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24 信頼関係




「藤田ぁ、もうへばったのかぁ?!」

「いえ、もう一本!」


 ドロドロのユニフォームで流れる汗を(ぬぐ)いながら、藤田は声を張り上げる。

 グラウンドに響いた藤田の声をかき消すように、甲高い金属音が鳴り響く。新入生が入って活気づいており、ひりつくような緊張感があった。そのため、ノッカーの近衛の手にも無意識的に力が入る。

 力強い打球が、一二塁間を襲う。かなり難しい打球だが、その打球は藤田の守備範囲内であり、軽やかな足取りで打球の正面に入ると、柔らかなグラブさばきで打球を処理する。こと守備だけで見れば、藤田のそれは上級生と比較しても引けを取らない。


 グラウンドには、内外野の守備練習を行っているグループと、もう一つのグループが存在していた。

 レフトのファールグラウンドに当たる部分にあるブルペンでは、現在二組のバッテリーが投球練習を行っている。


「ナイスボール!」


 ぱんっ、と気持ちのいい捕球音とともに、石垣の大きな声が響く。ブルペンは、雨天時も使用できるように、投手と捕手の頭の上には屋根が備え付けられており、捕球音は勿論、声もよく響く。しかし……。


 石垣の隣では、黙々と球を受け続ける杉浦の姿がある。自然な捕球姿勢に、投手が投げていて気持ちよくなるほどのフレーミング技術。隣の石垣ですら、彼の受けている姿に羨望(せんぼう)のまなざしを送っているほど。しかし、当の本人は浮かない表情を浮かべている。


「ほら、ナイスボールでしょ?」


 杉浦は声の主を見る。大きな眼鏡が特徴的な女性。手にはタブレットを持っており、嬉々とした表情を浮かべつつブルペンを見ている。

 確かに、いいボールを投げる。杉浦が受けている投手は、このチームのエースである3年の武田だ。杉浦の構えたコースに気持ちのいいボールが投じられていた。少し肘を落としたフォームも、打者の目線を惑わすのに一役買っているようで、受けている以上に打ちづらさがありそうだ。しかし、どうしても物足りなく感じて仕方がない。浅賀の球を受け続けてきた杉浦にとって、武田のボールに魅力を感じられないのだ。


 杉浦は、小さく「ナイスボール」と呟いた後ボールを武田に投げ返す。

 杉浦のなかには、後ろで嬉々としてタブレットを操作している女監督への不満が募りだしている。何を考えているのか、彼女は浅賀に対して当分は投手起用しない方針を打ち出した。金の卵と呼ばれ、名門校でもすぐさまエース番号を譲渡されるであろう浅賀であるのに、彼女は……。なにより、この場に浅賀がいないことに対して、杉浦は大きな不満を抱いていた。







 神ケ谷高校名物「心臓破りの丘」。


 高校の裏にある急こう配な山道を、神高生はそう呼称する。一応、大森山という正式名称があるのだが、地元民でさえ覚えている者は少ない。かなりの傾斜があるため、山歩きを趣味とする者達でさえ寄り付かない心臓破りの丘を、二人の男女が駆け上がっていく。


「──はぁ、はぁ、はぁ」


 先に山頂へたどり着いた浅賀旺士郎は、膝に手をつきながら滝のような汗を流す。汗を拭きとる余力もないのか、零れる汗は少し湿ったアスファルトに吸収されている。そして、少し遅れてもみじが山頂に到達した。もみじは、息を切らしつつも浅賀に声をかける。


「あんた、もう、へばったの?」

「齋藤さんこそ、息、荒いじゃん」

「私はまだ余裕よ!」

「はは、ホントかなぁ」


 お互い、荒い呼吸を隠すように、表情だけは何とか平静を装ってはいるが、べったりと張り付いた汗のために、発する言葉に一切の説得力がない。

 軽口をたたきつつ、彼らはゆっくりと坂を降り始める。現在、この往復を10回繰り返している。常人であれば、1回登り切ったところでリタイアしてしまいそうなところだが、彼らにはまだこの練習を続ける意思があった。


