23 芝 美幸
「……何度頼まれても、無理なものは無理です。それでは」
『え、ちょっと芝さ──』
ピッという電子音とともに、大きな丸眼鏡の奥の目に陰りが見える。芝美幸は、スマートフォンをテーブルに置くと、深いため息をつく。
喫茶店の一角、出入り口から見て最奥の席に陣取った二人の男女は、騒がしい蝉の声を聞きながら冷えたアイスコーヒーの入ったカップを傾ける。
「また、神高から連絡か?」
「えぇ。去年も断ったはずなんだけど、今年もこれで三回目よ」
丸眼鏡の女性は、辟易しつつそう漏らす。彼女は、母校の神ケ谷高校──略して神高から何度も監督要請を受けていた。女性である彼女に、どうして監督要請が来ているのかというと……。
「あれから、もう10年も経つんだよなぁ。俺たちが県予選の決勝まで勝ち進んでから、神高はよくて二回戦突破がやっとってレベルまで弱体化しているからなぁ」
「そうだけど。私が監督になったからって甲子園に行けるわけじゃないわ」
「そりゃあそうだろうけど、お前の野球の知識をもってすればベスト8、いやベスト4くらいは狙えるんじゃないか?」
男はさも簡単にそう言うが、美幸の表情は相変わらず暗いものだった。確かに、美幸が監督として指導に携われば、いくらか強くなるだろう。しかし、それだけでトーナメントを勝ち進めるわけではない。指導者の立場としてこう言うのはなんだが、人の成長には限界がある。その限界度が高ければ高いほど、指導者の力は生きてくるのだ。
「……簡単に言わないでよ」
小さな声は、店内の優美なBGMにかき消されていく。──と同時に、美幸は大きなカバンからノートパソコンを取り出して、本来の目的である執筆にとりかかった。
美幸の職業は記者だった。
記者としては6年目となり、記事もそれなりに任せられるようになった。高校時代に野球部のマネージャーをしていたことと大学でスポーツ科学を専攻していたことが関係してか、任せられる記事は中学・高校野球の特集ばかりだったが、美幸にとっては転職とも言えるものだった。
スケジュールを確認して、執筆にとりかかろうとする。しかし、そこで手が止まった。
「ふーん。安岡中が準優勝したんだ。あそこの生徒は大体神高に進学するんだったわね」
「そうだな。俺らの同級なら松本と武内が安岡中だったな」
「あー、あの馬鹿二人ね」
美幸の言い草に、男は「ひでーけど、間違いないな」と声高に笑う。彼は知らないだろうが、高校時代には彼も併せて「三馬鹿」と呼ばれていたのだ。高笑いする男を一瞥した後、美幸は再度画面に視線を送る。
安岡中の準優勝は快進撃とも言えた。トーナメントを見る限り、それなりに強いチームと対戦して勝ってきているし、スコアも僅差のものばかりだ。そして何より気になるのが。
「……女の子?」
背番号1の欄には「齋藤もみじ」という、女子らしい名前があった。美幸はすぐに彼女の名前で検索をかける。すると、いくつかの動画がヒットする。
「球速は120㎞/h。コントロールも変化球も一級品だし、フォームに躍動感もある。それにあのマウンドさばきといい、光るものを感じるわ。でも……」
スコアは0ー0。1アウト2、3塁の大ピンチに、迎えるは県内最強とも名高い縞黒中の4番。マウンドにはナインが集まっているが、感じ取れる雰囲気的に勝負を選びそう。
「7回の裏。もうここまでね」
勝負を避ければまだ勝機はある。しかし、勝負となれば彼女に抑えられるボールはない。ただ、彼女の目は生き生きしていて、決して悲壮感などありはしない。肩で息をしているような状態でありながら、目は全くと言っていいほど死んでいないのだ。
躍動感のあるフォームから、最後の一球が投じられる。甲高い金属音とともに、画面上の彼女は天を仰いだ。分かり切っていた結果だったが、美幸はなぜか全く違う結果を期待していたのだ。
「どうした?」
「え?」
男の声に、美幸は自分が動かない画面を凝視していたことに気が付いた。どうやら、今は集中力にかけているらしい。
