の遺伝子の奥底に眠っていた太古のドラゴンの力を呼び覚ましてしまったのだった。
翼をはためかせ、水龍の巨体は午後の空に舞い上がった。
のたうつ首の先についた無数の頭部で、緑色の火が灯った。深海魚に似た口の中で、エメラルドグリーンの不気味な光が燃え上がった。全てを溶解させる超高温の毒。水龍は計597個の頭部から全方位に向けて酸のブレスを放射しようとしていた。
その時、サイレンが街の空気をつんざいて鳴り響いた。
直後、空中に浮揚する怪物めがけ、極細の火線が走った。閃光が弾け、衝撃波が走り抜けて辺り一帯を吹き飛ばした。
爆炎が収まると、すでに空中には水龍の姿はなかった。
夜警の重装甲車に装備された殲滅砲が火を噴いたのだった。発射の反動で、重装甲車は10メートルも後方に飛ばされ建物の中にめり込んでいた。周囲は火の海と化していた。
重装甲車のハッチが開き、中から夜警隊員数名が姿を現した。周囲を警戒しながら付近を捜索する。水龍は瞬時に全身を焼灼され、真っ白な灰と化していた。ロッドで残骸をつつくと、灰の山は音もなく崩れ去った。もはや怪物は再生することはなかった。
こうして、多数の死者、負傷者および家屋損害を発生させて、下水龍暴走事件は終息した。
――俺は、事件終息から六時間後、マンホールの底で倒れているのを発見され、救助された。
かかとの傷口からの失血と、敗血症により瀕死の状態だった。
下水道からはクルゼン隊員の遺体の一部が回収された。
シャモス隊員は生きていた。手足を失う重傷を負っていたが、自分でかけた治癒魔法の応急措置のおかげでなんとか命を繋ぐことができたそうだ。
俺は数日間生死の境をさまよったが、病院のベッドの上で意識を取り戻した。
ベッドの横で、医師と一緒に一人の男が俺の事を見下ろしていた。
肩幅の広い中年男。見知らぬ人物だった。
「気が付いたようだね、ワタナベヒロキ君。私は治安維持機構、上級構成員のゾスだ。さっそくだが、きみを違法呪具使用容疑および都市治安維持活動妨害容疑で逮捕する。行政局まで来てもらおう」




