20 挨拶
もみじは下駄箱を出たところで一華と別れた。
普通はこの後部室かどこかで着替えるのだろうが、もみじの場合は体育館の中の女子更衣室で着替えなくてはならない。
神ケ谷高校の場合は、大きなグラウンドがあって、その傍に野球部の部室がある。
ただ、女子であるもみじがその部室を使うことなど出来ようはずもなく、中学の時も着替えなどは女子更衣室を借りていた。
体育館が見えてきて、入り口の方へと移動する。
すると、見覚えのある二人が出入り口のあたりで靴を履き替えている所に行き会う。
彼らは既に着替え終えており、真新しいユニフォームに身を包んでいた。
「――旺士郎、例の約束したヤツとは会えたのか?」
「いや、会えてない」
もみじは反射的に身を隠す。
理由は分からないが、何故か二人の前に出ていくことを体が拒否したのだ。
二人の会話から察するに、旺士郎――浅賀旺士郎は何かを約束した人物がいるらしく、その人物に会えたかどうかを杉浦亮二は気にしているようだった。
しかし、浅賀はその人物に会えていないようで、少し悲しそうな表情を浮かべていた。その表情に、もみじの目は釘付けになっていた。
「まぁ、それもそうか。名前も顔も、何も知らないんだもんなー」
「――りょう、何か嬉しそうだな。顔、緩んでる」
浅賀は表情の変化を指摘しつつ苦笑を浮かべている。
どうやら、約束云々の話をこれ以上続けるつもりはないようだ。
浅賀に指摘されて、大柄な青年はバッと顔を上げて満面の笑みを浮かべた。
「あ、分かる? 実は、前の席の可愛い女の子が野球部に入るって言っててさー! マネージャーだぜ? テンション上がるだろ!」
杉浦の前の席。
それはつまり、体育館へ続く廊下に隠れているもみじのことであり、もみじの心臓が小さく音を立てて鼓動する。
杉浦の発言を受けて、浅賀はすぐに彼の言わんとしていることと、その「野球部に入りたい可愛い女の子」というものとが結びついた。
「……前の席って、齋藤さんじゃないの?」
「あ、そうそう! すっごい可愛くてさー。ちょっとサバサバしてる感じがするけど顔はタイプ!」
「そうなんだ。良かったな――」
靴ひもを結び終えた彼らは、グラウンドの方へと歩いていく。
二人は、いつからの知り合い化は分からないが、もみじの目から見たら自分と一華の後姿に重なった。
二人からは長い年月を感じる。
何故か分からないが、もみじの胸が締め付けられる。
◇
グラウンドには、ユニフォームに身を包んだ高校球児たちが集まっていた。当然のように、藤田と石垣、そして浅賀と杉浦の姿があった。
2、3年生の先輩たちは、そもそも学校が早く終わっていたのか、先にグラウンドで練習を開始しており、新入部員が集まってであろうタイミングで切り上げて輪に加わった。
杉浦は、ユニホーム姿のもみじを見て、とても驚いたような表情を浮かべていた。
「――ほんとに選手だったんだ」
おそらく、浅賀から事情を聞いたのだろうが、半信半疑だったようで、もみじのユニフォーム姿を見るまでは信じられなかった様子。
しかし、いざその姿を見ると、「なるほどね」と納得したように頷いていた。
「おぉ~、今年は新入部員が居るっスね! 俺、先輩になったって感じがするッス!」
「おい、新入生が引くだろ!」
軽そうな口調の先輩を厳つい顔の先輩が注意する。そして、輪になって集まった新入部員を前に、小さく咳ばらいをする。
「――んんっ、俺はキャプテンの近衛将大だ。見ての通り、部員が少ないから一年にも大いにチャンスがある。上手いヤツはすぐにレギュラーになれるはずだから、まぁ、頑張ってくれ」
確か、去年の秋季大会の時はもっといたはずなのに、グラウンドで練習している光景を見る限りでは、たったの5人しかいなかった。
その事が気になっていたもみじだったが、石垣は別の事を気にしていたようで、手を上げる。
「あの、監督は?」
石垣の質問を受けて、キャプテンの近衛は少し困ったような表情を浮かべる。
「……実は、今年から監督が変わったんだ。突然の事で俺らもよく事情が分かっていないんだが、一応、今日は部長さんが学校に居るから部活は出来るって話だ。次の監督が来るのは明日以降らしい」
近衛の説明は、正直に言うとよく分からないものだった。
以前会った、神ケ谷高校の監督は非常にまじめな人格者であり、確かこの学校のOBだったはずだ。