「そろそろ帰るわ」
「お、なら俺もそろそろ行かないと。女房がうまい飯でも作って待ってっからよ!」
「リア充アピール、うざい」
美幸の詰りに対して、男は「へへっ」と笑うだけで、テーブルに置かれてあった伝票を持ってレジのほうへと歩いていく。こういうさりげない気づかいができるところは、10年前からなんら変わっていない。
◇
「──気になって見にきてしまったわ」
日も暮れかけた夕刻。美幸の足は、自然と安岡中へと向かっていた。グラウンドでは野球部が練習しており、ドロドロのユニフォームで駆け回っている。こういう光景は、いくら時代が巡っても変わることはないのだろう。
美幸は、目星の選手を探す。しかし、それらしい人物は見つけられなかった。
「まぁ、3年生はあの大会が最後だし、もういるわけないわよね」
よくよく考えれば、中学3年生は先の大会が最後であり、今は新チームになっているはず。まれに引退後も練習に参加する物好きもいるが、大体は今まで欲しくても得られなかった平穏な休日を押下していることだろう。
齋藤もみじがどういう人物なのか、美幸には分からないが、美幸の足は別の目的地へと進みだす。安岡には、安岡中以外にもう一か所野球ができるグラウンドがある。高校時代、体育祭の準備などで神ケ谷高校のグラウンドが使用できなかった時、何度か利用したことがあったため、美幸は迷わずに目的地にたどり着くことができた。
「ん? あれって」
たった一人、人影が見える。遠目では男なのか、女なのか判別できないが、その人物がグローブを身に着けており、バックネットに向かって投球練習をしているのはよくわかる。
それは、美幸の目がいいからではない。遠目でも、その人物の非凡な才能が見て取れるからだった。
美幸はその場に立ち尽くす。普通なら、近づいて誰が投げているのかを確認しに行くところなのだが、美幸の足はまるで地面と同化したかのように動こうとしない。じっと、投球フォームに意識を向ける。
流れるような体重移動に、小気味いい腕の振り。ボールを放つ最後の瞬間まで、まるで一本の鞭のよう。あんなお手本のような投球ができる人物を、美幸は一人しか知らない。
それは、少し前に話題になった「日本球界の至宝」。全国優勝したあと、忽然と姿を消した天才児、浅賀旺士郎だった。
美幸は、どうして彼がここにいるのかと疑問に思った。
高校野球ファンの間では、彼がどこの高校に進学するのかという話題で持ち切りになるほど、進学先については様々な憶測が飛び交っていた。ただ、おそらくは関東の強豪校のどこかに進学するだろうというのが本筋で、次いで関西の強豪校への推薦か、くらいのものだった。
しかし、彼には一つ噂があった。
それは、母方の祖母が住んでいる片田舎の高校に進学したいと本人は話している、というものだった。ただ、あまりにも非現実的すぎて、誰もがそのうわさ話はデマだと考えていた。
しかし、目の前の光景を目の当たりにして、美幸はそんな馬鹿みたいな噂話を無条件に信じ込んでいた。
「……彼が神高へ進学するなら、甲子園も見えてくる。それに、あの子も同じように神高に進学したら……」
日本球界の至宝と未知数な可能性を持つイレギュラー。この二人が相対したら、一体どんな化学反応が起こるだろう。すべてが仮説の上に成り立った、奇跡と偶然ばかりが組み込まれた方程式。しかし、美幸には様々なビジョンが頭の中で映し出されていた。
「──面白い。これは最高に面白い!」
美幸はすぐさまスマートフォンを手にする。電話をかける場所は、決まっている。美幸は、久しぶりに高鳴る胸を何とか抑えつつ、これからの計画を練り始めていた。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます!
やっぱり、野球物は書いてて楽しいですね。
あまり読まれてはいませんけど、この作品を書いているときが一番楽しい作者です!
マイペースに投稿していきますので、これからもどうぞよろしくお願いします!




