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16 受験




 バスの中、必死に単語帳をめくる女子中学生。顔は真剣そのものであり、目は血走っていた。


「……ねぇ、もみじ~。ねぇってば!」

「ちょっと! あぁ、今何個か英単語が飛んだ気がする!」


 もみじは一緒にバスに乗っていた一華の声に不平を述べながら、目には見えない何かが脳から零れ落ちるのを必死に食い止める。


 しかし、一華は一華で必死だった。


「そうじゃなくて、ここ降りるところだよ!」

「――え、やば!」


 もみじは足元に置いていた鞄を急いで持って走り出す。ギリギリ、バスの扉をすり抜けて、もみじ達は「神ケ谷高校前」と書かれたバス停に降り立った。


「そんなに必死に勉強したって、もう変わらないよ~? こういう時は、気分を落ち着かせるためにも何も考えない方がいいんだって、先生も言ってたでしょ?」

「いや、私はそうは思わない!」


 そう言って、もみじは再び単語帳を開く。一個でも多く頭に入れようと躍起になっているもみじを見て、一華は心配そうな視線を送る。


 もみじ達が受ける「神ケ谷高校」は、私立を受けるような者達を除けば、ここらの中学の殆どが受験する学校で、募集人数は約200名。もみじは一応滑り止めとして女子野球部の誘いを受けた「桜坂女子高」に合格しているわけだが、もしかするとここに居る誰よりも真剣かもしれない。



 試験会場に着くと、色々な制服を身にまとった中学生によってごった返していた。しかし、もみじはそんな事には目もくれず、単語帳を睨みつけている。


 その時、前を歩いていた女子が急に足を止めて、もみじは彼女の背中にぶつかる。


「――あ、ごめんなさい!」

「いえ、こっちこそ。前見てなくて」


 先に謝ったのは前を歩いていた女子だった。もみじもすぐに頭を下げるのだが、その女子の顔を見て一瞬驚いた。


 特徴的な大きな目に、形のいい唇。アイドルのような髪型に細い脚といい、テレビの向こう側に居るような人物が目の前に立っていた。


「……あの」


 じっと見ていたからか、彼女は可愛らしい首を傾けてもみじの顔を見ている。


「あ、すみません。怪我とかないですか?」

「はい! ちょっと当たっただけですし」


 笑った顔は人形の様で、もしもみじが男だったら一瞬で恋に落ちてしまいそうだった。もう話すことも無いのだが、向かい合った彼女に何か話そうと話題を絞り出す。


「……えっと、どうして急に立ち止まったんですか?」

「――あ、そうでした! 知り合いを見つけたんでした!」


 彼女は大きくお辞儀をしてから小走りで去っていく。国宝のような細くさらさらな髪の毛が風になびいている。


「凄い可愛い子だったね~。このあたりの子なのかな?」

「さぁねー……ってやば! また単語が何個か飛んでいった気がする」


 もみじは閉じかけた単語帳のページを開いて再び高速で捲り続けた。








「はぁぁぁ……」


 夕方、自宅のリビングでもみじはうな垂れる。5教科の試験を終えて、一気に体の力が抜けていくのがわかる。


 母、佐恵子はそんな娘の姿を見ながら問いかける。


「難しかった?」

「分かんない。ただ、一応全部埋められたけどー」

「あら、じゃあ大丈夫よ」


 佐恵子は安心したようにそう言う。半年前は絶望的だった学力だったのだが、佐恵子もびっくりするほど、もみじの頑張りは凄まじかった。最終模試は見事にA判定を取っているため、ちゃんと全部埋めることが出来たというのならば、学力面は通ったと思っていいい。


 しかし、もみじにはもう一つの懸案事項があった。


「でも、明日は面接があるんだよねー」


 もみじは忌々し気な表情で今日配られたプリントを見る。もみじのグループはお昼ごろの面接試験となっていた。


「面接練習もしたんでしょ?」


 そう言う佐恵子に、もみじは中学校の担任から渡されたプリントを机の上に出す。


「……『注意事項は口調と作法。あとはよく出る質問の回答を考えておきましょう』って全部じゃない」


 口調、礼儀作法はダメ。質問の受け答えの内容までも注意されている。つまり、面接は絶望的であると、そこには書かれているのだ。


「私、面接向いてないのかなぁ」


 もみじは再度うな垂れる。一応、練習をしているからマシにはなっているとは思うのだが、それでも毎回何かしらを注意される。その都度、自分には出来ないのではないかという不安がもみじを襲っていた。


「……この志願理由って、先生と書いたの?」

「え、そうだけど……」


 佐恵子の質問に、もみじは顔を上げる。佐恵子が持っていたのは担任の先生と何度も書き直した志願理由書だった。


「これ、本当の理由なの? あんたが勉強の事とか進路の事とか話しても嘘っぽいでしょう。……ちゃんと、ありのままを話して来ればいいのよ」


 そう言って佐恵子はプリントを綺麗にファイルへ戻し、もみじの肩を優しく叩いた。






 重そうな扉を前に、もみじは一つ大きな深呼吸をする。この緊張感は、県大会決勝のマウンドと同等か、それ以上かもしれない。


 扉をノックする。金属なのか何なのか分からない素材の扉は、少し重い音を響かせる。すると、中から「どうぞ」という声が聞こえた。


「失礼します。受験番号92番、安岡中学校の齋藤もみじです」

「どうぞ、お座りください」


 もみじはゆっくりと席の前まで移動して、「失礼します」と言いつつ席に座る。ここまでは、練習の時と同じ動きが出来ているはずだ。



 目の前には3人の試験官が座っていた。真ん中の中年男性が進行するようで、左隣のご老人と右隣の女性は黙って資料を見ていた。


「――まずは受験理由をお願いします」


 是も予想通りの質問だ。練習では、志願理由書に書いたものを、少し長くして話したはずだ。


 しかし、今日のもみじは違う。


「――私は、昔から甲子園に行きたかったんです。その夢って、高校生の時にしか叶えられなくて。志願理由書に書いたことも理由の一つですけど、甲子園に、この神ケ谷高校で甲子園に行きたいというのが、私が貴校を受験した理由です」


 言い切った。もみじは思っていることをぶちまけた。


 こんな理由を言う人間は中々居ないだろう。それも、ここは私立でも野球が強い学校でもない。昔にたった一度だけ甲子園に出場し、たった一度だけ準優勝しただけの、今では廃れた野球部を有している学校だ。


 一瞬、場が静まりかえる。しかし、進行役の右隣に座っていた女性の声によってその沈黙は破られる。


「……ふふっ」


 それは笑い声だった。しかし、感じの悪い物ではなく、何かを思い出して笑っているような、そんな笑い方だった。心なしか他の二人も表情が穏やかになっていた気がした。


 笑ってしまった女性は、小さく咳ばらいをした後に頭を下げる。


「ごめんなさい。とてもいい理由だと思います」


 女性の謝罪に、もみじもつられて頭を下げる。


「では次の質問に移ります。あなたは――」


 その後、何事もなく面接は進んでいった。ありきたりな質問と、野球に関しての質問が幾つか飛んで来たが、もみじは全て素直に答えた。


 これは落ちたかもしれない。


 もみじは半分諦めながらも、全ての質問を答え切った。




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