公立高校ではよくある教師との兼任監督なので、赴任先が変わるという事はあるのだろうが、それなら新監督が今日来ていない理由がよく分からなかった。
ただ、その辺の事情はキャプテンである近衛すらもよく分かっていないようなので、ここで質問することは控えた。
「とりあえず、一年には自己紹介してもらう。……右から順に、軽井沢から言ってくれ」
近衛は一番右端にいた細身の新入部員に視線をやる。どうやら、もともと面識があるようで、「軽井沢」と呼ばれた彼は、大きな返事をする。
「はい! 俺、西山中出身の軽井沢翔って言います! ポジションはショートでした!」
非常に快活な表情で、大きな声を張り上げる。元気さは、さっき近衛キャプテンに怒られていた先輩と同じくらいだろう。
軽井沢の挨拶が終わると、隣の新入生が前に出る。身長はもみじを除く新入生の中で、一番小さい。ただ、線はガッシリとしており、身長よりも大きく見える。
「梅原真一です。一応、中学は縞黒中出身ですが、公式戦には出たことがないです。ポジションはサードでした」
縞黒中学校。
去年の夏、安岡中学との決勝戦に勝利し全国大会に出場した強豪校だ。
しかし、彼は補欠だったようで、もみじの記憶にも彼の姿はなかった。ただ、縞黒中学出身という事なので、戦力としては上々だろう。
先輩たちも同じことを思ったのか、「ほぉー」と呟きながら小さく頷いている。
予想外の戦力である梅原の挨拶を終え、彼の隣に立っていた藤田が元気よく手を上げる。
「藤田恭介です! 安岡中ではセカンドやってました! よろしくお願いしまーす!」
藤田らしい、少し気の抜けた挨拶を聞き、もみじの右隣に立っている石垣は少し微笑む。次は石垣の番なので、もう一度表情を締め直して前に出る。
「石垣康太です。藤田と同じで安岡中の出身です。ポジションは……キャッチャーです」
ポジションを言う前に少し間があったのは、もみじを挟んで左にいる杉浦の存在があったからだろう。この世代のエースは、もうすでに決まっている。そして、そんな浅賀と世界大会まで経験した捕手の存在に、少し気後れしているのだ。
すごすごと元の場所に戻る石垣と、入れ替わるようにしてもみじは前に出る。
「齋藤もみじです。安岡中ではピッチャーやってました。よろしくお願いします」
「──やっぱり!? テレビで見てたッスよ!」
さっき怒られていた先輩が急に声を上げる。別に悪気はないのだろうが、この場の空気を考えると、実にそぐわない態度と言えた。
それは、真ん中に立っている近衛キャプテンも同じようで、迫力のある笑顔が声の主へと向かう。
「中野、それ以上話したら……わかるよな?」
「――すみません。黙ってます」
中野と呼ばれるお調子者の先輩は、敬語で小さくなる。どうやら中野は2年生のようで、3年生の近衛には頭が上がらないらしい。
自己紹介が終わったので、元の場所に戻る。すると、この場の誰よりも大きな男子が前にでる。彼は、迫力のある身体とは相反して、爽やかな笑顔を浮かべていた。
「俺は杉浦亮二って言います! 橘シニアで捕手やってました! どうぞ、よろしくお願いします!」
「――橘シニア!?」
鋭い視線が中野に向く。無言の圧を感じたのか、中野は両手で口を塞ぐ。
「……すみません」
近衛は無言で「次やったら、分かってるな?」という表情を浮かべていた。この場にいる誰もが、そう分かってしまうほど、近衛キャプテンから放たれるオーラは凄まじいものだった。
しかし、彼の命は風前の灯だ。すらっとした体型のイケメンが一歩前に出てきたのを見て、もみじは心の中で中野に同情する。
「浅賀旺士郎です。安岡中出身ですが、夏までは橘シニアに居ました。ポジションは――」
「――橘シニアの浅賀!?」
今日一番の大声がグラウンドに響き渡る。それも、まだ浅賀の挨拶の途中だったこともあり、全員の視線が中野に向く。その中には、当然鬼のような形相をしたキャプテンの視線もあるわけで。
「すみません。ほんとに、すみません!」
命乞いをするように、中野は謝り倒す。近衛キャプテンは、罰として外周10周の刑を中野に課して、その場は収まったのだった。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
登場人物が多くてすみません<(_ _)>
ちょっと多すぎるので、どこかのタイミングで登場人物紹介を挟みますね!
一応、分かるように書いていくつもりではいますが……。