 もみじは、隣に視線をやる。

 また身長が伸びている気がする。中学生の時に比べると、体の線も少し太くなっている。しかし、はたから見た印象では、やはり細目には入るのだろう。同じ野球部の杉浦や縞黒高校へ進学した野田など、全国区の選手たちと比べれば、一見頼りなく見える。


 ふと、今朝の監督の一言が脳裏に浮かぶ。だからだろうか、もみじは無意識的に隣を歩く男子に声をかけていた。


「……あんた、いつも通りね。悔しくないの? ぽっと出の女監督にあんなこと言われて」


 発した後になって、はっと口を閉ざし、慌てて視線をそらした。

 表情など見なくても、彼の心中は察せられる。しかし、何もなかったかのように、こんな基礎練習とも言えない体力強化のメニューを文句の一つも言わずに行っている金の卵に、もみじのなかに生まれた疑念が拭えなかった。


 沈黙が続く。

 四月の大森山は、木々をくすぶる爽やかな風が吹きつけていて、火照った顔を冷やしていく。


「あの人の言っていることはもっともだよ。俺はまだ1年。まだ9イニング投げたこともないひよっこさ」


 乾いた笑みを浮かべつつ、浅賀はそう漏らす。

 今朝、監督が浅賀に告げたのは、浅賀を投手起用するつもりがない、という衝撃的な言葉だった。理由は簡単。浅賀の体力面の未熟さだ。


 中学野球は、原則7回までしか行わない。また、投手の球数制限にも厳しいルールが設けられていることが多く、投げ過ぎを忌避する風潮が強い。未発達な体に過度な負担をかけると、それだけ怪我のリスクも跳ね上がる。浅賀の所属するシニアでも、こと球数についてはかなり厳しく制限をかけており、浅賀は一試合で80球以上を投げたことがなかった。勿論、9回を一人で投げ抜くなど一度たりとも経験がない。


 そして、浅賀がいかに化け物じみた球を投げられるとはいっても、それだけでチームのエースたり得るわけではない。2、3年生には、少なくとも1年以上一緒に戦ってきた信頼関係が存在する。浅賀が「金の卵」と言われ、全国に名が知られた有名人だとしても、この信頼感に勝るものではない。


 監督の考えは、浅賀も理解している。絶対的なエースとは言えないが、このチームには武田という1年間エースナンバーを背負った投手もいる。浅賀と彼の間には、目には見えない信頼感という差があるのだ。しかし……。


 木々を揺らす風の音が、一瞬にして静寂に帰す。遮られていた陽の光が二人を照らすと、それまで鳴りを潜めていた刺すような暑さが肌を刺激する。つられて目を細めたもみじの視界には、見覚えのある光景が映し出される。


「──でも、諦めたわけじゃない。俺たちの夏は3回しかないからね。一年だからって、諦められるわけないさ」


 静まり返った空気を、浅賀の強い決心に満ちた言葉が震わせる。

 遠い記憶が、何故か脳裏にちらつく。しかし、それがいつの出来事だったか、そして誰との記憶かははっきりしない。ただ、目の前の彼と交わした約束は、しっかりと覚えている。


「ちゃんと分かってるじゃん。約束、忘れないでよ」

「約束、か」


 気が付くと傾斜は随分緩やかになっていて、もうすぐ坂が終わってしまう。今日のノルマは20往復。彼らは、折り返しの坂を降り切ると、再び勢いよく坂を駆け上っていく。



今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!


面白い、先が気になる……。

そう思っていただけたなら、「ブクマ登録」や、下にあります「評価ポイント」「いいね」など押していただけると嬉しいです。

また、ご感想なども大歓迎ですので、一言でもいいので送っていただけると作者が喜びます(笑)

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